九州あちこち歴史散歩★長崎くんち2009(6)唐船祭(元船町)          サイトマップ

 長崎くんち2009(6)唐船祭(とうせんまつり)(元船町)

   9日の午後に、元船町の唐船祭の一行に出会いました。赤い船に青や黄色の服の取り合わせが、なんとも中国風で、見ているだけで楽しくなります。演技やお囃子を楽しみながら、いっしょについて歩きました。

 唐船祭(元船町)の庭先回りの音声はこちらをクリックしてください。
  (1)唐船祭(元船町)音声1・・・船回し・巡行(3分30秒)
  (2)唐船祭(元船町)音声2・・・庭先回り(6分)





長崎くんち・唐船祭(元船町) 登場

   カラフルでいかにも中国風の船の出現です。お囃子も太鼓に鉦、シンバルでにぎやかです。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 船回しの演技

   唐船には、「順風大吉」「順風平安」「順風相送」「順風吉祥」の縁起もの旗や、赤や緑の三角旗、提灯などが下げられ、異国情緒を盛り上げています。
 また、3枚の帆も折りたたんであるのが見えます。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 疾走

   唐船が走り始めました。この時は、結構長い距離を走っていきました。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 疾走
 船が走れば、囃子方の男の子たちも走ってついていきます。




 踊り子の女の子たちも走ります。
 付き添いの母親も走ります。
 市民の前で必死の耐久レースです。日頃の運動不足を痛感する時です。
 どのような時にも、悠然として大人の風格を漂わせる人物が一人はいるものです。(ひょっとすると足腰が痛くて走れないだけ(?)なのかも知れませんが…。)
長崎くんち・唐船祭(元船町) 失速?



長崎くんち・唐船祭(元船町) 船回しの演技

   道路の真ん中で演技が始まりました。飾り船頭は乗ったままです。
 前進、後退の後、今度は船回しです。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 船回しの演技

   采振の指揮のもと、車輪のきしむ音を発しながらぐるぐる船を回します。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 船回しの演技

   全員の力を合わせて、一番の見せ場を盛り上げます。
 船上の囃子方の子供たちは、揺られながらずっとお囃子を続けます。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 船回しの演技

   今度は逆方向に回ります。飾り船頭の子どもも怖がらずに、しっかりと一方向を見ています。
 車輪の下には、車輪のこすれた痕が道路に残っています。車輪が壊れることもあるそうです。車輪を直角方向に回そうというのですから、無理があるのは当然ですね。


長崎くんち・唐船祭(元船町) かわいい踊り子たち
 チャイナ服姿の女の子たちです。
 私は今回は、残念ながら、この子どもたちの踊りは見ることができませんでした。




 人力車もついていました。飾り船頭さんでしょうか。
 鉦やシンバルの音を子守歌にして、すやすやと気持ちよさそうに寝ていました。
 でも、こんな幼児があんなに高い所で、ぐるぐる回されて大丈夫?と思いますが、子どもは思った以上に強いものです。
長崎くんち・唐船祭(元船町) 人力車



長崎くんち・唐船祭(元船町) 先曳きの若者たち
 先回りして庭先回りがスムーズに行われるようにする先曳きの若者たちです。次々に庭先回りを呈上するお店の前に立っていきます。




 中国の船乗りの縁起物の鬼です。
 中国では福建省を中心に「媽祖(まそ)」信仰が広まりました。
 媽祖は航海の守護神で、その信仰は広く東南アジアに広がり、日本各地にも岬などにそれにちなんだ地名などが残っています。中国との貿易が盛んだった長崎にも根付き、唐寺の崇福寺、興福寺、福建会館などに媽祖堂があり、媽祖(天后、天上聖母)が祀られています。
 明の時代にインド洋やアフリカまで数次にわたって航海した鄭和も、媽祖を祀り、暴風から守ってもらったというエピソードも残っています。それほど広まっていたようです。
長崎くんち・唐船祭(元船町) 船尾の縁起物



長崎くんち・唐船祭(元船町) 「千里眼」
 媽祖には二人の神(鬼)が仕えています。
 左の赤鬼は「千里眼(せんりがん)」です。三つ目を持ち、額に手をかざし、媽祖の進む先やその回りを監視し、あらゆる災害から媽祖を守ります。
 右の青鬼は「順風耳(じゅんぷうじ)」です。大きな耳に手を当て、あらゆる悪の兆候や悪巧みを聞き分けて、いち早く媽祖に知らせます。
 媽祖やこの二神は中国でもよく知られていて、孫悟空が石から生まれたことを、天上の玉皇大帝に知らせたのは、この二神です。
 長崎では2月のランタンフェスティバルで、皇帝行列、媽祖行列が行われます。
長崎くんち・唐船祭(元船町) 「順風耳」



長崎くんち・唐船祭(元船町) 責任者のみなさん

   役員さんに写真を撮らせていただきました。一休み中だったのに、どうもありがとうございました。
 中国風の服の色の取り合わせが最高ですね。




長崎くんち・唐船祭(元船町) 崇福寺前での庭先回り

   崇福寺の近くで庭先回りが続きます。飾り船頭さんはいつも旗をしっかりとお店の方に向けていました。立派。
 見えている崇福寺の三門(山門)は竜宮門とも呼ばれ、いかにも中国風です。この門は1849年に造られましたが、崇福寺は1629年に、中国福建省出身の貿易商などによって建立され、中の第一峰門や太雄宝殿(本堂)は国宝に指定されています。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 庭先回り

   根曳の人たちは青い長袖の服を脱いで、白い半そでシャツのユニフォームになりました。20数度の日中では、長袖で演技を一回でも行えば汗でびっしょりでしょう。先程の青い服と比べると、中国風の色合いが弱まるので、半袖も青い色の方が映えると思いますが、白色にも伝統があるのでしょうね。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 演技を待つ子どもたち

   大光寺の入口で保育園児がすでに待っていました。でも、唐船の一行はここでしばらく一休みです。奥の赤い服のグループが唐船の子どもたちです。唐船のおじさんと、待ってくれていた園児たちと話が弾んでいるようです。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 園児に演技を披露

   園児たちの前で演技が始まりました。前進、後退に続いて、船回しです。園児もみんな拍手していました。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 園児に演技を披露

   采振の指揮に合わせ船回しが続きます。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 園児に演技を披露

   熱演が続きます。園児の拍手と声援に応えてアンコールが繰り返されました。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 囃子方の子どもたち
 唐船の後ろに続く列です。お囃子や踊り子の子どもたち、人力車、役員、付き添いの母親たち、それに中国服の収納車もついていました。




 踊り子の女の子たちも続きます。赤い服が映えます。
長崎くんち・唐船祭(元船町) 踊り子たち



長崎くんち・唐船祭(元船町) 唐人 長崎くんち・町の提灯
   
 唐人になりきっています。いかにも唐船祭にぴったりですね。
 街のあちこちには右の写真のような提灯が下げられていて、祭りの雰囲気を盛り上げていました。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 庭先回り

   休みなく庭先回りが続いています。


長崎くんち・唐船祭(元船町) 庭先回り
 こちらではお店の主人が威儀を正して、唐船のお祝いを受けておられました。




 唐船祭にもしゃぎりの一行が加わり、楽しいお囃子を奏でていました。
長崎くんち・唐船祭(元船町) しゃぎりの一行



長崎くんち・唐船祭(元船町) 庭先回り

   唐船はどこまでも進んで行きました。私は1時間くらいいっしょに歩いて、演技やお囃子を楽しみました。



   

    ◆このページの先頭に戻る ◆前のページに戻る
    ◆長崎くんち2009 (1)本踊(今籠町) (2)川船 (3)宝船 (4)本踊(上町) (5)龍踊
    ◆トップページに戻る