九州あちこち歴史散歩★博多祇園山笠2013・飾り山笠(1)4東流・5中洲流・7千代流 サイトマップ
7月1日、市内13箇所にすばらしい飾り山笠(かざりやま)が公開されました。 今年は梅雨空が続いていますが、2日の午後は晴れ間ものぞきました。ギラギラ太陽が顔を出す本格的な夏も近いことでしょう。 ほとんどの飾り山笠で夜のライトアップも行われているので、日中に忙しい人は涼しくなった夕方から夜の飾り山笠めぐりも一興です。 ここには次の飾り山笠を紹介します。 ◎四番山笠 東流・・・表「天下取戦陣之誉」 見送り「天孫降臨高天原」 ◎五番山笠 中洲流・・表「合戦石垣原」 見送り「関ケ原合戦」 ◎七番山笠 千代流・・表「武魁神剣誉」 見送り「藤花三巴誇」 (一、二、三、六番山笠は飾り山笠はなく、舁き山笠で博多の町を疾走します。舁き山笠は全部で7基です。) 飾り山笠の公開場所などの詳しい内容については博多祇園山笠公式サイトに掲載されています。 |
表「天下取戦陣之誉」(てんかとりせんじんのほまれ) 人形師 室井聖太郎
舞台は山崎の合戦。 登場人物は右側に織田信長、明智光秀。左側に中川清秀、豊臣秀吉、黒田官兵衛です。 |
見送り「天孫降臨高天原」(てんそんこうりんたかまがはら) 人形師 室井聖太郎
舞台は天孫降臨のあった高天原。 登場人物は右側に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、天鈿女命(あま(あめ)のうずめのみこと)、思兼神(おもい(の)かねのかみ)。左側に天児屋命(あめのこやねのみこと)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)です。 |
表「合戦石垣原」(かっせんいしがきばる) 人形師 三宅 隆
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舞台は九州の関ケ原の戦いともいえる石垣原(別府市)の合戦。 登場人物は中央に黒田如水(官兵衛)、右側に徳川家康(もちろん関ケ原にいて九州には来ていない)、大友義統(よしむね)、左側に久野次佐衛門(じざえもん)、井上之房(ゆきふさ)九郎右衛門(ともに黒田家武将)です。 三日間に七度の戦闘が行われたという激戦だったが、最後は黒田の応援部隊が駆けつけ、数に勝る黒田軍が勝利した。 中津城主であった黒田如水は、関ケ原の戦いが避けられないと見るや、蓄えていた軍資金を使って8000人の兵を集め(黒田家の兵の主力は息子の長政が率いて上杉討伐や関ケ原の合戦に従軍していた)、石垣原の合戦を初め各地を攻め落とし、またたく間に九州の北半分を平定した。その勢いで強敵島津を討つため(和睦をはかりいっしょに東上しようと)薩摩の国境まで進んだ。 如水は九州を平定し、中国近畿へと進軍し、数ヶ月あるいは数年の戦いに疲れた東軍、西軍を攻め滅ぼし、全国を平定しようという意図を持っていたともいわれる。そのような発想ができる稀有の軍師であった。 しかし、20万の大軍が集結した関ケ原の戦いは、なんとたった一日で終結し、如水のもとに徳川家康から薩摩への進軍を止めよとの命令が届いた。如水の全国平定の夢は終った。 |
見送り「関ケ原合戦」(せきがはらのかっせん) 人形師 中村信喬
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舞台は天下分け目の合戦が行われた関ケ原。 登場人物は中央に黒田長政、右側に福島正則、加藤清正、左側に徳川家康、石田三成です。 黒田長政は小早川秀秋を東軍に寝返らせるなどこの戦いで随一の功績をあげ、父如水の(東軍のために?というよりやはり如水には九州を平定した後、中央に進軍し天下を取ろうとの意思があったのだと思うが)九州の大半を平定した武勲と併せ、筑前52万石の大国を与えられた。 |
表「武魁神剣誉」(ぶのさきがけしんけんのほまれ) 人形師 川崎修一
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舞台は出雲国。神話時代のスサノオノミコトとヤマタノオロチの戦いです。 登場人物は右側に手名椎(てなづち)と足名椎(あしなづち)、八俣の大蛇(やまたのおろち)。左側に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、素戔鳴尊(すさのおのみこと)、櫛名田比売(くしなだひめ)です。 |
見送り「藤花三巴誇」(とうかみつどもえのほこり) 人形師 川崎修一
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舞台は摂津伊丹の有岡城(荒木村重居城)です。 登場人物は右側に竹中半兵衛、荒木村重、栗山善助。左側に小寿丸(後の黒田長政)と母(官兵衛の妻)光姫(てるひめ)、小寺(黒田)官兵衛です。 官兵衛は一年近くの土牢生活で命は長らえたが、足が不自由になった。 織田信長は官兵衛が城から帰って来ないため荒木村重側に寝返ったと疑い、人質として預っていた嫡子の松寿丸(後の黒田長政)を殺せと竹中半兵衛に命じた。官兵衛を信じていた半兵衛は信長に「お指図のとおりいたしました」と報告し、松寿丸をいなかの実家に匿った。 そのことが明らかになれば短気の信長に殺されるのは間違いない。しかし、半兵衛もまた正しいと信じたことのためには死をも恐れぬ勇気を持った武将だった。一年後に官兵衛は部下たちに救出され、その信念と誠実さが明らかとなり、親子ともども生きて再び武将として活躍することができるようになった。 信念を持った黒田官兵衛、竹中半兵衛の生き方はなんと立派なことだろうか。 |
絢爛豪華な明るい色合いの多い飾り山で、このような暗い感じの色調は珍しいと思います。 黒田官兵衛の一生のうちで、いつ命がなくなっても不思議でない、絶望の一年間を表現しているのですね。 しかし、ただ暗いだけではなく、まわりは青、茶、黒色のモルフォ蝶の羽根の金属光沢のように輝き、土牢の外に咲く藤の花とあいまって、いかに苦しかろうと何としても生き抜こうとする官兵衛の信念を感じます。 |
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