JR日田駅の南側一帯に位置する隈・竹田地区の4基(三隈町、大和町、川原町、若宮町)と平成山鉾の計5基の山鉾は、それぞれの町を午後6時ごろ出発して、並んでゆっくり進みながら、7時ごろ日田駅前に近づいてきました。(歩いたら10分くらいの距離です。) 天領日田は江戸時代、九州各地の天領を管理する役目を与えられ、徳川幕府直轄の地として繁栄しました。日田祇園祭はおよそ500年の歴史を有し、豪華な山鉾は江戸時代の繁栄を彷彿とさせてくれます。 隈町は文禄3年(1591)、豊後日田・玖珠2万石の蔵入地代官を務めた豊臣秀吉配下の宮木豊盛(長次郎)が日隈山(現在の亀山公園)に城を築き、その対岸に開いた城下町が起源だそうです。 豆田地区が開かれたのが1601年のようですから、町としては隈町のほうが10年ほど古いようです。 三隈町の巡行中のお囃子の音声(2分50秒、mp3)です。 |
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三隈町の山鉾。華題「義経千本桜 河連法眼(かわつらほうげん)の館」 |
三隈町の山鉾。 子どもたちが曳き綱の先頭を曳き、山鉾が町の中を進みます。 |
三隈町の山鉾。 山鉾には祇園囃子の囃子方が乗っていて、道中お囃子を演奏します。 囃子方は笛4,5人、太鼓1人、三味線1人で構成されます。レパートリーは約50曲もあるそうです。 |
三隈町の山鉾。 曳き綱を曳いているのか、曳き綱に曳かれているのかわかりませんが、2,3才の子どもも参加しています。 町の祭りを引き継いでいってくれる町の宝です。 |
大和町の山鉾。 山鉾の前の棒にはそれぞれ3人の力持ちの若者がついていて、山鉾の進む方向を変える仕事をします。 |
大和町の山鉾。 前では山鉾の進む方向を少し変えようとしています。わずかの角度の時は進みながら変えていました。直角に曲がったりするときは後ろの押し方を止めて、前の6人で山鉾の前部を担ぎ上げて角度を変えます。力の見せどころです。 |
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大和町の山鉾。 上で電線をよけています。上部でお宮が横に張り出しているので、横の電線にも接触するようです。 町内のある程度限られた道路とはいえ、10メートル前後の山鉾が通れるようにしている日田市の電柱の施策も大したものです。(どこの町も5メートルの高さの物が通れる区間は限られるのが普通と思いますよ。) |
大和町の山鉾。 子どもたちに曳かれて進んできました。 |
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大和町の山鉾。華題「連獅子」 |
大和町の山鉾。 ようやく駅前の大通りに近づいてきました。 |
沿道のかわいい見物人たち。 |
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川原町の山鉾。華題「鳴神不動北山桜」 |
川原町の山鉾の囃子方。 |
川原町の山鉾。 方向を少し変えています。 |
川原町の山鉾。 山鉾のエンジンが働き続けます。 |
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川原町の山鉾。 もう一息で日田駅前に到着です。 |
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楽しく見物中の仲良し3人組です。 |
若宮町の山鉾がやってきました。 |
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若宮町の山鉾。華題「景清牢破の場」 |
若宮町の山鉾。 後ろの押し役は(2段x4人+2人)のようです。 (他に両端の紐を曳く人がどの山鉾も2人ついています。) |
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平成山鉾。華題「ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)」 |
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平成山鉾。 方向を変えています。進む方向は山鉾の7,8メートル前にいるリーダーが指示を与えていました。 |
平成山鉾。 方向を変えています。それぞれの山鉾でおもしろい組み方をします。 |
午後7時ごろ、全部の山鉾が日田駅前に集合してきました。 これから順番に駅前広場に並び、集団顔見世が始まります。 |
駅前広場に9基の山鉾が並びました。7時半から「日田祇園山鉾集団顔見世」が始まり、美しい提灯山鉾を見せてくれるようです。どのような絵巻が現れるのでしょうか。 |
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