九州あちこち歴史散歩★唐津くんち2014町廻り(4)10上杉謙信の兜 11酒呑童子と源頼光の兜 12珠取獅子  サイトマップ

唐津くんち2014町廻り(4)10番山・上杉謙信の兜 11番山・酒呑童子と源頼光の兜 12番山・珠取獅子

  子供や若者たちが大勢参加し、江戸時代の絵巻物を見ているような優雅な町廻りをゆっくり楽しみました。

このページでは次の曳山を紹介しています。
 10番山 上杉謙信の兜(平野町)明治2年(1869)奉納
 11番山 酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)明治2年(1869)奉納
 12番山 珠取獅子(京町)明治8年(1875)奉納



10番山 上杉謙信の兜(平野町)明治2年(1869)奉納

唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」(平野町)

 平野町が奉納する「上杉謙信の兜」の登場です。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」

 金色に輝く獅子が睨みをきかせています。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」の「(懸かり)乱れ龍」の旗

 両側の綱の先頭には「(懸かり)乱れ龍」の旗が進みます。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」の曳き子たち



唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」

 赤い眉庇(まびさし)に金色の獅子が映えます。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」

 肉襦袢の背には、赤色で上杉家の「竹に(飛び)雀」の家紋、青で平野町の「平」の文字が踊っています。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」

 町並みの間から姿を現しました。


唐津くんち14-町廻りで唐津駅前に並んだ「上杉謙信の兜」

 駅前の広場で昼休みです。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」の曳き子たち

 上杉謙信の「(懸かり)乱れ龍」の旗は、戦いで全軍総攻撃のときに先頭に掲げて突撃したといわれています。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」の曳き子たち

 綱の先頭には高校生(と思います)のお嬢さんが付き、交替で「(懸かり)乱れ龍」の旗を掲げていました。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」の曳き子たち

 この町も子供たちがたくさん並んでいます。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」の曳き子たち

 元気のいい子供たち! 毎年元気に唐津くんちの祭りを盛り上げてくれよ。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」

 兜を付けている武将の顔はどれも真っ黒で見るからに強そうです。


唐津くんち14-町廻りの「上杉謙信の兜」

 後ろには「刀八毘沙門天王」の旗が翻っています。


唐津くんち14-町廻りから唐津神社に戻ってきた「上杉謙信の兜」

 夕方、城下町を回ってきた「上杉謙信の兜」が唐津神社に帰ってきました。
 黒地に日の丸の旗は「天賜の御旗」で、謙信の父・長尾為景が朝廷より下賜された上杉家の家宝の旗です。


11番山 酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)明治2年(1869)奉納

唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」(米屋町)

 朝、米屋町の奉納する「酒呑童子と源頼光の兜」が唐津神社に進んできました。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」

「酒呑童子(しゅてんどうじ)と源頼光(みなもとのよりみつ、らいこう)の兜」は、兜に噛み付いている酒呑童子の表情が恐ろしく、小さい子供たちが怖がる曳山だそうです。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」の囃子方

 囃子方の祭りの演奏は止むことがありません。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」

 若者が曳山に乗り、采を振って指揮をとります。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」

 肉襦袢の背のデザインは、束ね熨斗(たばねのし)(?)の上に米の文字です。




唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」の曳き子たち

 赤い軍団が現れました。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」の曳き子たち

 みんな明るい表情で祭りを楽しんでいました。


唐津くんち14-町廻りで唐津駅前に並んだ「酒呑童子と源頼光の兜」

 この曳山の題材のいわれについて2010年のページの説明を再掲します。

 源頼光(948-1021)の兜の鉢の部分に、頼光に斬られた酒呑童子の頭が食いついているところです。鬼の頭だけあっていかにも恐い顔をしています。
 平安時代から鎌倉時代にかけて、京の外れの大江山に住む鬼・酒呑童子(山賊の棟梁であったともいわれる)はたびたび京の都で館を襲い、姫君を奪うなど悪事を働きました。当初は何者のしわざかわからなかったが、陰陽師安倍晴明が占ってその正体を明らかにしました。
 帝は源頼光に鬼退治を命じ、頼光は配下の四天王といわれた渡辺綱、坂田金時(まさかりかついで、足柄山で熊と遊んで少年時代を過ごしたあの金太郎です)らを引き連れ、みごと酒呑童子を成敗しましたが、酒呑童子の首は切られてもなお頼光の兜に飛んできて噛み付いたそうです。
 源頼光の鬼退治として語り継がれ、能、歌舞伎などで演じられています。

 なお、この時源頼光が酒呑童子を斬った(といわれる)刀は後に「童子切安綱(どうじきりやすつな)」と銘された天下の名刀で、天下五剣の一つと称えられる日本刀の横綱です。歴史的にも名高く、伯耆(ほうき)国(島根県)安綱の作です。これまでに、源満仲、源頼朝、室町将軍家家宝、秀吉、家康、秀忠、越前松平家、作州津山松平家、、、国が買い上げ、と所有が変遷し、現在は東京国立博物館にあり、国宝に指定されています。

 渡辺綱一行は、鬼征伐に先立ち、石清水八幡、住吉明神、熊野権現に必勝祈願をして出発したが、途中三人の老人(実は三神の化身)から、酒と兜をもらいました。その酒で鬼を酔わせて切り、食らいついてきた鬼の首は普通の兜なら噛み砕いていたのでしょうが、神からもらった星兜のおかげで命を守ることができました。
 星兜は平安中期ごろから作られ始めた形式で、兜の鉢を形成する鉄板をつなぎ留める鋲の頭を表面に出したままにしたもの。鋲の頭が星に見えるのでこの名がつきましたが、兜の形式の名前であって、特定の兜の銘ではありません。
 渡辺綱の兜は、後に福島正則が愛用したと伝えられています。

 渡辺綱には羅生門の鬼退治の伝説もあります。渡辺綱が京の一条戻橋を通りかかると、妙齢の美女が家まで送ってくれと頼みます。綱は水面に映った女の顔を見て鬼女と見抜き、鬼女は綱を殺そうとするが、ついに綱の刀が鬼女の左腕を切り落とします。女は羅生門に棲む鬼だったのです。(「御伽草紙」では、この鬼は実は大江山の副将格の「茨木童子」であるとされ、酒呑童子の話と一連の物語にされています。)
 相談を受けた安倍晴明は、鬼は必ず腕を取り返しに来るから、7日の間誰にも会わず、経を読んで過ごすように渡辺綱に教え、切り取った鬼の腕に封印を施します。6日目、綱の叔母がいなかから訪ねて来ました。一度だけどうしても鬼の腕を見たいと懇願され、綱は腕の封印を解いて見せました。すると叔母は突如鬼に変わり、その腕を取り戻して虚空に消えていきました。(「平家物語」他多数。歌舞伎にも「茨木」「戻橋」などの演目がある。))
 
 また、渡辺綱が一条戻橋で鬼女の腕を切り落とした刀は、源頼光から拝領した源氏の名刀「髭切」でした(刀工は筑前国三笠郡の出山(土山?)というところに住む唐国の鉄細工師)。「髭切」はその後「鬼切」「獅子ノ子」「友切」再び「髭切」と名を変え、源氏に伝えられました。

 「髭切」と兄弟刀の「膝丸」は両方とも源満仲が作らせたもので、源頼光(土蜘蛛を退治したので「蜘蛛切」と命名)、源頼綱、源頼義、源義家、源為義(刀が不思議な音を出すので「吠丸」と命名)、熊野別当教真、熊野別当田辺湛増、源義経(刀が熊野の春の山を通って来たことから「薄緑」と命名)と伝わり、その後、曽我兄弟、源頼朝、新田義貞、奥羽最上氏、と伝わっていったといわれます。
 以上の話は「平家物語」「源平盛衰記」他数書に記されていますが、持ち主の変転は実際のところは事実かどうか不明です。
 ただし、「髭切」と「膝丸」はともに源氏の重宝とされていたことは間違いなく、「髭切」は京都の北野天満宮に重要文化財として、また「膝丸」は箱根神社に奉納されたとも伝わるが、神社の宝物一覧には含まれていないそうです。。
 (なお、平家の重代の宝刀は「小烏丸(こがらすまる)」で、皇室の御物となっています。)

 渡辺綱は当時随一の美男としても有名で、いろいろな物語りや芝居に登場します。
 鬼を退治できたのは神のおかげとして寄進した(といわれる)石灯籠が、北野天満宮に残っています。

 昔は人智を超えた存在のもの(鬼)が恐ろしかったので、鬼の話が多数残されています。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」でエンヤの連呼を行う若者たち

 昼休みの時間、あちこちで若者たちの「エンヤ、エンヤ」の連呼が聞こえてきました。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」でエンヤの連呼を行う若者たち

 米屋町の若者たちも負けずに右手を突き上げながら「エンヤ、エンヤ」の大連呼を続けています。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」の囃子方

 仲間の囃子方ももちろん休む間もなく吹き続けます。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」でエンヤの連呼を行う若者たち

 元気なエンヤの連呼は20分くらい続きました。
 生命力旺盛な若者たちです。

 


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」の曳き子たち

 さあ、出発。午後の町廻りです。
 先頭の子供たちが走りながら長い綱を曳いて伸ばしていきます。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」の曳き子たち

 元気に綱を曳いて進みます。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」

 曳山が近づいてきました。


唐津くんち14-町廻りの「酒呑童子と源頼光の兜」

 この兜は上に噛み付いている酒呑童子が乗っており、兜の持ち主の源頼光の顔はありません。他の武将の兜とはデザインが異なり、独特の構造です。
 酒呑童子があたりを睨みながら町を進んでいきました。


12番山 珠取獅子(京町)明治8年(1875)奉納

唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」(京町)

 京町が奉納する「珠取獅子」の登場です。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 獅子の緑色のカラーが鮮やかです。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 采を振る若者は1本の綱だけが頼りです。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 肉襦袢の背中のデザインは緑鮮やかな珠取獅子です。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」(京町)の長法被

 長法被は緑地に京の文字です。下には京の文字が取り巻いています。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 町廻りの途中で一休み。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」の曳き子たち

 黒いシャツに白い衣装、鉢巻は獅子の緑です。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 これまで遠くから見て、獅子の鼻の上にある二つの金色の渦が目と思っていましたが、眼はその間にある黒い丸ですね。
 金色の渦はすべて獅子の頭髪や体の毛なんだ・・


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 曳山の上で颯爽と采を振っています。


唐津くんち14-町廻りで唐津駅前に並んだ「珠取獅子」

 唐津駅前で昼休み中の珠取獅子です。1時間半の間ゆっくり見物できました。
 近くで見ると黒い眼がはっきりと見えますね。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」の曳き子たち

 それっ、出発!


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 大通りを進みます。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 囃子方もがんばっています。


唐津くんち14-町廻りの「珠取獅子」

 鮮やかな緑の獅子が赤い珠の上で踏ん張りながら、城下町を進んでいきます。



   

   ◆このページの先頭に戻る ◆前のペ−ジ ◆次のページ
   ◆トップページに戻る