7月12日の追い山ならしの七番山笠中洲流(なかすながれ)、八番山笠上川端通りのようすを紹介しています。 一番山笠から七番山笠までの七つの流れはそれぞれ舁き山笠を奉納し、追い山で舁き山笠を舁いて博多の町を走ります。毎年一番ずつ繰り上がり、一番山笠の翌年は七番山笠になります。八番山笠以降の番号は毎年固定です。 八番山笠以降は飾り山笠の奉納を行っており、博多地区のみでなく福岡地区の天神なども参加しています。 このうち八番山笠だけは「走る飾り山笠」で、高さ12メートルの飾り山笠を担いで櫛田入りを行います。 |
七番山笠中洲流の先走りの子どもたちが大勢でやってきました。 (最初の一番山笠と最後の七番山笠がほとんど全員の多くの先走りの子どもたちが走って来ました。) |
承天寺のご住職に挨拶をすませ、清道旗を回ります。 |
「招きいた」を持って走る子は大変です。走りにくいし、腕は痛くなるし・・ このような経験を積み重ねながら子どもたちも祭りの中で成長していきます。 |
七番山笠中洲流が姿を現しました。 標題は「楠公湊川之奮戦(なんこうみなとがわのふんせん)」、主人公は楠正成(くすのきまさしげ)です。 |
最後を走る舁き山笠です。(追い山コースを走るのは以上の七つの流だけです。) |
「勢い水(きおいみず)」がざんぶとかけられます。 |
清道旗を回ります。 |
力がこもります。鼻取りの力の見せどころです。 |
台上りも懸命に指示を飛ばします。 |
後押しも休むことなく押し続けます。 |
中洲流も全町が同じ統一法被です。 |
八番山笠上川端通の「走る飾り山笠」 承天寺前の清道旗を最後の中洲流の舁き山笠が回っていった後、私は国体道路に出て上川端通りの山笠を見物しました。これは必見の山笠風景です。 この飾り山笠は高さが12メートルあり、その圧倒的な迫力で櫛田入りした後、国体道路に出ると道路の障害物(道路上に伸びたセンサーなど)を避けるために飾りを縮めて進みます。現在飾りの上部が縮められている状態です。 大博道路は10車線あり、上部を伸ばして進めるので、ここで上部を伸ばします。 |
上部が延びて12メートルの高さになり、大博道路を北に向って出発しました。 この山笠は重さが2〜2.5トンあり、舁き棒も長く40人前後の舁き手で舁いています。 博多祇園山笠は770年の伝統があり、江戸時代から明治中頃まではこの大きさの山笠を舁いて博多の町を走り回っていた(走るようになったのは貞享4年(1687)頃から)ようですが、明治中頃に町に電線が架けられるようになり、また電車が走るようになったため、従来の大きな山笠を走らせるのはできなくなりました。このため、現在では従来の山笠は「飾り山笠」として飾ったままにしておき、小型の「舁き山笠」(高さ4.5メートル以内)を舁いて走っています。 昔ながらの大きな飾り山笠を走らせよう、と復活させたのが上川端通りの「走る飾り山笠」です。 走るコースは限られますが、とにかくすごい迫力です。 標題は「京一条戻橋」 渡辺綱、阿倍清明と鬼女の戦いです。 ストーリーについては「唐津くんち・曳山(3)」11番曳山の項に記していますので、関心のある方はどうぞ。 |
重さ2〜2.5トンの巨体を揺らしながら人に担がれて大通りを進む山笠には圧倒されます。 |
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