秋空の下を曳かれていく4番山から7番山の曳山のようすを紹介します。 4番山 源義経の兜(呉服町)天保15年(1844)奉納 5番山 鯛(魚屋町)弘化2年(1845)奉納 6番山 鳳凰丸(大石町)弘化3年(1846)奉納 7番山 飛龍(新町)弘化3年(1846)奉納 それぞれの山車の歴史やエピソードなどについては、2009年度唐津くんちのページにも触れていますので併せてご覧ください。 |
笹りんどうの旗指物を翻しながら義経の兜の登場です。 |
肉襦袢のデザインは、背中いっぱいに踊る龍です。 |
待機中も曳山周辺の若者たちは力を込めて「オイサ」の連呼を行い、全身から熱気が立ち上っています。 (掛け声は多くの曳山が「エンヤ、エンヤ」ですが、源義経の兜(呉服町)と七宝丸(江川町)の2組だけは「オイサ、オイサ」です。) |
若者たちも肉襦袢姿です。 |
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お旅所の「源義経の兜」です。 |
子どもたちは白の肉襦袢姿です。 |
肉襦袢の背中には赤い大鯛が踊っています。 |
若者たちも肉襦袢姿です。 |
紺地の法被の背中には町の曳山の「鯛」の文字が描かれています。 |
今年も西の浜のお旅所で大鯛が愛嬌を振りまいていました。 |
子どもたちは鮮やかなオレンジ色の肉襦袢姿です。 |
若者たちも肉襦袢姿です。 背中には鳳凰が羽ばたいています。 |
巡行中ずっとお囃子が奏でられます。 お囃子には巡行や曳出しなどに合わせ数種類あるそうです。 |
この町は曳山の後ろを歩いている町の役員たちも肉襦袢姿がほとんどです。 |
この二人は唐津くんちの祭りで、おそらく子どものころからずっといっしょに町の曳山を曳いてきたに違いありません。 一人の足腰が弱っても、もう一人が支えて二人はいつまでも祭りに参加していくのでしょうね。 |
鳳凰がまわりを睥睨(へいげい)しています。 |
白と紫の肉襦袢です。 |
背中は新町の「新」の文字です。 |
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年に一度の祭りです。髪の形もさまざまに工夫を凝らしています。 |
秋空にお囃子の笛、太鼓の音がこだまします。 |
法被には「飛龍」の文字が躍っています。 |
恐い顔の飛龍ですが、子どもは恐がるそぶりもありません。 現在新しく作るとなると億の単位の費用が必要になるほど貴重な遺産ですが、子供たちにも祭りや山車を身近なものに感じてもらうために、お旅所の広場では自由に山車に乗って写真を撮ることが許されていました。 祭りの山車そのものを守るのではなく、それを使ってみんなが盛大に楽しむ祭りを今後幾世代にもわたって続けていくことの方が大事という発想でしょうか。 次の世代に祭りの楽しさを伝えていこうとする度量の広い発想があるからこそ、唐津くんちが江戸時代から盛大に続いているのでしょうね。 |
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◆唐津くんち2010・宵ヤマ
(1)1番山・赤獅子〜6番山・鳳凰丸
(2)7番山・飛龍〜10番山・上杉謙信の兜
(3)11番山・酒呑童子と源頼光の兜〜14番山・七宝丸
◆唐津くんち2010・曳山
(1)1赤獅子(刀町) 2青獅子(中町) 3亀と浦島太郎(材木町)
(2)4源義経の兜(呉服町) 5鯛(魚屋町) 6鳳凰丸(大石町) 7飛龍(新町)
(3)8金獅子(本町) 9武田信玄の兜(木綿町) 10上杉謙信の兜(平野町) 11酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
(4)12珠取獅子(京町) 13鯱(水主町) 14七宝丸(江川町)
◆唐津くんち2010・曳出し
(1)1赤獅子(刀町) 2青獅子(中町) 3亀と浦島太郎(材木町)
(2)4源義経の兜(呉服町) 5鯛(魚屋町) 6鳳凰丸(大石町) 7飛龍(新町)
(3)8金獅子(本町) 9武田信玄の兜(木綿町) 10上杉謙信の兜(平野町) 11酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
(4)12珠取獅子(京町) 13鯱(水主町) 14七宝丸(江川町)
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