九州あちこち歴史散歩★姫島盆踊り2011(5)盆踊り(中央会場)(1) サイトマップ
北浦盆壷で地元北浦地区の「キツネ踊り」や「アヤ踊り」「鼓踊り」などを楽しんだ後、観光客が集まる中央会場に駆けつけました。すでに多くの観光客がまわりを取り巻いていました。 中央会場はフェリー乗り場のすぐ横の広場に作ってあり、数千人でも取り囲めるスペースはありますが、平地なので前方の人はござに座って、後方の観客は立って見ることになります。フェリーはほぼ1持間10分ごとに運行しているので、なるべく早く、できたら盆踊り開始前の2,3時間早めに来られることをお勧めします。帰りも早くフェリーに乗れます。 伊美港で乗船券購入時に帰りの切符も同時に購入してください。今年は18時25分発のフェリーに乗った人たちは、帰りの姫島発22時30分や22時50分発の乗船券が買えたようです。(盆踊り終了後に21時30分以降6便の臨時便が出ます。最終は23時50分となっています。) この数年、以前の大ブームの時期に比べると観光客の数は落ち着いてきているそうですが、それでも各晩に数千人は集まります。なお、5月の「姫島かれい祭り」、10月の「姫島車えび祭り」のときも、キツネ踊りやアヤ踊りなどが踊られるようです。その年の正確な行事内容は次のHPで確かめてください。 瀬戸内海国立公園大分県姫島観光案内 |
若い女性が美しい着物姿で踊っています。 |
同じ柄の艶やかな衣裳です。 |
中央会場はフェリー乗り場のすぐそばの広場に作ってあり、各地区の盆坪よりひとまわり大きく、直径20メートルくらいでしょうか。櫓の上で太鼓を叩き、櫓の横で盆踊り唄を歌うのは盆坪と同じ形式です。 観光客はほとんどこの会場で盆踊りを見るので、始まる頃には2,3千人の観客が取り巻きます。高さが数メートルある山笠や山鉾などなら後ろからでも見えますが、盆踊りは平地で踊るので(舞台があるわけではない)、人垣の後ろからではどうしても見にくくなります。時間に余裕があれば盆踊りの始まる2,3時間前には姫島にやってきて、席を確保してから島内を散歩したり、車えび料理で腹ごしらえをするのがベターです。 |
琉球の衣裳で、手に四つ竹をつけて鳴らしながら踊っていました。 (それぞれの踊りの名前や踊っている地区は、踊りに見とれていてメモを取っていなかったのでわかりません。踊っているみなさん、ご容赦ください。 なお、(1)(2)に掲載した写真の踊り以外にも10グループ前後の踊りがありました。)全部で30余りの踊りがあったようです。 |
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子どもたちの「どじょうすくい」 滑稽でかわいいです。 |
口のまわりの大きな輪がユーモラスですね。田吾作どんの顔になりました。 足も片方は長靴で、もう片方は靴やぞうりです。 |
手にはざるを持ち、腰にはびくを下げています。 |
今夜は何匹の魚が獲れたでしょうか。 |
中央会場ではこれから相撲の土俵入りが行われるようです。 |
突いて、突いて、押して、押して・・・。アー、ドスコイ、ドスコイ。 いや、相撲大会ではありません。 これは伝統踊りの「銭太鼓(ぜんだいこ)」です。松原地区の青年男女が踊っています。 男子は銭太鼓と呼ばれるふぐの皮を張った片面の太鼓を持ち、女子の間を縫うように腰を落として踊ります。男子の重厚な踊り、女子の優雅な踊りが対照的です。 |
女性は優雅に踊っています。このような姿を柳腰というのでしょうね。 |
やや、なんと。柳腰の踊り手は男性でした。 (どうみても男性で間違いないですよね。間違っていたら私はどれだけ怨まれるか・・・) |
この身のこなし。なんとも踊り達者ですねえ。姫島の玉三郎です。 |
男性は銭太鼓を2個持って踊っています。 |
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中学生による「温泉湯もみ踊り」(私の推測です。) 手に持っている板は船の櫂ではなく、温泉の湯もみに使う板でしょうね。 |
温泉に浸かっている雰囲気です。 姫島にも拍子水温泉(冷泉)があり、糖尿病、高血圧症などに効能があるそうです。 |
各地区や学校などで、毎年新しい踊りを創作していくそうです。 どんな踊りが受けるかみんなで知恵を出し合って作るのでしょうね。 作るのを楽しみ、踊って楽しみ、他の地区の踊りを見て楽しみ、みんなに受けたのは残し、それほどでもなかったらまた来年新しい踊りを考える。こうして数百年も盆踊りが続いてきているのですね。毎年踊りが変わるというのは珍しいパターンですね。 |
アヤ踊りのようです。 盆坪のやや内側で踊っています。 |
男は上半身裸というスタイルが多いですね。さすが漁師町の心意気です。 |
西浦地区の伝統踊り「猿丸太夫(さるまんだゆう)」。 |
全員揃いの帯と着物です。 |
実に優雅な踊りです。 |
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「猿丸太夫」は鶴崎踊りなどでも踊られる、大分県を代表する踊りです。 |
西浦地区の若い女性が優雅に踊りました。 着物のデザインも粋ですねえ。 |
「曾我兄弟の仇討ち」踊り。 衣裳も凝っています。 |
顔には隈取りが施してあります。 |
以前は姫島にやってくる芝居などをすぐ自分たちの踊りに取り入れていたそうです。 「曾我兄弟の仇討ち」を見ればそういうパターンもなるほどと肯かれます。 |
曾我兄弟の仇討ち」は日本三大仇(あだ)討ちの一つで、歌舞伎でも人気を集め、各地の田舎歌舞伎、田舎芝居でも人気のある演目でした。曾我兄弟が国民に人気があったこともあり、日本の各地に曾我兄弟のお墓が作られています。 |
曾我十郎(兄)、五郎(弟)の兄弟は鎌倉時代、源頼朝が富士の裾野で行った盛大な巻狩りの際に、17年かかって父親の仇(かたき)である工藤祐経(すけつね)を討ち果たしました。 日本三大仇討ち ・曽我兄弟の仇討ち ・赤穂浪士の討ち入り ・伊賀越えの仇討ち(渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇・河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った。) |
「四つ竹」 若い女性(中、高校生?)が手に四つ竹をはめ、カチャカチャ鳴らしながら踊ります。 |
なんと若々しい姿でしょうか。 |
楚々とした姿は竹久夢二の描く大正浪漫の娘さんを思い出させます。 |
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ユーモラスな踊り、子どもたちのかわいい踊り、滑稽で笑い転げる踊りなどが多い中で、みんなが娘さんの楚々とした踊りをうっとりと見入ったひとときでした。 |
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