九州あちこち歴史散歩★日田祇園山鉾集団顔見世2011(1)           サイトマップ

日田祇園山鉾集団顔見世2011(1)

   大分県日田市の日田祇園祭(今年は7月23,24日)に先立って、7月21日に「日田祇園山笠集団顔見世」が開催されました。
 私は日田祇園祭をまだ一度も見たことがなく、日田の山鉾が豪華で美しいと聞いていましたので「集団顔見世」を見物に出かけました。
「日田祇園山鉾集団顔見世」は豆田地区4基、隈・竹田地区4基と平成山鉾の計9基の山鉾が夜7時30分から1時間余り日田駅前に集合し、美しい提灯山鉾を見せてくれます。日田の全部の山鉾を、しかも夜の美しい提灯姿を一度に見ることができるので、楽しみにして出かけました。
 日田の山鉾の規模や曳き方など全く見たことがなかったので、夕方に日田市南部の隈・竹田地区を歩き回り、各町から山鉾が駅前に集合する場面から見物しました。この地区の山鉾は10メートル前後の高さがあり、天高く提灯を飾った山鉾が民家の並ぶ道路を進むようすは古き良き時代をなつかしく思い出させ、500年続くという祭りの歴史を感じさせる楽しい風景でした。

 日田祇園祭の詳細は 日田祇園山鉾振興会HP に掲載されています。



  三隈町の山鉾。華題「義経千本桜 河連法眼の館」
 
三隈町の山鉾 華題「義経千本桜 河連法眼(かわつらほうげん)の館」
豪華な人形や花、提灯などがまるで天に向ってそびえています。



 三隈町の山鉾 華題「義経千本桜 河連法眼の館」
 
三隈町の山鉾 華題「義経千本桜 河連法眼の館」
人形は上から源義経、静御前、狐忠信。
私は歌舞伎はほとんど知りません。山鉾納所の前で左下の白い人形は誰かなあ?とけげんな顔をして眺めていたら、三隈町の女将さんが「静御前の持っている鼓に張られている狐の皮が父と母の皮と知った子の源九郎狐が、義経の家来・佐藤忠信に化けて父母に会いに来たのです。」と説明してくれました。

「義経千本桜」「菅原伝授手習鏡」「仮名手本忠臣蔵」は義太夫狂言、歌舞伎の三大傑作といわれ、もっとも有名な演目だそうです。そのうち外国人のほうが歌舞伎のことに詳しくなってしまうのかなあ。
 ストーリーは知らなかったが、このような山鉾や人形を見たら心が躍ります。
(私は落語を毎晩聞きながら寝ます。「猫の忠信」という演目がありますが、これは歌舞伎の狐忠信を下敷きにしたものと初めて知りました。)



三隈町の元気のいい子どもたち。

  三隈町の子どもたち
 出発を前に元気いっぱいです。子どもも全員「きんちゃく」を腰に下げています。



三隈町の山鉾。提灯が飾られた見送り側。
 
三隈町の山鉾(後ろ側)
 既に提灯が背面いっぱいに取り付けられています。



三隈町の山鉾。子どもたちが綱を曳いていよいよ出発。

  三隈町の山鉾
 夕方6時ごろ、日田駅前を目指して「いざ出発」です。
 綱を曳く子どもたちが先頭を曳きます。



三隈町の山鉾。狭い通りを進みます。
  三隈町の山鉾
 天領日田はもともと城下町。城下町の道路は狭いところが多いのです。
 狭い道路を山鉾が進むときは見てる方がハラハラします。何しろまわりの二階家の屋根より高いのです。しかも山鉾の上部が広がっているので、電線に絡みそうです。10メートル前後の山鉾が町中を進むのは大変なことです。



路側緑地帯のひまわり

   駅前の大通りの歩道には緑地帯が設けられ、いろんな花が植えられていました。
 久しぶりにひまわりに出会いました。



大和町山鉾納所の山鉾。
 
大和町の山鉾。町の山鉾納所に入っています。



大和町の山鉾。頑丈な車輪。
 
 山鉾の車輪部分。いかにも頑丈そうな木の車輪が取り付けてあります。これで3〜4トンの重さを支えます。
 車輪は祭の期間以外は年中池に沈めておくそうです。(乾燥してひびが入りやすくなるのを防ぐのでしょうね。)



大和町の山鉾。華題「連獅子」
 
大和町の山鉾も山鉾納所から道路に出されました。しかし、ここで山鉾上部のお宮の飾りが電線と絡んでしまったようで、屋上にいる2人の男性が必死に電線から外そうとしています。

 



大和町の山鉾。華題「連獅子」

  大和町の山鉾。華題「連獅子」
 きれいな人形ですね。表情もすばらしい。
 日田の9台の山鉾の人形はすべて一人の人形師(日田唯一の人形師「長島作造氏」)が作っておられるそうです。驚きました。全部の人形の配置、所作、衣裳などを毎年創造していくのは大変な能力と努力ですね。
(ねぶた祭りや博多の飾り山笠のように数人以上の人形師が、それぞれの町の人形を作っているものとばかり思っていました。昔は町ごとに人形師がおられたそうですが、今は日田に唯一人だけだそうです。)



大和町の元気のいい女の子。 お父さんに抱かれて0歳から祭りに参加です。
 
左:暑い夏祭りに涼風を吹き込んでくれる元気のいい女の子です。

右:お父さんに抱かれて0歳から祇園祭に参加しています。2,3年後には曳き綱を曳いて親子で祭りに参加してくれることでしょう。子どももやる気満々の表情です。



大和町の山鉾。いよいよ出発です。
 
 大和町の山鉾。
 1年間待った祇園祭。さあ、出発です。



大和町の山鉾。若者たちがエンジンとなって押し続けます。

   若者たちは全員山鉾の後ろで押し役です。彼らが山鉾のエンジンになります。
 大和町の山鉾は3列x4人の体制で押しています。
 足元は全員、黒足袋に草鞋ばきです。(これはどの山鉾も同じのようでした。)



大和町の山鉾。押されて進みます。
 
 彼らは頭も上げずにただひたすら押し役に徹していました。彼らが汗をかくのを嫌がって手を抜いたら、祇園祭は成り立ちませんね。



明治時代から営業している「原次郎左衛門」の建物

   日田には多くの古い町屋が残っています。(北部の豆田地区は特に有名ですね。)南の隈・竹田地区にも古い町屋が残っていて、この店は明治時代から味噌醤油を扱ってきた商店で「原次郎左衛門」の看板がかかっています。
 この近くの路上に「平成山鉾」が鎮座し、そびえていました。





川原町の山鉾。華題「鳴神不動北山桜」
 
川原町の山鉾。華題「鳴神(なるかみ)不動北山桜」



川原町の山鉾。華題「鳴神不動北山桜」

  川原町の山鉾。華題「鳴神不動北山桜」
 すばらしい表情ですね。



川原町の山鉾。見送り側。
 
川原町の山鉾。見送り(後ろ)側。日中には美しい緞帳が飾られているそうですが、夕方の今は既に提灯が全面に飾られ、提灯山鉾となっています。



川原町の山鉾。推し手を扇ぐ女の子。

  川原町の山鉾。
 後部のエンジン部分には女の子が乗って大きな団扇(うちわ)で涼風を送り、エンジンの熱を少しでも冷まそうとがんばっています。



  川原町の山鉾。前は三隈町の山鉾。
 
川原町の山鉾。(前を進むのは大和町の山鉾。)
 隈・竹田地区の山鉾は各町から広い通りに出た地点で、5基並んで駅前へ進みます。



  川原町の山鉾。前は三隈町の山鉾。
 
川原町の山鉾。(前を進むのは大和町の山鉾。)
 大通りになりました。日田駅前も近くなったようです。



明治時代からの「原次郎左衛門」の建物

  明治時代の「原次郎左衛門」の店。
 中には河童(かっぱ)のコレクションが陳列されていました。中でゆっくりラムネをいただきました。何十年ぶりでしょうか。



若宮町の山鉾。華題「景清牢破の場」
 
若宮町の山鉾。華題「景清牢破(ろうやぶり)の場」



若宮町の山鉾。見送り側。
 
若宮町の山鉾。見送り側。



若宮町の山鉾。数十年来の昔話がはずみます。
 
若宮町の山鉾。
 昔話がはずんでいるのかもしれません。2,3才のころから祭りに参加し、それから数十年いっしょに祭りを楽しんで(支えて)きた仲間なのでしょう。



若宮町の山鉾。華題「景清牢破の場」

  若宮町の山鉾。華題「景清牢破の場」
 力感にあふれています。



  若宮町の山鉾。
 額は「護国」。江戸時代から続いているのでしょうね。
 (すべての山鉾がそれぞれ額を掲げています。)



日田の古い町並み

  日田市内には古い家並みが残っていて、なつかしさを感じます。



隈町の「平成山鉾」。天までそびえています。
 
隈町の「平安山鉾」。天までそびえています。
 「10メートルを越す高さの山鉾を復活させよう」との機運が高まり、平成2年に完成した新しい山鉾だそうです。

 私は夕方、どこに行ったら山鉾に会えるか皆目わからず、日田駅前からとりあえず南へ歩いていきました。そして最初に出会ったのがこの山鉾でした。その威容に驚きました。こんなに見上げるほど背の高い豪華なものとは思いもしませんでした。



隈町の「平成山鉾」。提灯が飾られた見送り側。
 
隈町の「平安山鉾」。見送り側の威容。



「平成山鉾」の少女たち

元気のいい子どもたちが来ていました。
日田の祇園祭りは0歳の赤ちゃんから90歳のおじいちゃんまで、楽しみながら参加して守り続ける自分の町の祭りというほのぼのとした感じを受けました。(若者たちは汗を流し続けないといけませんが・・)。

 



隈町の「平成山鉾」。華題「ひらかな盛衰記 逆櫓」

隈町の「平成山鉾」。華題「ひらかな盛衰記 逆櫓(さかろ)



隈町の「平成山鉾」。華題「ひらかな盛衰記 逆櫓」

  隈町の「平成山鉾」。華題「ひらかな盛衰記 逆櫓」
 こちらの人形も力感あふれる所作、表情ですね。


   

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