九州あちこち歴史散歩★長崎くんち2006(1)御朱印船(本石灰町)・本踊(桶屋町)・鯨の潮吹き(万屋町)  サイトマップ

長崎くんち2006(1)御朱印船(本石灰町)・本踊(桶屋町)・鯨の潮吹き(万屋町)

   「長崎くんち」は毎年10月7,8,9日に行われる、長崎の氏神・諏訪神社の秋の大祭です。当番の踊り町(おどりちょう)が、町じるしの傘鉾を立て、各町が江戸時代から伝わるさまざまな出し物を神前で披露し、町中を祝って歩きます。
 町に銅鑼
(どら)、太鼓、鉦、笛、シンバルなどの音が響き渡り、異国情緒たっぷりの楽しい祭りで、国の重要無形民俗文化財となっています。
 踊り町は全部で59ヶ町あり、7つのパートに分けられています。従って当番は7年に一度回ってきて、当番の踊り町のうち毎年6,7町が奉納し、その出し物が見られます。

祭りの詳しい内容については、長崎伝統芸能振興会ホームページをご覧ください。

2006年度は次の各町が奉納しました。
  「御朱印船」  本石灰町
(もとしっくいまち)
  「本踊
」    桶屋町
  「鯨の潮吹き」 万屋町
  「本踊」    丸山町(41年ぶりに復活)
  「阿蘭陀万歳」 栄町
  「川船」    船大工町



長崎くんち・御朱印船(本石灰町)

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 演技後の一休みです。重さはなんと5トンもあるそうです。
 この御朱印船は、豊臣秀吉から朱印状を受け安南国(ベトナム)に渡った豪商荒木宗太郎が、王族の娘アニオーを妻にめとり、長崎に帰ってくる様子を現したもので、船首にはその二人も乗っています。
 船の帆のマークは、オランダ東インド会社のマークVOCを上下逆にして、当時からこの船のマークにしたもので、今も祭りの法被や鉢巻に使用されていました。

 


長崎くんち・御朱印船(本石灰町)

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 次の演技地に向かいます。
 7〜9日の三日間、当番町の人たちは根曳き衆(船の曳き手)を初め連日早朝から夜遅くまでハードワークの日が続きます。その分見物の私たちは大いに楽しませてもらうことができます。

 


長崎くんち・御朱印船(本石灰町)の庭先回り

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 商店街の「庭先回り」で、囃子唄を唄っています。
 庭先回りは、市内の店や家庭などに踊りを呈上し、福を分けお祝いすることで、玄関先や店先などで短い踊りや根曳き唄(お囃子)などを演じてまわります。


長崎くんち・御朱印船(本石灰町)の囃子方の子どもたち

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 船には子供たちが10人くらい乗っていて、銅鑼、鉦、シンバルなどでお囃子を奏でていました。

 


長崎くんち・御朱印船(本石灰町)の庭先回り

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 次々に庭先回りを行いながら、進んでいきます。

 


長崎くんち・御朱印船(本石灰町)の囃子方の子どもたち
 船の後ろには、船上で交替でお囃子を演奏する子供たちがいっしょに歩いています。


 
 船首には、豪商荒木宗太郎と妻のアニオー役の子どもが乗っています。
長崎くんち・御朱印船(本石灰町)の船主とアニオー役



長崎くんち・御朱印船(本石灰町)の商店街での演技

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 浜市アーケードの浜しん前交差点付近は十重二十重の人の波です。
 交差点で「御朱印船」の演技(前進、後退、船回しなど)が行われています。
 毎夕(特に9日)8〜9時ごろには、各町の出し物がこの場所に集中してきて、大変な賑わいです。最前列で見ることができなくても、演技の雰囲気や、異国情緒のあるお囃子が響きますので、十分楽しむことができます。

 


長崎くんち・御朱印船(本石灰町))。夜の町を進む。

  長崎くんち・御朱印船(本石灰町)
 夜9時過ぎに、夜空の下を自分の町内に帰っていきます。 
 好きな出し物があれば、しばらくお囃子を楽しみながらついてまわれば、まわりの人の波も少なくなって、心ゆくまで雰囲気を楽しむことができます。
 コッコデショ(太鼓山)や鯱(しゃち)太鼓などは、多くのファン、追っかけがいるそうで、ゆっくり楽しむことはできないかもしれませんが、多くの人の波の興奮や拍手喝采もまた祭りの楽しさでしょう。

 


長崎くんち・本踊(桶屋町)登場

  長崎くんち・本踊(桶屋町)
 長崎歴史文化博物館に、桶屋町の「本踊」の一同ががやってきました。
 この博物館でも各町の演技が、踊りは室内で、曳き物は外の庭で行われました。


長崎くんち・本踊(桶屋町)の演技

  長崎くんち・本踊(桶屋町)
 本踊は本朝、本手の踊りということで、日本舞踊をさします。これだけの綺麗どころが、正装して見事に踊れば、つい見とれて拍手をするのも忘れてしまいます。 


長崎くんち・本踊(桶屋町)の演技

  長崎くんち・本踊(桶屋町)
 なんと色気のある踊りでしょうか。後ろには、三味線、太鼓などの十人くらいの囃子方が純和風のお囃子を奏でます。純和風というのも変ですが、あちこちから銅鑼やシンバルなどの異国情緒あふれる楽の音が聞こえる中で、三味線や太鼓が新鮮に聞こえます。普段めったに触れることのない異次元の世界に、しばらくの間触れることができます。

 


長崎くんち・本踊(桶屋町)の商店街での演技

  長崎くんち・本踊(桶屋町)
 浜市アーケードの浜しん前交差点での演技です。
 係の人が人の波をなんとか広げてスペースを作り、踊りが始まります。囃子方はどこでも地面にじかに座って心意気を示すのが伝統になっているそうです。演技は十分前後続き、長崎の和華蘭文化のなかの純和風の情緒に浸ることができました。




長崎くんち・本踊(桶屋町)の商店街での演技

  長崎くんち・本踊(桶屋町)
 十重二十重の見物客が見とれて(私もその一人ですが)います。終わった後はやんやの喝采です。踊り子がなかなか移動もできないほどの人の波でした。


諏訪神社本殿。

   長崎の氏神さま「諏訪神社」です。「長崎くんち」はこの神社の秋の例祭です。
 戦国時代、貿易の利権を狙う領主によって天正8年(1580)に長崎と茂木が、天正12年(1584)には浦上がイエズス会に寄進され、キリシタンの支配する地域となって貿易船も入るようになり、町も少しずつ大きくなっていったようです。しかし、領土まで寄進されている状況に驚いた豊臣秀吉が天正15年(1587)にこれらの土地を没収しました。(キリスト教と、イエズス会の背後にいたポルトガルはこの後だんだん警戒されるようになり、代りにオランダが貿易の相手に登場するようになります。)

 荒廃していた諏訪神社は寛永2年(1925)に再興され、慶安4年(1651)に現在の地に遷ったそうです。
 祭りは寛永3年(1634)に始まったとされていますが、当時のキリシタン対策もあって、奉行所(幕府)も後押ししたようです。寛永18年(1641)にオランダ商館が平戸から長崎出島に移され、長崎は大きく発展していきました。


諏訪神社の桟敷席。

   桟敷席も完成しています。「モッテコーイ」の声が聞こえてくるようです。桟敷席は6月に売り出されます。
 演技を真ん中で見ることのできる中央の階段席はなんと無料です。もちろん希望者も多く、予約券を手に入れるために前夜から徹夜で並んでいるようです。元気のある人は一晩並んでも、それだけの値打ちはありますね。
(この特等無料席は2009年度より、ハガキによる申込みとなり抽選で当った人に予約券が送られる方式に変わりました。遠方のファンにとっては朗報です。桟敷席は台風などで中止になった場合、当日のみ長崎市内の窓口で半額返還しますという条件なので、長崎市内に親類でもいないと予約購入に踏み切れない遠方のファンも多いと思います。9月が受付期間となっていますので、来年以降もこの方式が継続されるのか忘れないようチェックが必要です。)
 詳細は→諏訪神社踊馬場さじき運営委員会 をご覧ください。


諏訪神社からの眺め。

   諏訪神社からの正面方向の眺めです。長崎が坂の町なのがよくわかります。


長崎歴史文化博物館前

   右側の大きな新しい建物は「長崎歴史文化博物館」です。長崎の歴史などがわかります。
 長崎奉行所も復元されていて、当時の取調べのようすがわかる寸劇もあって面白かった。ボランティアの役者さんたちの、観光客に長崎の町を理解してもらおうという意気込みを感じました。
 ここに各踊り町の一行がやってきて、庭で演技を披露します。レストランもあるので、ここでゆっくり休みながら、出し物を見物しました。

 長崎はなるほど坂の町ですね。尾道といい勝負かもしれません。
自転車に乗れない人が多いそうです? 観光客も自転車で回らなくても、自分の足であちこち歩けば5分ごとに歴史に彩られた名所旧跡にめぐり会えます。


大波止の「お旅所」

   大波止には「御旅所」が設けられます。
 提灯に記された七つの町は「年番町」で、踊り町を務めて4年後に回ってきて、くんちの運営の世話をするそうです。
 一番右の提灯は「神輿守町(みこしもりちょう)」のものです。神輿を担ぐのは、市街地の周辺の町が「神輿守町」として昔から担当しているそうで、こちらは6年に一回まわってくるそうです。
 お旅所にも桟敷席が設けられ踊り馬場となって、奉納踊りが行われます。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)の演技。

  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 夕闇に迫る頃、県庁の庭で見ました。
 鯨を急発進させ、10メートルくらい前進したら、旗を持った「長采」の前でぴたりと急停止させます。これを数回繰り返し、その後、右に左に回転させます。じつに力のいる演技です。写真では鯨は闇にまぎれて見えにくいのが残念です。見物客は、大きな鯨の前進、後退、回転の演技に拍手喝采です。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)の演技。

  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 鯨はセミクジラで、長さ6メートル、重さは約2トン。潮を吹き上げています。潮吹きのために鯨の中に大人が二人入っていて、ポンプで潮を吹き上げるそうです。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)の囃子方の山車。

  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 鯨の後ろに、子供たちが乗ったお囃子の山車が続きます。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)の幼児が乗った山車。

  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 お囃子の山車の後ろに、銛を載せた鯨捕りの船が続いていて、ふとんの上に2,3歳の子どもが乗っています。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)の幼児が乗った山車。

  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 子どもはふとんに座ってにこにこ顔。まだ元気一杯です。母親は「一日終わるまでがんばってね」と心配そうです。なにしろ早朝から青空の下を一日中、演技や庭回りをしながら回っているのです。やっと夕暮れになりましたが、一日が終わって町内に帰るのは、まだ4時間くらいかかりそうです。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)。ひと休み。
 演技後の一休み。みんな汗と、鯨の吹く潮で全身びっしょりです。



 
 県庁での演技も無事終了し、次の演技の打ち合わせでしょうか。

長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)。ひと休み。



長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)

  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 浜町アーケード通りに鯨が登場しました。


長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)の子鯨。
  長崎くんち・鯨の潮吹き(万屋町)
 一番後ろに、かわいい子鯨が曳かれていました。

 市内の中心街を歩いていると、あちこちで祭りの出し物に出会いました。
 あとの三つの出し物は「長崎くんち2006(2)」で紹介しています。



   

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