各流では毎年、その年の舁き山笠や飾り山笠の人形をモチーフにした記念手拭が作られます。各山笠の人形を作った博多人形師が描いた絵図が多く、毎年の山笠を彷彿とさせるすばらしい記念品です。 7月9日、お汐井取りの日です。 この日夕方4時頃、中洲流の飾り山笠を見物していましたが、この頃に飾り山笠の場所に中洲流の各町から続々と締め込みに水法被姿の子供たちから中高年までの町の衆が隊列を組んで集まってきました。 全町が集まると、全員で「オッショイ、オッショイ」の掛け声で町内を回った後に箱崎浜を目指して出発して行きました。勇壮な風景で、人間の持つすごいエネルギーを感じます。 |
7月上旬、舁き山笠設置の準備が進められています。 14基の飾り山笠は7月1日には全て飾られます。これは舁き山笠を設置するヤマ小屋で、一番から七番山笠の流に7月上旬から8日頃までには建てられます。(10日から舁き山笠が博多の町を動き始めます。) |
川端通り商店街に山笠関連の商品が並んでいます。 |
櫛田神社の飾り山笠の隣に、今年もきれいなノウゼンカズラが咲いていました。 |
キャナルシティ博多で噴水を楽しみました。 |
新天町では飾り山笠の近くに子供山笠の舁き山笠が置かれ、走り出すのを待っています。 子供山笠は7月の第一金、土、日に町の中を走ります。 (その年の予定は 博多祇園山笠navi. の「子供山笠」に記載してあります。) |
博多山笠では毎年、各流の公式の記念手ぬぐいが作成されます。その年の舁き山笠や飾り山笠をモチーフにしてそれぞれの博多人形師が手描きしたものも多く、デザインもすばらしいものです。(著作権は各流にあります。) ) |
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一番山笠 大黒流 |
二番山笠 東流 | 三番山笠 中洲流 |
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四番山笠 西流 |
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五番山笠 千代流 |
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六番山笠 恵比須流 |
七番山笠 土居流 | 九番山笠 福岡ドーム |
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八番山笠 上川端通 |
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十番山笠 博多駅商店連合会 |
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十一番山笠 キャナルシティ博多 |
十五番山笠 博多リバレイン | 十七番山笠 渡辺通一丁目 |
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十三番山笠 ソラリア |
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十四番山笠 新天町 |
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十六番山笠 天神一丁目 |
7月9日、今日は「お汐井取り」が行われる日です。 夕方になると川端中央街でも締め込み姿の男衆が集まり始めました。 |
こちらは中洲流の町内を出発した満津若(中洲4丁目の応援町)です。 舁き手の服装(水法被、腹帯の着否など)は町や流によって決まっているので、個人でできるおしゃれは締め込みの締め方(前垂れの形、後ろの結び方)だけです。 この町の締め込みの前垂れは布の途中をふんわりと右側や左側に折り返しています。全体では四角四面に折り返すパターンが多く見られますが、この町ではほとんどが写真のパターンなので、このグループで流行っているのか、町で統一されているのか、どちらでしょうか。 |
頭に巻いている手拭(てのごい)は役割を示していますが、神前や箱崎浜などでは外したり着けたりすることが多いのできっちり結ばずにねじって押し込んで留めているだけですが、いろんなねじり方がありますね。 水法被の背中の文字は「中洲」で、中洲流は全町が同じデザインの統一法被です。 |
9日の夕方、中洲流の飾り山笠を見ていたら、お汐井取りに行くために中洲流の各町の舁き手たちが続々と集まってきました。 子供が掲げる「招き板」を先頭に、高張提灯などが続きます。 既に到着している町衆が拍手で迎えます。 |
子供たちも元気に参加しています。 |
ここに到着した町の舁き手の一団は飾り山笠の舁き棒に座った役員たちに挨拶し、町ごとに待機します。 |
幼い子供の世話はおじいちゃんの役目です。 子供は気持ちよく爆睡中です。(これだけ熟睡できるのがうらやましい・・睡眠の浅い高齢者談) |
全ての町が揃い、これから箱崎浜にお汐井取りに出発します。 中洲流では役職者は長法被(当番法被)を着用しています。 |
いざ、お汐井取りに出発! |
子供の中で年長者は町名を書いた「招き板」を持って走ります。腕が疲れて大変な役割ですがこのような経験を積みながらたくましくなっていきます。 |
中洲二丁目のこの町は整然と隊列を組んで進んでいます。 締め込みは全員紺色で、前垂れは布の端を垂らしています。町で統一しているようですね。 |
「赤手拭(あかてのごい)」は若手のリーダーです。 |
「満津若」の赤手拭がグループを引っ張ります。 |
これから箱崎浜に行き、質実剛健の約束と家内安全、心願成就のお願いをします。 |
祭りのために髷を結っています。 スーパーラグビーで優勝したニュージーランドのハイランダーズの中心になっているディクソン選手も同じような髷を結っていました。 |
子供たちもこれから町の中を走り、箱崎浜へお汐井取りです。4時ごろ出発して、(往路)各町−中洲流飾り山笠前集合−石堂橋−箱崎浜(お汐井取り)−箱崎宮(参拝) (復路)箱崎宮−石堂橋−櫛田神社(参拝)−中洲と走って、帰りは8時か9時ごろになります。 |
彼らは「スサノオ族」のわずかな生き残り。 縄文時代の昔から、大地の神様と契り、また大事な願い事をするときには、心身を清め、神の前で己を隠すことなく身も心もさらけだして祈ることが当たり前だった。 たとえ時代が変わったと言われようとも、ちゃんと神に失礼にならないように太古からの伝統に従い締め込みをして、一年に一度神に会って「これからの1年間、全身全霊を尽くして頑張りますので、家族や町をどうぞ守ってください」と約束とお願いをするのだ。 伝統に従った締め込み姿では尻が隠れていないというが、それがどうしたというのだ。 相撲取りだって正装の褌姿で神前で相撲を披露するし、この姿で天皇のご臨席を仰いでも失礼でもなんでもない。 とは言うものの、「町中でそんな格好は野蛮だ」「今はもう昔とは違う、時代錯誤だ」「文明からかけ離れていて、恥ずかしい」等々の文明派の理屈は手ごわく、各地の祭りや神前の行事で締め込み姿の「スサノオ族」は減少の一途を余儀なくされていて、もはや絶滅寸前である。 これからもかろうじて生き残っている日本の各地では「伝統」vs「文明」の戦いが続き、「スサノオ族」はさらに減っていくと思われる。 福岡では夏の博多山笠と正月の筥崎宮玉せせりで「スサノオ族」がかろうじて生き残っている。 昔は博多山笠もローカルな祭りであった(それでも明治時代に文明開化に反するとの理由で祭りが禁止されそうになった時、それまでの褌(ふんどし)一丁の姿を、水法被(みずはっぴ)と締め込み姿にしてよくぞ生き延びた)が、現代の観光ブーム、旅行ブームで、博多山笠に毎年300万人の観光客が押し寄せるようになり、全国的にも有名な祭りとなってしまった。そのなかで生き残った「スサノオ族」が、15日間もの長い祭りの期間、100万都市の繁華街を締め込み姿で闊歩する全く稀有な例となっている。 博多山笠は博多の総鎮守・櫛田神社の祭りであり、櫛田神社のご祭神の一柱は「スサノオノミコト」で、スサノオは荒ぶる神の一面もあるが日本の各地に産鉄や植林を広め、国土保全の基礎を教えた最大の功労者である。 彼らはそのスサノオの一族で、博多の町の家内安全、無病息災、商売繁盛を祈っているのである。 少しばかり尻が見えるからといって、それがどうしたと言うのだ。 彼らは現代では珍しくなった「スサノオ族」のわずかな生き残りである。 |
さあ、お汐井取りに出発だ。 |
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