九州あちこち歴史散歩★長崎くんち2013(4)御朱印船(本石灰町) サイトマップ
大波止で庭先回りを続けている御朱印船に出会いました。 本石灰町(もとしっくいまち)の先曳きの衣裳が今回はアオザイになっていて新鮮な感じでした。 JR長崎駅のかもめ広場で船回しなどの豪快な演技を見ましたが、御朱印船の主人公の豪商・荒木宗太郎の墓を昨年のくんちの時に訪れたこともあって、なつかしい感じがしました。 長崎くんちの出し物にはそれぞれの歴史があるのですね。 |
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本石灰町の「先曳き」のお嬢さんは今回からベトナムのアオザイの衣裳を取り入れて、新鮮な感じでした。 これは長崎の御朱印船の主人公の大貿易商人・荒木宗太郎とベトナム(交趾)など東南アジアとのつながりを表したものでしょう。 祭りの本質的な部分は400年の伝統を守り、ある部分は新しいアイデアを取り入れて町の独自色を出して祭りを盛り上げています。 本石灰町の先曳きは全員、庭先回りを行う家に対してはきはきと挨拶しており、まわりにいる私達も気持ちが爽やかになりました。 |
12時ごろ、県庁からお旅所のある大波止の方に行くと、本石灰町の御朱印船の庭先回りに出会いました。 |
船上では子供たちが元気よくお囃子を続けています。 |
午後2時頃、JR長崎駅のかもめ広場に御朱印船がやってきました。 舳先には長崎の豪商・荒木宗太郎とその妻が乗っています。妻は中部ベトナム(交趾(こうち)国)の王族阮氏の娘で、長崎では「アニオーさん」と呼ばれました。 |
荒木宗太郎は戦国時代から徳川時代初期にかけて、朱印船貿易が盛んだった頃に活躍した大貿易商人です。 宗太郎は肥後熊本の武士でしたが、天正16年(1588)に貿易港として発展を続けていた長崎に移住し、貿易で財を成し、現在の飽の浦公園の地に壮大な屋敷を構え、朱印船貿易商として活躍しました。 豊臣秀吉が全国を統一すると、朱印状を持った船だけが「御朱印船」として異国との取引を公に認められ、南海貿易をほぼ独占的に行うことができました。 朱印状は文禄年間に豊臣秀吉がみずからの朱印を押した鑑札を茶屋四郎次郎、角倉了以、末次平蔵、荒木宗太郎ら八人の豪商に下したのが始まりとされています。 |
堂々と「荒木宗太郎」と「アニオーさん」役を演じています。 船の帆に描かれた東インド会社のVOCのマークを逆さにしたものは、当時の宗太郎の船のマークです。 |
御朱印船の演技が始まります。 |
力のいる「船回し」が始まりました。 この御朱印船は重さ5トンあるそうです。 当時、東南アジアとの貿易が盛んになるにつれ、船も改良・大型化し、中国のジャンク船を基本として一部西洋の構造を取り入れ、末次船、荒木船などと呼ばれた新しい帆船が登場しました。大きさは500〜750トン、乗組員は200人前後だったそうです。 |
衣裳は赤が基調の船とは対照的に白が基調のシックなもので、背中に大きな鶴、裾に荒波の模様を配しています。 |
力技が続きます。 当時の日本の輸入品は生糸、絹が中心で、輸出品は銀、銅、硫黄、刀などでした。 (絹は当時の日本でも生産されていましたが、品質が悪く、上質な絹の需要は大きかった。) 御朱印船の渡航先は次のとおりです。 ・交趾(こうち)(中部ベトナムの阮氏王朝) 73回 ・暹羅(せんら、シャムロ)(シャム=タイのアユタヤ王朝) 55回 ・呂宋(ルソン)(フィリピンのルソン島=当時スペインの植民地) 54回 ・安南(北ベトナムのハノイの鄭氏政権) 47回 ・…… これらの国の港で、それぞれの国の産物を交易しただけではなく、当時明国は日本との交易を禁止していましたが、これらの港で明国の貿易船と偶然出会ったことにして明国との貿易が行われました。 |
1635年、江戸幕府によって、すべての日本人の東南アジア方面への海外渡航と帰国を禁止する「第3次鎖国令」が発令され、朱印船貿易は終焉を迎えました。 東南アジアにおける貿易はオランダの東インド会社が独占し、莫大の利益を手にしました。 日本では、長崎の出島を唯一の貿易港として幕府が管理する体制が200年以上続きました。 |
采振りの指揮のもと、5トンの船を操ります。 |
異国風の衣裳に身を包んだ囃子方の子どもたちが独特のお囃子を続けています。 |
豪商荒木宗太郎が豊臣秀吉から朱印状を受けたことから、秀吉の千成瓢箪に因んで瓢箪を飾りとしています。 |
町の役員さんは山高帽をかぶり、紋付羽織にステテコに似たズボン姿の独特の衣裳で、和華蘭祭りの雰囲気が盛り上がります。 |
垂(たれ)の模様は「アニオー行列」です。 荒木宗太郎と「アニオーさん」の結婚披露行列はそれは盛大なもので、長く長崎の人々の語り草となったそうです。 |
「アニオー行列」の盛大さが、荒木宗太郎が住んだ本石灰町の傘鉾に再現されています。 |
豪快な船回しの演技が続きます。 |
采振りの指示で根曳衆が一糸乱れず動きます。 |
半年近く鍛錬を続けた力と技を見せる場面です。 |
歯をくいしばって5トンの御朱印船を回します。 |
東シナ海の荒波を乗り切った御朱印船が無事に長崎の港に入り、広場の「モッテコーイ」の声を背にして退場していきました。 |
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