唐津くんち三日目の「町廻り」では進んでいく道の両側に多くの見物人が幾重にも並びますが、前日までの混雑ぶりに比べると優雅に曳かれていく14台の曳山をゆっくり見物することができました。 このページでは次の曳山を紹介しています。 4番山 源義経の兜(呉服町)天保15年(1844)奉納 5番山 鯛(魚屋町)弘化2年(1845)奉納 6番山 鳳凰丸(大石町)弘化3年(1846)奉納 音声をお楽しみください。 七宝丸のお囃子(3分00秒,2.8MB,mp3)・・昼に唐津駅前に到着したときのお囃子とヨイサの掛け声です。 |
古い面影が残る街の中を呉服町が奉納する「源義経の兜」が曳かれて進みます。 |
太鼓がしっかりと留められています。江戸時代からの経験が積み重ねられて一番すわりが良く、叩きやすい縛り方になっているのでしょう。 |
休むことなくお囃子の音色が響きます。 鉢巻の後ろのマークは義経の「笹りんどう」です。 |
三段の「小札(こざね)しころ」が丁寧に作られています。 笹りんどうの旗指物が翻っています。 |
笛のベテランが若者を指導して、それぞれの町のお囃子のメロディが次の世代に伝わっていきます。 |
ひと休み中の談笑です。それにしても粋ですねえ。 |
ほとんどの曳山の最前列は幼い子供たちの指定席になっていて、進行中は子供たちは大人のいいつけをしっかり守ってみんなおとなしく座っています。 お父さんたちが一生懸命曳山を曳いている姿が心の中に残ることでしょう。 |
さあ、そろそろ出発です。 |
全員、位置について曳き方始めー! |
「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声で進みます。 (掛け声はこの呉服町と七宝丸の江川町が「ヨイサ、ヨイサ」で、他の12町は「エンヤ、エンヤ」です。) |
「義経の兜」が秋の陽射しの下で輝いています。いかにも強そうですね。 |
呉服町の肉襦袢の模様は背中いっぱいの龍、長法被は「ご(古”)」の文字に五本の縦縞です。 どの町の衣装も本当にしゃれたデザインですね。 |
駅前の広場で一休み。 |
曳き綱の先頭を子供たちが曳きます。 二本の綱は百メートルに及ぶものもあるそうです。 |
中高生が続きます。 襟の文字は呉服町のごを取り「ご(古”)具美」です。 |
若者たちが曳山の前を曳き、彼らの力で曳山は進みます。 |
掛け声とともに見事な兜が進んでいきます。 |
朝、町の中を魚屋町が奉納する巨大な「鯛」が泳ぎながら唐津神社を目指して進んでいきました。 |
唐津神社の前には14台の曳山が並び出発を待っています。 |
どこか愛嬌のある顔ですね。 |
「エンヤ、エンヤ」の掛け声で曳かれていきます。 |
鯛は上下に身体を揺らしながら進みます。 |
肉襦袢の背中には赤い大鯛が踊っています。 |
長法被は紺地に鯛の一文字です。 |
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「鯛」には進みながら大きな魚体の前後を揺らすための装置がついていました。 |
この町も子供たちの姿が多いですね。 |
掛け声をかけながら元気に曳いていきます。 襟の文字は「魚組」です。 |
夕方、唐津神社に帰り着きました。 |
鯛が曳山展示場広場に近づいてきました。 これからまた一年間の別れです。 |
大石町が奉納する巨大な「鳳凰丸」が進んできました。 |
若者たちはいなせな江戸腹姿と鳳凰が羽ばたく肉襦袢姿です。 |
若者たちが笛を奏でます。 天井が低く現代の若者には窮屈そうですが、そこは若さにあふれる柔軟なからだで三日間お囃子を続けます。 |
肉襦袢の背には鳳凰が踊っています。 |
笛太鼓のお囃子が町中に響いて、秋祭りの雰囲気を高めます。 |
14台の曳山が次から次へと現れて進んでいくさまは壮観です。 |
江戸時代からの極彩色の鳳凰が曳かれていきます。 |
長法被の背中は鳳凰の文字です。 |
さあ、スタート! |
鳳凰は西洋では「Oriental Phoenix=東洋のフェニックス(不死鳥)」と呼ばれており、インド神話のガルーダも鳳凰の仲間のようです。 いかにも強そうな眼ですね。 |
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後部は金色に輝いています。 |
さあ、出発! |
襟は大石町の一文字を採って「大具美」となっています。 |
全員が同じ帯を締めています。 |
この大石町も子供や若者が多いですね。 |
鳳凰丸では先頭に一人立って大具美の采を振っています。 |
曳山の前後には江戸腹姿の若者たちが付いています。 |
曳山展示場前の広場に到着しました。 |
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