秋晴れの一日、すでに4時を過ぎて太陽も西に傾き、江戸時代から続く一大絵巻も終盤に近づいてきました。 このページでは12番山から14番山のようすを紹介しています。 12番山 珠取獅子(京町)明治8年(1875)奉納 13番山 鯱(水主(かこ)町)明治9年(1876)奉納 14番山 七宝丸(江川町)明治9年(1876)奉納 |
京町の子どもたちが長い綱を伸ばしてきました。 |
背中には京町の珠取獅子が踊っています。 |
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「京」の文字の入った、珠取獅子と同じ色の法被も粋ですね。 |
水主町の子どもたちが元気に綱を持って颯爽と走ってきました。 |
曳山が曳かれるときは「エンヤ、エンヤ」の掛け声がこだまします。 |
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江戸時代、水主町の船乗りたちはなぜ鯱を曳山に選んだのでしょうか。玄界灘で勇敢に鯱と戦っていたのでしょうか。なにしろ魚ヘンに虎だから、魚の中で一番強い鯱を選んだのでしょうね。 |
とうとう最後の曳出しになりました。 重量級の曳山「七宝丸」が曳かれ始めました。 |
朱色の宝殿を青い龍が背に載せて運んでいます。 龍の横に立っている台上りは、曳出しの間も、塩を撒いてまわりを清めながら進んでいました。 |
最後の曳出しが行われている西の浜では、七宝丸の回りを多くの見物客が取り巻いています。 車輪が砂にめり込んだ重量級の七宝丸を、若者たちが腰を落として必死で曳いています。 ふつう5,6分で曳出されますが、10分かかってまだ半分ほどしか進んでいません。 「オイサ、オイサ」の掛け声が続きます。曳子の数も多く、全力で曳いているのですが、なにしろ曳山が大きく重いのです。見ている方も拳に力が入ります。 曳出しに時間がかかりそうなので、私もそれまで見ていた沿道からこちらの広場に移って見物しました。(広場にいても、沿道にいても、多くの若者の「オイサ」の掛け声や、お囃子の音、観客の応援などの声で迫力満点です。) |
台上りも定位置の宝玉の後ろからずっと前に身を乗り出して、曳子を叱咤激励しています。 細い綱一本に身を託して曳出しの采を振り続けています。 |
あと一息です。 |
曳子の奮闘で曳山はほとんど曳出され、台上りも定位置に戻りました。 |
西の浜への曳込みのときには全員腹掛け姿だった江川町は、曳出しのときは全員肉襦袢姿に変わっていました。 背中に七宝丸の青龍が踊っています。 (左下の「三巴(みつどもえ)(三頭左巴(さんとうひだりともえ))」の紫の鉢巻は曳山本部の役員さんのものです。) |
20分あまりの大奮闘で七宝丸がみごとに曳き出されました。 まさに力のこもった一大絵巻でした。 |
すでに傾いた西日でシルエットになっています。 |
3時に始まった曳出しが終わったときはすでに5時に近づいていました。 今年も秋晴れの下ですばらしい唐津の秋祭りを楽しむことができました。 翌4日には午前10時半から町廻りが行われ、昼の間は唐津駅北側の米屋町通りに14台の曳山が並びます。 この3日間の唐津くんちの人出は51万人だったそうです。(唐津市調べ) (2日・宵ヤマ 21万人、3日・お旅所神幸(曳込み・曳出し) 25万人、4日・町廻り 5万人) (ちなみに唐津市の人口は約12万人です。いかに人気のある祭りで観光客が多いかわかりますね。) |
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◆唐津くんち2010・宵ヤマ
(1)1番山・赤獅子〜6番山・鳳凰丸
(2)7番山・飛龍〜10番山・上杉謙信の兜
(3)11番山・酒呑童子と源頼光の兜〜14番山・七宝丸
◆唐津くんち2010・曳山
(1)1赤獅子(刀町) 2青獅子(中町) 3亀と浦島太郎(材木町)
(2)4源義経の兜(呉服町) 5鯛(魚屋町) 6鳳凰丸(大石町) 7飛龍(新町)
(3)8金獅子(本町) 9武田信玄の兜(木綿町) 10上杉謙信の兜(平野町) 11酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
(4)12珠取獅子(京町) 13鯱(水主町) 14七宝丸(江川町)
◆唐津くんち2010・曳出し
(1)1赤獅子(刀町) 2青獅子(中町) 3亀と浦島太郎(材木町)
(2)4源義経の兜(呉服町) 5鯛(魚屋町) 6鳳凰丸(大石町) 7飛龍(新町)
(3)8金獅子(本町) 9武田信玄の兜(木綿町) 10上杉謙信の兜(平野町) 11酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
(4)12珠取獅子(京町) 13鯱(水主町) 14七宝丸(江川町)
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