平成23年(2011)7月23日(土)、24日(日)に日田祇園祭が開かれました。 (毎年7月20日すぎの土曜日と日曜日に開催されます。) 私は今年は日田市中心街南部の隈・竹田地区に出かけました。両日とも日中は全部の山鉾が町内を巡行しますが、「晩山」は23日に平成山鉾、24日に地区の4基が集まるようなので、24日に見物に行くことにしました。ところが、この日は曇りときどき雨のぱっとしない天気で行くかどうか迷って出足が遅れたのですが、提灯山の美しさを再度見たい気持ちが勝ち、午後4時ごろ日田市内に到着しました。 日中の巡行の美しく刺繍された「見送り幕」は今年は見物できませんでしたが、夕方に30分間ほど雨が降った以外は夜は天気ももってくれて、提灯山に変わった夜の山鉾を心いくまで堪能できました。 また、夜8時ごろ、札の辻で行われた「晩山」(4基の山鉾が集合し、お互いの力を誇示しあう「競り合い」、その時には、それまでの妙なるお囃子が流れ漆黒の空に提灯が揺れる静かな山鉾と違って、力強い若者たちのエネルギーがぶつかりあう山鉾の勇壮な動の一面を見せてくれました。「晩山」の「競り合い」では、お互いの山鉾が持てる力を誇示しあい、4トンもある山鉾の前部を持ち上げたり、1回転させたりする「腰切り」などで躍動する山鉾を楽しめました。 日田祇園祭の詳細は 日田祇園山鉾振興会HP に掲載されています。 |
夕方5時ごろ、30分前後雨がひとしきり降りましたが、その後は雨雲もやや薄くなりました。 隈・竹田地区はすぐ南側に三隈川が流れています。日田市を流れる時は三隈川ですが、下流の福岡県では筑後川と呼ばれる九州一の大河です。 江戸時代、徳川幕府の天領として栄えた日田は、各地の大名に金を貸し付ける金融業で、また筑後川を利用した商品の集積所として大いに栄えました。 天領日田は「水郷(すいきょう)日田」とも呼ばれています。 |
亀山公園 三隈川の中州となっている亀山公園には城が築かれていました。 九州を平定した豊臣秀吉は日田を直轄地とし、配下の宮木豊盛(長次郎)が文禄3年(1594)この山に城を築きました。 (この後、江戸幕府は日田を天領(幕府直轄地)として、豆田地区の北にある月隈山に1601年に築かれた丸山城を元和2年(1616)に改築して永山城と改め、西国大名を監視し、九州の各地の天領を管理しました。日田の商人はここに集まったお金を多くの大名に貸し付け莫大な利益を上げました。 このため豆田地区は城下町の面影が残り、隈地区は商人の町の面影が強いといわれています。 この二つの地区はともに発展し、掛屋(かけや)と呼ばれる多くの豪商が生まれました。豪華な山鉾も繁栄した町を彷彿とさせます。 |
三隈川は現在も豊富なきれいな水が流れています。 亀山公園の周辺ではかじかの鳴き声が聞こえていました。 |
夕方6時ごろには、空もやや明るくなり、夕焼けになりました。 |
川面には屋形船が出ていました。 ゆったりと流れる川面をや鵜飼いを眺めながら飲むビールもうまいことでしょう。 |
水郷日田は江戸時代から続く鵜飼いが有名です。 |
句碑 「吹きまくる 雪の下なり 日田の町」 夏目漱石 漱石さんは年に一、二度の真冬の吹雪の日に日田を訪れたようです。 |
それぞれの山鉾が「扁額」を掲げています。 |
山鉾の下部にもそれぞれの町の言葉を彫った「助け板」がついています。 |
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山鉾の後部は「見送り幕」が取り外され、提灯を取り付けていました。滑車で引きあげています。 |
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上部、前部はクレーンを使って取り付けています。 さすがに10メートルを越す高さだとクレーンを使っているのですね。 江戸時代後期はお互いの町が張り合って山鉾の高さが実に15メートルほどあったそうで、提灯も全部人手で取り付けていたのでしょうが、すごい意気込みですね。 現在でも日田の一年は、祇園祭から始まり、祇園祭で終わるそうです。 |
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「見送り幕」 三隈町の「龍」 取り外した見送り幕が、山鉾納所向かいのホテルのロビーに展示してありました。 見事な刺繍です。日田祇園祭の見送り幕は江戸時代後期のものが多いようです。 |
夕方6時ごろ、夜の提灯山鉾巡行の前に三隈町の人が集まって腹ごしらえです。 ほとんどの都市では町の住人が一堂に会するこのような風景は見られなくなりました。 |
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元気のいい兄妹です。 お母さんは結婚して近くの町に引っ越しましたが、毎年祇園祭のときは実家に帰ってきて祭りに参加しているそうです。祭りの時に実家や故郷に帰ってなつかしい祭りに参加したり、楽しんだりする人は多いですね。子どもの頃からの楽しい思い出が詰まっているのでしょう。 |
提灯の取り付けも完了し、雨よけのカバーも外され出発を待つばかりです。 |
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提灯に灯が入り、提灯山の巡行が始まりました。 |
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大和町の提灯山も町を巡行しています。 |
前では提灯山の方向を変えるために力持ちががんばっています。 大和町の山鉾は今年100年ぶりに新調され、重量は4〜5トンあるのではないかという話でした。 |
浴衣姿の見物客も多く見られました。 |
後ろの押し役も黙々と押し続けています。 |
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三隈町の提灯山 華題「義経千本桜 河連法眼の館」 夜の空に山鉾が浮かんでいます。 |
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大和町の提灯山(見送り側) この後、それぞれの町を巡行した4基の提灯山が、午後8時ごろ札の辻に集結し競り合いが始まります。 |
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