九州あちこち歴史散歩★唐津くんち2010曳山(2)4源義経の兜 5鯛 6鳳凰丸 7飛龍        サイトマップ

唐津くんち2010・曳山(2)4番山・源義経の兜 5番山・鯛 6番山・鳳凰丸 7番山・飛龍

  秋空の下を曳かれていく4番山から7番山の曳山のようすを紹介します。

 4番山 源義経の兜(呉服町)天保15年(1844)奉納
 5番山 鯛(魚屋町)弘化2年(1845)奉納
 6番山 鳳凰丸(大石町)弘化3年(1846)奉納
 7番山 飛龍(新町)弘化3年(1846)奉納

それぞれの山車の歴史やエピソードなどについては、2009年度唐津くんちのページにも触れていますので併せてご覧ください。



4番山 源義経の兜(呉服町)天保15年(1844)奉納

唐津くんち2010曳山・4源義経の兜(呉服町)

   笹りんどうの旗指物を翻しながら義経の兜の登場です。



唐津くんち2010曳山・4源義経の兜(呉服町)

   肉襦袢のデザインは、背中いっぱいに踊る龍です。



唐津くんち2010曳山・4源義経の兜(呉服町)

   待機中も曳山周辺の若者たちは力を込めて「オイサ」の連呼を行い、全身から熱気が立ち上っています。
(掛け声は多くの曳山が「エンヤ、エンヤ」ですが、源義経の兜(呉服町)と七宝丸(江川町)の2組だけは「オイサ、オイサ」です。)



唐津くんち2010曳山・4源義経の兜(呉服町)

   若者たちも肉襦袢姿です。



唐津くんち2010曳山・4源義経の兜(呉服町)




  唐津くんち2010曳山・4源義経の兜(呉服町)
 
 お旅所の「源義経の兜」です。


5番山 鯛(魚屋町)弘化2年(1845)奉納

唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)

   子どもたちは白の肉襦袢姿です。



唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)

   肉襦袢の背中には赤い大鯛が踊っています。



唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)

   若者たちも肉襦袢姿です。



唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)




唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)




唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)

   紺地の法被の背中には町の曳山の「鯛」の文字が描かれています。



唐津くんち2010曳山・5鯛(魚屋町)

   今年も西の浜のお旅所で大鯛が愛嬌を振りまいていました。


6番山 鳳凰丸(大石町)弘化3年(1846)奉納

唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)

   子どもたちは鮮やかなオレンジ色の肉襦袢姿です。



唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)




唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)

   若者たちも肉襦袢姿です。
 背中には鳳凰が羽ばたいています。





唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)




唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)




唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)

   巡行中ずっとお囃子が奏でられます。
 お囃子には巡行や曳出しなどに合わせ数種類あるそうです。



唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)

   この町は曳山の後ろを歩いている町の役員たちも肉襦袢姿がほとんどです。



唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)

   この二人は唐津くんちの祭りで、おそらく子どものころからずっといっしょに町の曳山を曳いてきたに違いありません。
 一人の足腰が弱っても、もう一人が支えて二人はいつまでも祭りに参加していくのでしょうね。



唐津くんち2010曳山・6鳳凰丸(大石町)

   鳳凰がまわりを睥睨(へいげい)しています。


7番山 飛龍(新町)弘化3年(1846)奉納

唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)

   白と紫の肉襦袢です。



唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)

   背中は新町の「新」の文字です。



唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町) 唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)
 
 年に一度の祭りです。髪の形もさまざまに工夫を凝らしています。



唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)




唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)




唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)




唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)

   秋空にお囃子の笛、太鼓の音がこだまします。



唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)

   法被には「飛龍」の文字が躍っています。



唐津くんち2010曳山・7飛龍(新町)

   恐い顔の飛龍ですが、子どもは恐がるそぶりもありません。
 現在新しく作るとなると億の単位の費用が必要になるほど貴重な遺産ですが、子供たちにも祭りや山車を身近なものに感じてもらうために、お旅所の広場では自由に山車に乗って写真を撮ることが許されていました。
 祭りの山車そのものを守るのではなく、それを使ってみんなが盛大に楽しむ祭りを今後幾世代にもわたって続けていくことの方が大事という発想でしょうか。
 次の世代に祭りの楽しさを伝えていこうとする度量の広い発想があるからこそ、唐津くんちが江戸時代から盛大に続いているのでしょうね。



   

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