九州あちこち歴史散歩★博多祇園山笠2015・飾り山笠(5)17渡辺通一丁目・番外櫛田神社 サイトマップ
次の飾り山笠を紹介します。 ◎十七番山笠 渡辺通一丁目・表「至心一到和平基」 見送り「愛と勇気のアンパンマン」 ◎番外 櫛田神社・・・表「呑取名槍黒田誉」 見送り「烟満国聖帝御世」 |
表「至心一到和平基」(ししんいっとうわへいのもとい) 人形師 中野親一
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舞台は大坂夏の陣。 登場人物は上から徳川家康、淀君、木村重成、酒井忠勝、家康家来。 |
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木村重成 大坂夏の陣の八尾・若江の戦いで討ち死。19歳。 「花の若武者」と称せられた大坂方随一の美男子。後藤又兵衛を尊敬していた。 冬の陣、和議の調印式で家康の血判が薄いといって大胆にも再度の血判を要請し、73歳だった家康は指を切っても血が出ないといって舌の端を切って血判を押したといわれています。 半年後の夏の陣、最後の出陣と覚悟して兜に香を焚き込め、後に首を検(あらた)めた徳川家康もその武士の礼節を「敵ながら天晴れ」と褒めました。 淀君付きの侍女で重成を恋い慕った青柳と大坂冬の陣後の正月に結婚しましたが、夏の陣で豊臣方は滅び去り、木村重成も討ち死。わずか半年の新婚生活でした。 青柳は近江国の親類に匿われ、無事に男児を出産しました。後事をまわりに託し、すぐに尼となり、重成の一周忌を済ませた後、自害して重成を追いました。 (現在なら誰もが生きて子供を育てるべき、と思うでしょうが、当時は敵方の有力武将の子は見つかれば生きていけなかったのです。特に大坂の陣後の徳川方による豊臣方残党狩りは徹底したものでした。青柳は自分が生きていたら噂にもなるし、子供が生きていけないと考え、子供を救うために自らを犠牲にしたのでしょう。) 木村長門守重成の生地ははっきりしないが、一説では日向国佐土原町八日町の木村屋敷(一番屋敷)ともいわれています。 佐土原藩主の島津忠持が藩内の事跡や伝承などを集めさせた「旧事雑記」に『佐土原八日町に重成の誕生の地がある』と記し、また、八日町荒神神社の「荒神様縁起」にも、『武州東禅寺開山定州和尚、仏日山大光寺一道和尚、日本武将豊臣秀頼の乳兄弟木村長門守重成の三名は、八日町松巌寺前一番屋敷の産で有名』との記録が残っています。 重成の母が伊勢参りの途中、大坂の宿にいるときに縁あって豊臣秀頼の乳母になりました。重成は秀頼の乳兄弟として育ち、幼少から秀頼の小姓を務め秀頼の唯一の幼馴染で、信頼も厚かったといわれます。 |
見送り「愛と勇気のアンパンマン」(あいとゆうきのアンパンマン) 人形師 中野 浩
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表「呑取名槍黒田誉」(めいそうのみとるくろだのほまれ) 人形師 亀田 均
みごとに福島正則から名槍を呑み取った母利(もり、ぼり)太兵衛。 |
見送り「烟満国聖帝御世」(けぶりはくににみつひじりのみかどのみよ) 人形師 今井洋之
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