九州あちこち歴史散歩★博多祇園山笠2013・舁き山笠(一番〜七番山笠)        サイトマップ

博多祇園山笠2013・舁き山笠(一番〜七番山笠)

  博多祇園山笠の舁き山笠(かきやま)を紹介します。

◎一番山笠 恵比須流「見義不為無勇也」
◎二番山笠 土居流「忠誠真愛武士魂」
◎三番山笠 大黒流「威風堂々忠儀漢」
◎四番山笠 東流「天女降臨払暗雲」
◎五番山笠 中洲流「武勇長政公」
◎六番山笠 西流「蘭陵王」
◎七番山笠 千代流「英傑傾天下尚潔」

 一番山笠から七番山笠は毎年順番が繰り上がっていき、今年一番山笠の恵比寿流は、来年七番山笠になります。
 一番山笠〜七番山笠の舁き山笠が博多の町を疾走します。
(千代流、東流、中洲流は飾り山笠も建てます。
 八番山笠上川端通は八番固定。九番山笠から十七番山笠は飾り山笠をそれぞれの町に建て、山笠の順番は毎年ひとつづつ繰り上がり、九番山笠は来年十七番山笠となります。)




一番山笠 恵比須流・・「見義不為無勇也」(ぎをみてなさざるはゆうなきなり) 人形師 亀田均

一番山笠恵比須流の舁き山笠「見義不為無勇也」




一番山笠恵比須流の舁き山笠「見義不為無勇也」

 見送りには、渡辺の綱に腕を切られた鬼がいます。



一番山笠恵比須流の舁き山笠「見義不為無勇也」の説明




一番山笠恵比須流の舁き山笠「見義不為無勇也」

頼光(らいこう)四天王の筆頭、渡辺綱(わたなべのつな)

渡辺綱の羅生門の鬼退治の伝説
 渡辺綱が京の一条戻橋
(もどりばし)を通りかかると、妙齢の美女が家まで送ってくれと頼みます。綱は水面に映った女の顔を見て鬼女と見抜き、鬼女は綱を殺そうとするが、ついに綱の刀が鬼女の左腕を切り落とします。女は羅生門に棲む鬼だったのです。(「御伽草紙」では、この鬼は実は大江山の副将格の「茨木童子」であるとされ、酒呑(しゅてん)童子の話と一連の物語にされています。)
 相談を受けた安倍晴明は、鬼は必ず腕を取り返しに来るから、7日の間誰にも会わず、経を読んで過ごすように渡辺綱に教え、切り取った鬼の腕に封印を施します。6日目、綱の叔母がいなかから訪ねて来ました。一度だけどうしても鬼の腕を見たいと懇願され、綱は腕の封印を解いて見せました。すると叔母は突如鬼に変わり、その腕を取り戻して虚空に消えていきました。(「平家物語」他多数。歌舞伎にも「茨木」「戻橋」などの演目がある。))
 
 また、渡辺綱が一条戻橋で鬼女の腕を切り落とした刀は、源頼光から拝領した源氏の名刀「髭切
(ひげきり)」でした(刀工は筑前国三笠郡の出山(土山?)というところに住む唐国の鉄細工師)。「髭切」はその後「鬼切」「獅子ノ子」「友切」再び「髭切」と名を変え、源氏に伝えられました。

 「髭切」と兄弟刀の「膝丸」は両方とも源満仲が作らせたもので、源頼光(土蜘蛛を退治したので「蜘蛛切」と命名)、源頼綱、源頼義、源義家、源為義(刀が不思議な音を出すので「吠丸」と命名)、熊野別当教真、熊野別当田辺湛増、源義経(刀が熊野の春の山を通って来たことから「薄緑」と命名)と伝わり、その後、曽我兄弟、源頼朝、新田義貞、奥羽最上氏、と伝わっていったといわれます。
 以上の話は「平家物語」「源平盛衰記」他数書に記されていますが、持ち主の変転は実際のところは事実かどうか不明です。
 ただし、「髭切」と「膝丸」はともに源氏の重宝とされていたことは間違いなく、「髭切」は京都の北野天満宮に重要文化財として伝わっており、また「膝丸」は箱根神社に奉納されたとも伝わるが、現在は神社の宝物一覧には含まれていないそうです。
 (なお、平家の重代の宝刀は「小烏丸
(こがらすまる)」で、現在は皇室の御物となっています。)

源頼光四天王(渡辺綱など)の酒呑童子退治の伝説
 平安時代から鎌倉時代にかけて、京の外れの大江山に住む鬼・酒呑童子(山賊の棟梁であったともいわれる)はたびたび京の都で館を襲い、姫君を奪うなど悪事を働きました。当初は何者のしわざかわからなかったが、陰陽師安倍晴明が占ってその正体を明らかにしました。
 帝は源頼光に鬼退治を命じ、頼光は配下の四天王といわれた渡辺綱、坂田金時(まさかりかついで、足柄山で熊と遊んで少年時代を過ごしたあの金太郎です)らを引き連れ、みごと酒呑童子を成敗しましたが、酒呑童子の首は切られてもなお頼光の兜に飛んできて噛み付いたそうです。
 源頼光の鬼退治として語り継がれ、能、歌舞伎などで演じられています。

 なお、この時源頼光が酒呑童子を斬った(といわれる)刀は後に「童子切安綱
(どうじきりやすつな)」と銘された天下の名刀で、天下五剣の一つと称えられる日本刀の横綱です。歴史的にも名高く、伯耆(ほうき)国(島根県)安綱の作です。これまでに、源満仲、源頼朝、室町将軍家家宝、秀吉、家康、秀忠、越前松平家、作州津山松平家、、、国が買い上げ、と所有が変遷し、現在は東京国立博物館にあり、国宝に指定されています。

 渡辺綱一行は、鬼征伐に先立ち、石清水八幡、住吉明神、熊野権現に必勝祈願をして出発したが、途中三人の老人(実は三神の化身)から、酒と兜をもらいました。その酒で鬼を酔わせて切り、食らいついてきた鬼の首は普通の兜なら噛み砕いていたのでしょうが、神からもらった星兜のおかげで命を守ることができました。
 星兜は平安中期ごろから作られ始めた形式で、兜の鉢を形成する鉄板をつなぎ留める鋲の頭を表面に出したままにしたもの。鋲の頭が星に見えるのでこの名がつきましたが、兜の形式の名前であって、特定の兜の銘ではありません。
 渡辺綱の兜は、後に福島正則が愛用したと伝えられています。

 渡辺綱は当時随一の美男としても有名で、いろいろな物語りや芝居に登場します。
 鬼を退治できたのは神のおかげとして寄進した(といわれる)石灯籠が、北野天満宮に残っています。

 昔は人智を超えた存在のもの(鬼)が恐ろしかったので、鬼の話が多数残されています。。


二番山笠 土居流・・「忠誠真愛武士魂」(ちゅうせいしんあいもののふのこころ) 人形師 中村信喬

二番山笠土居流の舁き山笠「忠誠真愛武士魂」




二番山笠土居流の舁き山笠「忠誠真愛武士魂」の説明




二番山笠土居流の舁き山笠「忠誠真愛武士魂」

 会津藩藩主、松平容保()。動乱の幕末に京都守護職を務めました。


三番山笠 大黒流・・「威風堂々忠儀漢」(いふうどうどうちゅうぎのかん) 人形師 宗田智幸

三番山笠大黒流の舁き山笠「威風堂々忠儀漢」




三番山笠大黒流の舁き山笠「威風堂々忠儀漢」の説明




三番山笠大黒流の舁き山笠「威風堂々忠儀漢」の説明




三番山笠大黒流の舁き山笠「威風堂々忠儀漢」

 名槍「日本号」を呑み取った豪傑母里太兵衛。

 





四番山笠 東流・・「天女降臨払暗雲」(てんにょこうりんあんうんをはらう) 人形師 白水英章

四番山笠東流の舁き山笠「天女降臨払暗雲」




四番山笠東流の舁き山笠「天女降臨払暗雲」の説明




四番山笠東流の舁き山笠「天女降臨払暗雲」

 学問と技芸の保護神でもある天女・弁財天。


五番山笠 中洲流・・「武勇長政公」(ぶゆうながまさこう) 人形師 中村信喬

五番山笠中洲流の舁き山笠「武勇長政公」




五番山笠中洲流の舁き山笠「武勇長政公」の説明




五番山笠中洲流の舁き山笠「武勇長政公」

 関ケ原の戦いで、徳川家康に一番の功労者と賞賛された黒田長政。


六番山笠 西流・・「蘭陵王」(らんりょうおう) 人形師 今井洋之

六番山笠西流の舁き山笠「蘭陵王」

「蘭陵王(らんりょうおう)」の説明文

 南北朝時代末期(六世紀)中国では、北斉、北周、陳、突厥、後梁、のあいだで激しい戦いが繰り広げられていました。西暦564年、北周の大軍が北斉の洛陽を攻囲した際。北斉皇帝・武成帝の命をうけた蘭陵王は、わずか500騎を率いて20万の北周軍と勇猛果敢に戦い、城を解放して国を危機から救いました。
 蘭陵王(姓名、高長恭)は、北斉王族、中国歴史書に「貌柔心壯、音容兼美」とあるように、優美で柔和な顔立ちと声のなかに勇猛な心を秘め、文芸にも造詣が深かった人物です。その優しい容貌のため、味方兵士の士気が上がらず、また敵に侮られるのを恐れて、出陣に際しては必ず猛々しい仮面をかぶったと伝えられています。
 蘭陵王は、部下を大切にし、その後も、突厥との戦いで勇名を馳せるなど大いに活躍しました。入陣曲は広く歌い継がれ、日本にも聖武天皇の頃に伝えられたといわれます。
「蘭陵王(陵王)」は舞樂で最も華麗で優雅な舞曲、代表的な左舞「走舞」として知られるようになりました。今日、ご宮中や寺社の儀式で演じられております。博多の街を大舞台に、華麗で優雅な走舞でご奉納仕りたく標題といたしました。


六番山笠西流の舁き山笠「蘭陵王」

 中国南北朝時代の勇敢な北斉の王、蘭陵王。


七番山笠 千代流・・「英傑傾天下尚潔」(えいけつてんかにかぶいてなおいさぎよし) 人形師 川崎修一

七番山笠千代流の舁き山笠「英傑傾天下尚潔」




七番山笠千代流の舁き山笠「英傑傾天下尚潔」の説明




七番山笠千代流の舁き山笠「英傑傾天下尚潔」

 気概を貫き通し、颯爽とその世を生きた天下の傾奇者(かぶきもの)、前田慶次郎。




   

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