ハーモニーホールの広場では次々と楽しい馬追いが繰り広げられました。 周囲はぎっしりと多くの見物客が取り囲んでいます。 馬と人の力比べは迫力もあり、また楽しくもあり、見ていて飽きません。 ここは土のグラウンドなので転んでも大丈夫です。(すり傷くらいはできるでしょうが・・) 馬追いが終わったグループは八代神社(妙見宮)を目指して巡行を続けます。 |
馬追い(八代青年会議所) 「夢中」君が登場しました。 |
馬追い(八代青年会議所) 尻尾にも御幣が飾ってあります。 |
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馬追い(八代青年会議所) さわやかな笑顔にさわやかな髪飾りです。 |
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馬追い(八代青年会議所) こちらのサイドはきれいに編んであります。 |
馬追い(八代青年会議所) 「私も負けずにきれいに編んできました」とサムライが参上です。まあ、娘さんには負けますが、年に一度きれいに編んで髷を結うのはハレの日にふさわしいことでしょう。 |
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馬追い(八代青年会議所) まわりがいっぺんに華やかになります。 |
馬追い(高田有志会) 美しい白馬が現れました。 |
馬追い(高田有志会) この白馬、美しいだけではありません。力強く走っています。 |
馬追い(高田有志会) このような美しい斑(まだら)模様はどのようにしてできるのでしょうか。 |
馬追い(高田有志会) 実に力強い走りです。 |
馬追い(高田有志会) 全員で止めようとしています。 |
馬追い(高田有志会) 馬の背に大きなみかんが飾ってあります。これは八代市特産の晩白柚(ばんぺいゆ)だと思われます。晩白柚は重さ2〜3キロあり、日本一大きいみかんです。 私たちがいつもおいしく食べている温州みかん(「有田みかん」など)は八代と特別な関係があります。 【伝説その1】 神功皇后が三韓遠征のとき、朝鮮より橘を持ち帰って肥後八代に植えました。これが八代の高田(こうだ)みかんの始めといわれます。三韓よりきたので「みかん」と名がつけられました。 【伝説その2】 田道間守(たじまもり)は垂仁天皇の命で、常世の国を10年探し回って「非時香具菓(ときじくのかぐのこのみ)」(冬でも実る果物=橘、みかん)を手に入れ持ち帰りました。しかし垂仁天皇はすでに亡くなっており、当時熊襲を打つべく九州を巡行中の景行天皇(記紀によると西暦71年即位)をはるばる肥後の国まで訪ね、 八代の高田付近でようやく巡り会って橘を献上しました。 景行天皇は高田の地にその「橘」を植えました。こうして八代にみかんが伝わりました。 (日本書紀によると第12代景行天皇は、熊襲を討つために7年にわたって九州全域を巡行しました。実在については両論がありますが、時代としては4世紀前半頃のことのようです。景行天皇の息子がヤマトタケルノミコトです。) 肥後細川藩は正月には朝廷、幕府に八代みかんを献上していたそうです。 現在の紀州みかん(有田みかん)は、有田の伊藤孫右衛門が天正年間(戦国時代)に八代の高田みかん(小みかん)の苗を移植して広げたものといわれています。(これは事実のようです。)現在私たちが食べているみかんのルーツは八代にあるのです。 |
馬追い(高田有志会) 晩白柚を載せて走っています。 |
馬追い(高田有志会) 10往復ほど走ったでしょうか。お疲れさま。 |
馬追い(八代東高校同窓会) 東高の飾馬も頭上にみかんを飾っていますね。 |
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馬追い(八代東高校同窓会) ここにもサムライがいました。 |
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馬追い(八代工業高校OB) 「北斗流星」号登場。 |
馬追い(八代工業高校OB) 近くで見ると首なども太いですね。 |
馬追い(八代工業高校OB) それっ、スタートだ。 |
馬追い(八代工業高校OB) 北斗流星号に挑戦した娘さんは二人ともあえなく引き倒されました。 やはり娘さんはポニーがちょうど合っているようです。 |
馬追い(八代工業高校OB) 「なめんなよ。俺の力はこんなもんじゃないぞ。砥崎の河原ではみんなを川の中に引きずり倒してみせよう!」 北斗流星号は意気軒昂です。 |
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