九州あちこち歴史散歩★長崎くんち2012(1)本踊り(今博多町)         サイトマップ

長崎くんち2012(1)本踊り(今博多町)

   10月7、8、9日に長崎くんちが行われました。
 今年の出し物
  ◎今博多町 本踊り
  ◎魚の町  川船
  ◎玉園町  獅子踊り
  ◎江戸町  オランダ船
  ◎籠
(かご)町 龍(じゃ)踊り

 私は8、9日に長崎に行き、8日は中央公園で五つの踊り町の演技を見て、合間に眼鏡橋周辺を歩き回り、9日には日中に風頭公園に幕末の風雲児・坂本龍馬、日本の写真の先達者・上野彦馬などに会いに行き、夕方は浜市アーケード街周辺でくんちで賑わう町を楽しみました。

 8日11時頃、中央公園に最初に来てくれたのは今博多町の「本踊り」でした。
 今博多町は長崎くんちの本踊りのルーツの町です。
 長崎は戦国時代に貿易港として発展を始め、博多から移り住んだ商人たちがこの区域に多く住み、古くからある町を本博多町、新しくできた町が今博多町となったそうです。江戸時代には海外に開かれた唯一の港としてさらに発展を続けました。

  傘鉾が演技中の音声 (3分40秒、mp3)
   (傘鉾が演技中に演奏される「しゃぎり」の音色が楽しめます。)
  本踊りの音声 (4分45秒、mp3)
   (「鶴の舞」の地方
(じかた)の三味線、鼓、笛、長唄のようすです。)
  所望踊りの音声 (3分56秒、mp3)
   (所望踊りの「娘みこし」「長崎ぶらぶら節」と観客の大声援のようすです。)





 午前11時頃に今博多町の傘鉾が登場してきました。
 飾りは町名を記した金幣、三社紋をつけた火焔太鼓に榊です。



 傘鉾は重さ約150キロ。これを一人で担いでぐるぐる回します。



 傘鉾が演技中は、しゃぎりが演奏を続けます。(本踊りの時は地方(じかた)が演奏します。)
 上記の音声の中で、心に響くしゃぎりの演奏を聞くことができます。
 しゃぎりも、本踊りの時の地方(じかた)も、演技を奉納する時は直接地面に座ります。昔からのしきたりです。



 観客から「フトーマワレー」の声援が起こり、傘鉾もそれに応えて熱演中です。



 会場に入りきれない沿道の観客のために熱演が続きます。



 寛永11年(1634)、二人の遊女が諏訪神社に踊りを奉納したのが長崎くんちの始まりとされていますが、この二人は今博多町に1600年頃には開かれていた遊里にいたといわれ、今博多町が本踊りのルーツの町といわれています。
(遊郭はその後、寛永19年(1642)に丸山町に移り、坂本龍馬やその仲間たちが遊んだり、小説「長崎ぶらぶら節」の舞台などは丸山町になります。)



 今博多町の本踊りは「今日爰祭祝鶴舞(きょうここにまつりをいわうつるのまい)」。
 三味線や長唄の調べに合わせ、諏訪神社の秋の大祭を祝いに長崎港から飛んでくる6羽の鶴を表現し、鶴に扮した6人の踊り子が白い絹の衣装をはためかせて華やかに舞う踊りとのことで、観客は期待して待っています。



 6人の踊り子が登場してきました。



 6羽の鶴となって舞います。








 鶴の鳴き声を笛の音で表現しているそうです。









 本踊りの純粋な邦楽と、観客の大声援の取り合わせもまた長崎くんちでしかお目にかかれない風景でしょうね。
 観客も「ヨイヤー」や「ショモーヤーレ」の掛け声で大声援を送って、みんなで楽しんでいます。






 観客の「ショモーヤーレ」の掛け声に応え、所望踊り「娘みこし」が始まりました。



 衣裳の色合いが鮮やかです。






 観客の大声援に応え、「長崎ぶらぶら節」が始まりました。
 観客も手拍子をしながらいっしょに楽しんでいました。

 長崎名物 紙鳶(はた)揚げ盆祭り
 秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶうらぶら
 ぶらりぶらりというたもんだい ちゅう



 遊びに行くなら 花月か中の茶屋
 梅園(うめぞの)裏門叩いて 丸山ぶうらぶら
 ぶらりぶらりというたもんだい ちゅう



 紙鳶(はた)揚げするなら 金毘羅風頭(かざがしら)
 帰りは一杯機嫌で 瓢箪ぶうらぶら
 ぶらりぶらりというたもんだい ちゅう

今博多町の小さい子どもたちの踊りはこの会場ではありませんでしたが、実に力の入った本踊りで、心から楽しめました。



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