九州あちこち歴史散歩★唐津くんち・曳山(3)8金獅子 9武田信玄の兜 10上杉謙信の兜 11酒呑童子と源頼光の兜 サイトマップ

唐津くんち・曳山(3)8番曳山・金獅子 9番曳山・武田信玄の兜 10番曳山・上杉謙信の兜
         11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜

  唐津くんちの曳き出しの音声はこちらをクリックしてください。
 (1)曳き出し音声2・・・(5分10秒)




唐津くんち・8番曳山・金獅子の曳き子

  8番曳山・金獅子(本町)
 8番目に本町が登場しました。白い肉襦袢に緑の帯です。



唐津くんち・8番曳山・金獅子 唐津くんち・8番曳山・金獅子
 
8番曳山・金獅子(本町)
 獅子の頭の金箔が輝きます。
 肉襦袢の背中は本町の「本」の文字です。これは唐津の殿様が書いた文字を染めたもので、どんなに暑くても絶対脱いではならないそうです。



唐津くんち・8番曳山・金獅子
 
8番曳山・金獅子(本町)
 曳山の後ろはふさふさとした髪です。その上で台上りが采を振り続けます。



唐津くんち・8番曳山・金獅子
 
8番曳山・金獅子(本町)
 獅子頭の金箔が秋の陽射しに輝きます。



お旅所に並んだ8-14番曳山

  8番曳山・金獅子(本町)
 曳き込みが終わった後、西の浜のお旅所東側には8番から14番の曳山が並んでいます。壮観です。



唐津くんち・8番曳山・金獅子、曳き出し
 
8番曳山・金獅子(本町)
 金獅子も曳き出されていきました。



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜の曳き子

  9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 木綿(きわた)町の登場です。衣装は白地です。



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜の曳き子
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 若者たちは肉襦袢を脱いで腹掛けスタイルです。



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜 唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 武田信玄の諏訪法性(ほっしょう)の兜です。どこの曳山も同じですが、前部に幼児が数人乗っています。
 法被には武田菱(四つ割菱)がデザインしてあります。

 



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 台上りの足場は傾斜しているように見えますが、さすがにまっすぐ立って采配を振っています。
 曳山は進むときや曳き出し、曳き込みの時「塩」を時々撒きながら進みます。しかし、木綿町は、山国であった甲斐国が塩に不足し、敵将上杉謙信が塩を送ったとの故事にちなみ、一切塩を撒きません。町ごとの慣習にそれぞれいわれがあって面白いですね。



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜、風林火山の旗 唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜、囃子方
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 信玄の「風林火山の旗」が立っています。
   疾如風(ハヤキコトカゼノゴトク)
   徐如林(シズカナルコトハヤシノゴトク)
   侵掠如火(シンリャクスルコトヒノゴトク)
   不動如山(ウゴカザルコトヤマノゴトシ)
 孫子の兵法から採った文言を染めた旗で、「孫子の旗」とも「四如の旗」ともいわれます。

 曳山の横や後ろには「囃子方」の中高生が乗って、ずっとお囃子を奏し続けます。
 曳山には他に数人の幼児や台上りなど、総勢15人から20人位の人数が乗っていました。



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 漆黒の顔がいかにも強そうです。

 武田信玄(1521-1573)は戦略にすぐれた勇将で、甲斐国を強国とした。本拠は躑躅ケ崎館(つつじがさきやかた)
 徳川家康も三方ケ原の戦いで信玄に惨敗し、命からがら浜松城に逃げ帰った。以降は信玄を師としたといわれます。
 また、信玄は上洛を意図して織田信長包囲網をめぐらし、京都に上る途上で病没したため、窮地にあった信長も危機を脱することができた。上杉謙信との間で五度戦われた「川中島の合戦」は有名です。領地経営にも力を注ぎ、氾濫を繰り返していた釜無川に築いた信玄堤は今も残っています。
  人は城 人は石垣 人は堀
  情けは味方 仇(あだ)は敵なり



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜、曳き出し




唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜、曳き出し
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 曳き出しが始まりました。
 肉襦袢には、木綿町の「き」が大書されています。肉襦袢は羽二重の生地で、(年配の人は当然存知でしょうが)絹でできています。昔は九州でも桑の畑を見かけました(子どものころ川で泳いだ帰りに、紫色に熟れた実を時々いただいていました)が、今はあまり見かけないようで、もちろん本場の信州あたりでも蚕を飼っている家庭はほとんど姿を消しました。この100%自然の恵みの絹でできた祭りの衣装は一式揃いで10万円前後かかるそうですが、これを揃えて祭りに出るのが唐津っ子の意気だそうです。おかげで私たちは、多くの曳き子たちが参加する勇ましい一大絵巻の祭りを楽しむことができます。



唐津くんち・9番曳山・武田信玄の兜、曳き出し
 
9番曳山・武田信玄の兜(木綿町)
 信玄の兜が曳き出されていきました。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜の曳き子

  10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 平野町の登場です。ここも白地の衣装です。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜

  10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 金色に輝く兜が姿を現しました。





唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜、「刀八毘沙門天王」旗

  10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 法被の文様は毘沙門(びしゃもん)の「毘」の文字です(田が左側に書かれている)。
 この文字は「「毘」の御旗」(「「毘」の一字旗」)に使われ、「(懸かり)乱れ龍」とともに戦場で使われました。
 曳山の後ろには「刀八毘沙門天王」の旗が掲げられています。
 
 上杉謙信(1530-1578)は、父が亡くなって数年後の12歳の時(当時は長尾景虎と称していた)に家臣に攻められ、所領を乗っ取られた。二人の兄は討たれ、謙信は命からがら逃げ出し、京や栃尾城に隠れて過ごした。やがて19歳のときに府中城を取り戻し、裏切った家臣を討ち取り、所領を回復し、春日山城を改修して本拠としました。
 関東管領上杉氏が北条氏に追われて越後に逃れてきたときにこれを助け、上杉の姓を譲り受け、以降上杉氏を名乗った。(「謙信」と号したのは40歳のとき)。謙信は十数回にわたって関東に出征し、勢力を蓄えていった。請われて信州にも出兵し、武田信玄と「川中島の戦い」を繰り広げた。越後の地に一大勢力を築き、将軍足利義昭を追放した道義なき織田信長を討伐しようと準備している最中に、49歳で急死しました。
 謙信は毘沙門天(仏教)を信仰し、一生妻帯しなかったといわれています。私利私欲からでなく道義のある戦さしか行なわなかったとして人気がある武将です。

 「刀八(とうはち)毘沙門天王」は、もともとインドの「兜跋(とばつ)毘沙門天」が、日本では八本の腕に刀を持つ刀八毘沙門天となり、武将に信仰されました。
 
 日本では毘沙門天は七福神の一人になっています。常に仏の近く(北方)で仏を守っていてお釈迦様の説法を聞くことも多かったとして「多聞」ともいいます。もとは憤怒の表情で仏を守り、邪悪の鬼をやっつける強い神さまですが、現代では強さを求める人は少なくなったらしく、商売替えをして財宝福徳を担当しているようです。ついでにいえば、奥さんは美しい幸福の神の吉祥天なので、男性には夢のような結婚(?)のご利益も期待できるかもしれません。
 もっとも、謙信さんからは「馬鹿もん!なんと浅はかな!滝に打たれて頭を冷やしてこい!」と一喝されそうです。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜、「天賜の御旗」
 
10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 右側の日の丸の旗は「天賜の御旗」で、父、長尾為景が朝廷より下賜された上杉家の家宝の旗です。
 上では采が振られ、お囃子が続けられています。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜、「懸かり乱れ龍」の旗
 
10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 「(懸かり)乱れ龍」の旗です。戦いで全軍総攻撃のときに先頭に掲げて突撃したといわれています。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜の曳き出し

  10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 肉襦袢の後ろは赤と青の配色が鮮やかです。赤で上杉家の「竹に(飛び)雀」の家紋、青で平野町の「平」の文字が描かれています。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜の曳き出し

  10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 曳き出しが始まりました。



唐津くんち・10番曳山・上杉謙信の兜の曳き出し

  10番曳山・上杉謙信の兜(平野町)
 みごとに曳き出されました。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜の曳き子

  11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 赤い衣装の一団が登場です。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜の曳き子

  11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 曳山が姿を現しました。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜のかわいい曳き子 唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 かわいい曳き子が応援しています。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 目の前を通り過ぎていきました。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜

  11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 ベテランもほとんどが肉襦袢姿です。赤地に大きく「米」の字が染め抜いてあります。下地の絵はしめ縄に御幣のようにも見えます。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 いよいよ曳き込み開始です。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜、餅撒き
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 曳き込みが完了した後に、縁起物の餅撒きがありました。あちこちの曳山で撒いていました。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 源頼光(948-1021)の兜の鉢の部分に、頼光に斬られた酒呑童子の頭が食いついているところです。鬼の頭だけあっていかにも恐い顔をしています。
 平安時代から鎌倉時代にかけて、京の外れの大江山に住む鬼・酒呑童子(山賊の棟梁であったともいわれる)はたびたび京の都で館を襲い、姫君を奪うなど悪事を働きました。当初は何者のしわざかわからなかったが、陰陽師安倍晴明が占ってその正体を明らかにしました。
 帝は源頼光に鬼退治を命じ、頼光は配下の四天王といわれた渡辺綱、坂田金時(まさかりかついで、足柄山で熊と遊んで少年時代を過ごしたあの金太郎です)らを引き連れ、みごと酒呑童子を成敗しましたが、酒呑童子の首は切られてもなお頼光の兜に飛んできて噛み付いたそうです。
 源頼光の鬼退治として語り継がれ、能、歌舞伎などで演じられています。

 なお、この時源頼光が酒呑童子を斬った(といわれる)刀は後に「童子切安綱(どうじきりやすつな)」と銘された天下の名刀で、天下五剣の一つと称えられる日本刀の横綱です。歴史的にも名高く、伯耆(ほうき)国(島根県)安綱の作です。これまでに、源満仲、源頼朝、室町将軍家家宝、秀吉、家康、秀忠、越前松平家、作州津山松平家、、、国が買い上げ、と所有が変遷し、現在は東京国立博物館にあり、国宝に指定されています。

 渡辺綱一行は、鬼征伐に先立ち、石清水八幡、住吉明神、熊野権現に必勝祈願をして出発したが、途中三人の老人(実は三神の化身)から、酒と兜をもらいました。その酒で鬼を酔わせて切り、食らいついてきた鬼の首は普通の兜なら噛み砕いていたのでしょうが、神からもらった星兜のおかげで命を守ることができました。
 星兜は平安中期ごろから作られ始めた形式で、兜の鉢を形成する鉄板をつなぎ留める鋲の頭を表面に出したままにしたもの。鋲の頭が星に見えるのでこの名がつきましたが、兜の形式の名前であって、特定の兜の銘ではありません。
 渡辺綱の兜は、後に福島正則が愛用したと伝えられています。

 渡辺綱には羅生門の鬼退治の伝説もあります。渡辺綱が京の一条戻橋を通りかかると、妙齢の美女が家まで送ってくれと頼みます。綱は水面に映った女の顔を見て鬼女と見抜き、鬼女は綱を殺そうとするが、ついに綱の刀が鬼女の左腕を切り落とします。女は羅生門に棲む鬼だったのです。(「御伽草紙」では、この鬼は実は大江山の副将格の「茨木童子」であるとされ、酒呑童子の話と一連の物語にされています。)
 相談を受けた安倍晴明は、鬼は必ず腕を取り返しに来るから、7日の間誰にも会わず、経を読んで過ごすように渡辺綱に教え、切り取った鬼の腕に封印を施します。6日目、綱の叔母がいなかから訪ねて来ました。一度だけどうしても鬼の腕を見たいと懇願され、綱は腕の封印を解いて見せました。すると叔母は突如鬼に変わり、その腕を取り戻して虚空に消えていきました。(「平家物語」他多数。歌舞伎にも「茨木」「戻橋」などの演目がある。))
 
 また、渡辺綱が一条戻橋で鬼女の腕を切り落とした刀は、源頼光から拝領した源氏の名刀「髭切」でした(刀工は筑前国三笠郡の出山(土山?)というところに住む唐国の鉄細工師)。「髭切」はその後「鬼切」「獅子ノ子」「友切」再び「髭切」と名を変え、源氏に伝えられました。

 「髭切」と兄弟刀の「膝丸」は両方とも源満仲が作らせたもので、源頼光(土蜘蛛を退治したので「蜘蛛切」と命名)、源頼綱、源頼義、源義家、源為義(刀が不思議な音を出すので「吠丸」と命名)、熊野別当教真、熊野別当田辺湛増、源義経(刀が熊野の春の山を通って来たことから「薄緑」と命名)と伝わり、その後、曽我兄弟、源頼朝、新田義貞、奥羽最上氏、と伝わっていったといわれます。
 以上の話は「平家物語」「源平盛衰記」他数書に記されていますが、持ち主の変転は実際のところは事実かどうか不明です。
 ただし、「髭切」と「膝丸」はともに源氏の重宝とされていたことは間違いなく、「髭切」は京都の北野天満宮に重要文化財として、また「膝丸」は箱根神社に奉納されたとも伝わるが、神社の宝物一覧には含まれていないそうです。。
 (なお、平家の重代の宝刀は「小烏丸(こがらすまる)」で、皇室の御物となっています。)

 渡辺綱は当時随一の美男としても有名で、いろいろな物語りや芝居に登場します。
 鬼を退治できたのは神のおかげとして寄進した(といわれる)石灯籠が、北野天満宮に残っています。

 昔は人智を超えた存在のもの(鬼)が恐ろしかったので、鬼の話が多数残されています。。
 現代では、人智を超えた鬼よりも、人智をまるで解しない(?)鬼嫁のほうがはるかに恐ろしいと、家の隅っこに隠れて息をひそめて(?)生きる男が増えているとの説もあります。

 



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜の曳き出し
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 曳き出しが始まります。



唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜の曳き出し 唐津くんち・11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜
 
11番曳山・酒呑童子と源頼光の兜(米屋町)
 「エンヤ、エンヤ」の力強い掛け声とともにやがて曳き出され、町内へと曳かれていきました。



   

   ◆このページの先頭に戻る ◆前のペ−ジ ◆次のペ−ジ
   ◆唐津くんち・宵ヤマ(1)1番曳山・赤獅子〜7番曳山・飛龍
     唐津くんち・宵ヤマ(2)8番曳山・金獅子〜14番曳山・七宝丸
    唐津くんち・曳山(1)1番曳山・赤獅子 2番曳山・青獅子 3番曳山・亀と浦島太郎
    唐津くんち・曳山(2)4番曳山・源義経の兜 5番曳山・鯛 6番曳山・鳳凰丸 7番曳山・飛龍
    唐津くんち・曳山(3)8番曳山・金獅子 9番曳山・武田信玄の兜 10番曳山・上杉謙信の兜 11酒呑童子と源頼光の兜
    唐津くんち・曳山(4)12番曳山・珠取獅子 13番曳山・鯱 14番曳山・七宝丸
   ◆トップページに戻る