既に6つの流が承天寺の清道旗を回って走り去りました。残りは一つです。追い山コースを走るのは一番山笠から七番山笠までの七つの舁き山笠(かきやま)です。 最後の七番山笠中洲流が大人数の参加者で走り去った後、国体道路から大博道路に急ぎ(といっても承天寺からわずか数分の距離ですが)、八番山笠上川端通の「走る飾り山笠」を見に行きました。見物客はみんな思いは同じで、沿道を最後の舁き山笠が走り去るとみんな大博道路に移動しますので、急ぐといっても数千人の見物客で近寄れません。まだ朝6時前なのに祭り好きの人がなんと多いことよ、と驚きつつ都会の大通りの向こうに消えていく山笠を眺めていました。一幅の絵になる風景でした。 このページには七番山笠中洲流、八番山笠上川端通、櫛田入りが終了した櫛田神社のようすを紹介しています。 |
七番山笠中洲流の先走りの子どもたち。中洲流は全員で来てくれたようです。 |
先走りの子どもたちが三つくらいのグループに分かれて走ってきました。 |
幼児を抱いて走っています。山笠に0歳から参加してしている生粋の博多っ子です。 |
中洲流満津若の子どもたち。 |
七番山笠中洲流の舁き山笠が姿を見せました。 |
中洲流も全町が同じデザインの統一法被です。町名は左袖に入っています。 |
中洲流もメンバーが多く、前後左右を多くの舁き手たちが取り巻いていました。 |
舁き山笠の標題は「楠公湊川之奮戦(なんこうみなとがわのふんせん)」で、人形は楠木正成(まさしげ)。 |
鼻取りの腕の見せどころです。 |
後押しも前の人の腰をしっかり押しています。 |
最後の舁き山笠が走り去っていきました。 多くの舁き手が歯を食いしばって舁き続ける、エネルギーいっぱいの追い山を堪能した満足感でいっぱいです。 この後、八番山笠を見るために大博道路に向いました。 |
八番山笠上川端通の「走る飾り山笠」はまだ国体道路にいました。飾りを全部伸ばして高さ12メートルの堂々たる山笠で櫛田入りを済ませた後、国体道路に出ると頭上の障害物を避けるために飾りを縮め、8車線の大博道路にやって来てまた飾りを伸ばして北上して町に帰ります。 |
片道4車線の大博道路は飾りを伸ばして進めます。 飾りは見送り(後ろ側)で、標題は「秀吉賤ヶ岳合戦(ひでよししずがだけのかっせん)」。人形は上から豊臣秀吉、加藤清正、柴田勝家。 |
大通りをだんだん遠ざかります。 |
八車線の大博道路も人で埋まってしまいました。「走る飾り山笠」も遂にビルの向こうに消えていきました。 |
その後(6時ごろ)、櫛田入りの終わった櫛田神社に行き、山笠を楽しませてもらったことのお礼をいい、また今年何か少しだけいいことがありますようにとお願いしました。 (何か少しだけ、とかの抽象的なお願いは神様も忘れやすいそうで、私はかくかくしかじかのことを実行するのでお力添えをお願いします、とお願いするのがいいそうです。) |
櫛田神社の境内では恒例の「鎮めの能」が始まりました。 これで今年の山笠も終わったのかという一抹の寂しさもありますが、追い山をはじめ今年の博多祇園山笠を堪能した満足感に包まれて櫛田神社を後にしました。 |
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