九州あちこち歴史散歩★長崎くんち2012(3)オランダ船(江戸町) サイトマップ
遠くからオランダ船の根曳衆の掛け声や「しゃぎり」、ベルリラなどのお囃子の楽器の音が流れてきました。 近所のお店などで庭先回りを行いながら、だんだん中央公園に近づいているようです。やがてオランダ船がその姿を現わしました。 オランダ船を奉納する江戸町は、江戸時代に出島のすぐ正面に位置していたため、出島のオランダ人とも交流があったようで、1846年以降には「オランダ軍楽隊」を披露したそうです。その後、「兵隊囃子」「オランダ万才」などを経て、1983年から「オランダ船」を奉納しているそうです。 オランダ船の演技中の音声(4分58秒、mp3) 根曳衆の掛け声や子供たちのお囃子と観客の大声援のようすです。 |
江戸町の「オランダ船」登場 赤い着物が「長采(ながざい)」=総指揮者、青い着物が「采振り(さいふり)」=指揮者、水色の着物が根曳衆(ねびきしゅう)。 船上で囃子方を務める子供たちはオランダ風の服装です。 |
全員が整列しました。 |
整列した根曳衆が唄や掛け声を献上し、演技が始まりました。 演技の時の掛け声は「コンミ・シャーレ」です。これはオランダ語が訛ったものだそうです。 根曳衆が「コンミ」と声を掛けると、観衆が「シャーレ」と返し、みんなで盛り上がって楽しんでいます。 |
オランダ船が動き始めました。出航です。 当時、オランダ船は5月の風に乗ってインドネシア方面から日本(長崎)に来て、長崎くんちを見て、10月、秋の風に乗ってインドネシア方面に帰っていたそうです。 江戸時代、オランダ船で世界の珍しいものが長崎に運ばれてきました。象やらくだも運ばれて来たそうです。 |
船は出港して、凪の海を、順調に航海を続けています。 象は室町時代から江戸時代にかけて計7回ほど日本にやってきました。 そのうちもっとも有名なのは、将軍吉宗が注文した象でしょう。その象は享保13年(1728)6月、長崎にやってきました。翌年3月に江戸に向け出発し、4月に京都に到着。朝廷より「広南従四位白象」の位を授かり(位のないものは謁見できないため)天皇に謁見しました。 5月に江戸に到着し、浜御殿(現在の浜離宮)で飼われ、もちろん将軍吉宗も見物しました。 象は1200キロの道のりを80日間で歩きとおしました。 この珍しい動物を見るために街道は、長崎から江戸まで見物人が鈴なりで、国内では象ブームが巻き起こったそうです。 |
動きがだんだん激しくなってきました。 凪いでいた海がだんだん荒れてきたようです。 |
やがてまた凪の静かな海に戻りました。 |
海は一転して大嵐になり、船は大波に翻弄されます。 船の演技は昔の航海の様子を表現しています。昔は(現在も同じですが、昔は特に好天や嵐の予測ができなかった)航海は命がけだったことがわかりますね。 |
采振りの指揮のもと、車軸をギーギーときしませながら船は右に左に回ります。 |
采振りも全力で走っています。 |
江戸町のオランダ船は全長6.2メートル、巾2メートル、高さ4メートルで、重さは約3トンあるそうです。 船回しの時には、車輪は役にたたず、力ずくで車輪を直角方向に押して回しています。 |
実に体力のいる演技です。 演技中ずっと、船上の子供たちのオランダ風のお囃子が続きます。 |
町でオランダ船の庭先回りに出会いました。 |
長崎の町に福を分け与えながら回ります。 |
子供たちは二組で交替しながら、船上で囃子方を務めます。 |
船にはきれいな飾りがほどこされていました。 |
根曳衆も子供たちも、早朝から夜遅くまでがんばっています。 楽器は9種類あるそうです。 |
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