九州あちこち歴史散歩★長崎くんち2012(2)龍踊り(籠町) サイトマップ
籠(かご)町の龍(じゃ)踊りが登場してきました。 籠町といえば龍踊りといわれますが、踊り町の中で最初に龍踊りの奉納を始めたのが籠町であり、いわば龍踊りのルーツ町といえるからです。 籠町が龍踊りを出すようになったのは、1790年ごろからで、籠町の隣にあった唐人屋敷で土神堂の祭礼の時に奉納されていた「ジャ踊り」を習い、長崎くんちに奉納するようになったそうです。 (龍踊りは現在、籠町、諏訪町、筑後町、五嶋町が奉納していて、ほぼ毎年見ることができますが、町によって龍の種類や演出などが異なっているそうです。) 昔は「蛇踊り」と書いていましたが、「へびおどり」と読まれることがあったため、昭和32年(1957)から「龍踊り」と表記するようにしたそうです。 龍踊りの演技中の音声(4分20秒、mp3) 竜踊りのお囃子と観衆の大声援のようすです。 長ラッパ(龍の鳴き声を表す)が大活躍です。よほど覇気にとんだ龍なのでしょう。 |
お囃子を務める籠町(かごまち)の少年たちが整列しました。 一番左側の台車に置かれた楽器は「パラパラ」で、続いて鉦、小中大のシンバルです。 |
左の采振りの右に銅鑼(ドラ)、その右に長ラッパ、正面を向いた大太鼓が並んでいます。 「パラパラ」や鉦、シンバルなどすべて昔、中国から渡って来た楽器で「唐楽器」といわれています。 庭先回りの時もこれ等の台車がついて歩き、三四十人のシンバルなどの楽器を持った子供たち、二組か三組の龍衆(じゃしゅう)などで、龍踊り(じゃおどり)は総勢百人前後の大部隊で町中を回っています。 |
籠町の龍が登場してきました。 |
龍は玉使い(玉持ち)の掲げる玉を追います。 龍の足は四本爪です。 (中国では五本爪の龍は皇帝だけのものとされ、日本では描かれる龍は三本爪が多いようです。) |
龍を扱う龍衆(じゃしゅう)は10人で、体力、腕力を必要とするため二組か三組かで交替しながら演技を行っています。 黒い衣裳は雨雲を、黄色い布は稲妻を表しているそうです。 |
龍が玉を追う「玉追い」の後、とぐろを巻いた龍が自分のからだに隠れた玉を捜す「ずぐら」の演技です。 |
「ずぐら」の後、玉を見つけた龍が体の下をくぐって(「胴くぐり」)玉を追いかけ始めました。 |
龍は大空を高く、また低く舞いながら玉を追います。 |
龍の顔。迫力がありますねえ。 龍のたてがみは馬の尻尾が使われているそうです。 |
空中を縦横に駆け巡ります。 |
玉は月を表していて、龍踊りは龍が月を飲み、闇夜にして雨を降らすようすを表現しているのだそうです。 |
中央の采振りに右側で1メートル以上もある「長ラッパ」が吹かれています。 「長ラッパ」は龍の鳴き声を表し、「銅鑼」は波濤の音、「パラパラ」や大中小の「鉦」「シンバル」「大太鼓」は雨や雷を表しているそうです。 演技中「長ラッパ」が大活躍でした。よほど肺活量の大きな吹き手がいるのでしょう。 |
「ショモーヤーレ」の声に応えて熱演が続きます。 |
龍の頭は重さが20キロあり、天高く縦横に駆けるためには並大抵の腕力では演技ができず、龍頭(じゃがしら)を扱う龍頭衆は抜群の力持ちが務めるそうです。 |
全力を使った演技が続きます。 |
長さ20メートルの龍が空中を駆け回り、雨を呼びます。 |
采振り(指揮者)も中国風の衣裳です。 |
龍の鱗は胴体に描いてあるのではなく、一枚ずつ胴体に留めて動くようになっています。 6千枚ほどあり、龍の重さは120キロになるそうです。 |
玉を追って「胴くぐり」の演技です。 尻尾は鯨の髭が使われているそうです。 |
熱演の後、龍は大空に飛び去っていきました。 観衆の「モッテコーイ」の掛け声がいつまでも続きます。 |
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