11月3日、唐津くんちに出かけました。 朝9時半ごろ、前日に駐車した唐津城の市営駐車場に着きましたが、タッチの差で満杯となったため、市の北東部にあるロイヤルホテル東側に設置してある臨時駐車場に停めました。ここは数百台のスペースがあり、祭りのパンフレットももらえました。このパンフレットはB3版の大判に14台の曳山の写真・説明、裏には巡行コースが分りやすく図示してあり、大変役にたちました。(観光案内所や、2日夕方には各町の曳山小屋周辺にも置いてありました。) この日はお旅所巡幸で、朝9時半に唐津神社を出発した神輿を14台の曳山が守って市内を一周し、昼前にお旅所の西の浜に到着します。西の浜は砂地になっていて、ここで曳山の「曳き込み」「曳き出し」が行われます。これが唐津くんちを代表する場面で、私もテレビなどでこのシーンを見てきました。 私はお城や城壁址などを眺めながら西の浜を目指して歩き、12時からは西の浜の手前で曳山が近づいてくる様子を見ることにしました。秋晴れの好天気で、青空の下で14台の曳山が曳かれていく風景を十分楽しみました。 最後の曳山が通り過ぎ、1時半ごろ全部の曳き込みが終わると、お旅所の西の浜に並んだ14台の曳山を近くでゆっくり眺めて過ごしました。 3時ごろから始まる「曳き出し」は西の浜で見ました。砂地にめり込んだ曳山を、「エンヤ、エンヤ」の掛け声に合わせ、2,300人の曳き子が曳き出すのは、まさに力のこもった一大絵巻でした。 唐津くんちは国の重要無形民俗文化財に指定されています。 唐津くんちのスケジュール 11月2日 宵ヤマ(宵曳山)(19時30分〜22時) おくんちの前夜祭で曳山に提灯を飾り、町内を曳き廻します。 (早朝5時から曳山展示場に格納されている14台の曳山が各町内に曳き出されます。) 11月3日 お旅所神幸(9時30分〜16時30分) 唐津神社の神輿のお供をして進む曳山。西の浜での曳き込み、曳き出しは祭りの圧巻です。 11月4日 町廻り(10時30分〜16時30分) 町人の祭りとして火消し組の名残の法被に身を固め、旧城下町を曳き廻します。 唐津くんちの曳き出しの音声はこちらをクリックしてください。 (1)曳き出し音声1・・・(5分50秒) 祭りの内容・日程・コース等の詳細は次のHPに掲載されています。 「唐津観光協会」 「唐津くんちに来んね!」 |
町の中を曳かれるときは3番曳山の後ろに唐津神社の2台の神輿が入り、8番曳山の後ろに大石大神社の神輿が入り、神輿の前後を14台の曳山が守って進みます。 昼12時ごろ、お旅所には神輿が最初に入ります。 唐津神社の2台の神輿(一の宮、二の宮)と大石大神社の神輿が曳かれていきました。 |
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お旅所の西の浜では午後3時前に神事が執り行われました。 昔、この浜で唐津神社の御神体が見つかったので、ここがお旅所に定められ、毎年ここに里帰りされているそうです。 神事が終わると神輿が出発し、14台の曳山の曳き出しが始まります。 |
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1番曳山・赤獅子(刀町)1819年奉納 赤獅子が姿を現しました。この後、お旅所の西の浜に引き込まれます。 |
西の浜のお旅所。 12時から14台の曳山の曳き込みが始まります。なにしろ下が砂地なので、2〜5トンもある曳山は砂にめり込み、なかなか進みません。ここが町の若者たちの力の見せ所です。全力で綱を曳き、広場の指定された場所まで曳き込みます。見物客の声援を受けながら、1時間半前後で次々に曳き込まれます。 1時半〜3時ごろの間は14台の曳山がここに並べられていて、だれでも近くで見ることができます。 西の浜の西側には1番曳山の赤獅子から7番曳山の飛龍まで順番に並べられていました。 |
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1番曳山・赤獅子(刀町) お旅所に鎮座しています。先頭を曳かれる1番曳山の赤獅子の頭には御幣が載せられています。 |
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1番曳山・赤獅子(刀町) 午後3時「曳き出し」が始まりました。 赤獅子の曳き出しの先頭ではかわいい曳子が采を振って応援していました。 |
1番曳山・赤獅子(刀町) 西の浜から「曳き出し」が始まりました。二本の綱に取り付いた2、300人の曳子が、競り囃子に合わせ、「エンヤ、エンヤ」の掛け声で綱を全力で曳きます。しかし、砂にめり込んだ数トンの曳山は簡単には動きません。 |
1番曳山・赤獅子(刀町) 台上りの若者の采と競り囃子とまわりのリーダーたちの叱咤激励に合わせ、赤獅子は少しずつ曳かれて進み、やがて砂浜を出ていきました。見物客は拍手喝采です。 |
2番曳山・青獅子(中町) 中町の曳き子の先頭の子どもたち。黒の江戸腹(腹掛け)とパッチ(股引)の上に緑の肉襦袢姿です。 |
2番曳山・青獅子(中町) 中高生になると緑の肉襦袢を脱ぎ、江戸腹に手甲姿です。肩からたすきに掛けている組紐はお守りです。 肉襦袢の模様や帯、鉢巻などは町によって異なって、それぞれの町の曳山にちなんだ模様になっています。腹に突っ込んだ草履は予備のものでしょうか。他の町内ではあまり見かけなかったようですが、町のよっていろいろな慣習があるのでしょうね。 |
2番曳山・青獅子(中町) 曳山のすぐ前は一番体力のある若者のグループが曳いています。 |
2番曳山・青獅子(中町) 曳山には笛、鉦、太鼓の囃子方が乗っていて、進行中はずっと演奏が続きます。ほとんどの町内で中高生が担当しています。 曳山囃子には動いているときに奏でる「競り囃子」と止まっているときに奏でる「立て山囃子」があるそうです。 |
2番曳山・青獅子(中町)1824年奉納 お旅所に鎮座しています。 |
2番曳山・青獅子(中町) 曳き出しが始まりました。 |
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2番曳山・青獅子(中町) 砂にめり込み、ゆさゆさと揺れる曳山の上で、台上りの二人の若者が采を振り続けます。 |
2番曳山・青獅子(中町) もう少しで曳き出されます。 |
2番曳山・青獅子(中町) 西の浜から「エンヤ、エンヤ」の掛け声とともに曳き出されていきました。 |
3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) 町によっては女子も大勢参加しています。全員参加型の祭りは親子いっしょに参加できるところがいいですね。奥さんは弁当を作り家族に届けたり、小さな子といっしょに曳山の後ろをついて歩いたり、裏方の役で大変です。しかし、家族全員で祭りに参加できて毎年子どもの成長を確認できるのは、楽しみでもあるのではないでしょうか。 お祭りの日には近所や祭りに参加した人たちを招き、豪勢な食事をふるまう風習が続いていて、ありったけのお金を祭りに散財する気風のよさも健在とのことです。 |
3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) 中高生の組が進んでいきます。 |
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3番曳山・亀と浦島太郎(材木町)1841年奉納 オレンジ色の鉢巻を巻いているのが材若の若者グループでしょうか。 台上りなど曳山の上に乗る人だけが白い鉢巻を締めるそうです。 |
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3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) 亀の後部です。曳山は上下にも高さが調節できる、進むときはシーソーのように揺らされ、その上に若者が立っています。 |
3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) 年配者は後ろから曳山の進行に目を配りながらついていきます。順調なときは若い者にまかせておけばいいのですが、いったん何かアクシデントが起こったときには出番です。なにしろ何十年も曳山を曳き続けた猛者ぞろいです。 左側二人の白い装束が「肉襦袢」で、右側の年配の人たちはその上に長い「法被」を着用しています。背中には「材」の文字がデザインされています。 |
3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) お旅所に鎮座しています。 ここでは200年近く経った「漆の一閑張り」を近くで見たり、曳山に乗って写真を撮ったりも可能でした。 曳山は数十年おきに修理しながら祭りに使っているそうですが、いま新しく作れば1台で1億〜2億円かかるそうです。 |
3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) 台上りは綱一本に命を託し、町の名誉のために身体を張ります。 |
3番曳山・亀と浦島太郎(材木町) 大亀は競り囃子と「エンヤ、エンヤ」の掛け声と共に、見物客の拍手に送られ、西の浜を出ていきました。 |
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