7月9日の夕方6時から始まったお汐井取りも、東流、中洲流、西流の三流(ながれ)が無事に終え、四番山笠・千代流が到着しました。千代流は箱崎浜に一番近い地区ですが、山笠への参加者が最も多く一千人を越す大部隊です。 千代流以下、恵比須、土居、大黒流の四つの流もお汐井取りが終了すると、それぞれここ筥崎宮や帰町して櫛田神社でお祓いを受けます。帰りの体制を整え、各流の山小屋を目指して、「オッショイ、オッショイ」の掛け声とともに帰りの行進が始まります。 七つの流、数千人の博多っ子のお汐井取りが終わると、10日はいよいよ「舁き山笠」が各流の地元をまわる「流舁き」が始まり、15日早朝の「追い山」まで連日博多の町を、勇壮な山笠が駆けまわります。 |
6時半ごろ、四番山笠・千代流が姿を現しました。先頭を4人で進んでいます。 この流は一番参加者が多く、一千人前後の大部隊です。 |
この町内は三列縦隊の隊列を作っています。 三列縦隊は他に見かけませんでした。 |
多くの町内がぞくぞくと通っていきます。 千代流は統一法被です。 |
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千代流の子どもだから「千代子」でしょうか。 |
1千人が集結すると浜辺も渋滞し、海辺が空くのを待っています。 みんなねじり鉢巻はここで外していました。 |
五番山笠・恵比須流がやってきました。 手前側にはまだ千代流の帰りの列がずっと続いています。道路を半分ずつ使っての行きと帰りの列です。 |
行きと帰りの行進がずっと続きます。 恵比須流の法被は、町内ごとに昔からの独自の柄です。 (町内ごとに独自の法被を着る流は、恵比須、土居、大黒、西流の四流です。) |
入ってくる流は、「オッショイ、オッショイ」の掛け声をかけながら進みます。 出て行く流は相手の掛け声に合わせて、全員手拍子で迎えます。相手の流の最後まで、しっかりと手拍手を送っていました。 |
まだ千代流の帰りの列は続いています。 今年も子どもたちとお汐井とりができて、ありがたいことだ。子どもを抱いている腕はだんだんしびれてきても、心の中はすっきりとしていることでしょう。 |
六番山笠・土居流の登場です。 この流も町内ごとに独自の法被です。 |
昔ながらのかすりの法被は趣きがあります。 水法被の下は、さらしの腹巻をつける流とつけない流があります。この流はつけていません。 |
この町内は先頭の四人が提灯をしっかりと上に掲げています。 |
七番山笠・大黒流の登場です。 ここも先頭の全員が提灯を高く掲げて進んでいます。 |
この町内も、先頭の若衆が提灯を高く掲げています。 この流もさらしの腹巻はつけていません。 |
大黒流は、どの町内も先頭の若衆が提灯を高く掲げて進んでいました。 見ていてなかなか迫力のある隊列でした。 |
流の出発地から、みんなといっしょに行動すれば、数時間子どもを抱きっぱなしになります。しかもかなりの区間は駆け足です。お父さんは子どもといっしょに参加するのも体力がいります。しかし、子どもといっしょに山笠に参加できないのには堪えられないので、なんとかがんばって体力を維持しようと、みんなそれぞれ努力しているのでしょう。 最後の大黒流が引き上げたのは、夕方6時50分ごろでした。 |
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左側: 「ちくっとずんだれた格好で、なんばしよっとね。」 「ばってん、暑かけん、片っぽばぬいどっと。これでよかろうもん」 この子は「取り廻し(下がり)」をつけています。 右側: この赤ちゃんは7,8ヶ月くらいでしょうか。 おじいちゃんが、大事に抱えています。目の中に入れても痛くない宝物とはこのことでしょう。 |
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お父さんは今日仕事の都合がつかず、子どもとの約束を果たすために、急遽仕事先からここに駆けつけたのでしょう。 今日はなんとしても、家族の無事をお願いしないといけないのです。かろうじてお汐井とりには間に合ったようです。この後、子供たちをお母さんか親類の人にバトンタッチして、また会社へ戻らないといけないのかもしれません。 山笠の期間、みんななんとか仕事をやりくりして参加しているそうです。 |
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「僕はここがよかと。もう帰らんばい」 |
兄弟がいつまでも浜辺で遊んでいました。 近くの浜で、年に一度の楽しい砂遊びかもしれません。 |
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箱崎浜のお汐井とりの浜辺。 「神聖處」の高札が立ててあります。 昔から、お汐井とりのときに、大人の女性はこの浜辺に入ることは許されませんでした。十数年ほど前にこの慣習は廃止され、今は自由に入れます。多くの女性カメラマンが写真を撮っていました。 |
箱崎浜でお汐井をとったあと、流れによって、ここ筥崎宮で、あるいは帰町して櫛田神社でお祓いを受けます。 筥崎宮の境内で、お祓いや隊列の整備に1時間前後かけて、その後また隊列を組んで各流の山笠小屋を目指して出発します。 |
午後7時半ごろ。出発前の一休みです。 お汐井とりに参加した幼児はここで家族に渡され、先に帰る場合もありますが、みんなといっしょに最後まで抱いて走る気力と体力満々のお父さんもいます。 4,5歳以上の子どもは、みんなといっしょに隊列を組んで駆け足で帰ります。 |
夕方8時前に恵比須流が出発しました。 |
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こちらのお父さんも、この子を抱いて走ります。 「からだはきつかばってん、こげなこつ、苦労なんかじゃなかばい」と笑顔が語っています。 |
子供たちも残り半分、復路のがんばりです。 これから数十分駆け続けて、流の山小屋に到着して、飾り山笠の前で博多手一本で締めると、今日のお汐いとりの行事は終わります。箱崎から遠い地区の流の子どもたちは、家に帰り着くのは9時半から10時ごろになるでしょう。今日は6時間前後の鍛錬です。 |
町内ごとにまとまって進みます。 |
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左側: 2歳前後でしょうか。 「お父さん、待ってっちゃ。お父さんの一歩ば、私の三歩にあたるこつば、知っとーや。」 右側: こちらも子どもは走ってついていきます。 夕方5時ごろから走りづめ、立ちづめです。現在午後8時過ぎです。 |
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六番山笠・土居流です。 8時を過ぎ提灯の灯りが明るさを増してきました。 隊列はいったん出発すると、帰り着くまで原則として停止することはありません。交差点では先回りした係りの若衆が車に止まってもらい、赤信号でも隊列が止まることなく進むようにします。最後尾についている役員が、協力してくれた車に向かって丁寧に頭を下げていきます。数百年間続いてきた慣習です。 |
土居流の隊列が暗くなった町中を進んでいきます。 今日は一日中曇っていましたが、雨は降りませんでした。もちろん雨が降っても行われ、子供たちも雨の中だろうと元気に参加します。 |
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千代流の飾り山笠(やま)。山笠が飾ってある小屋が山小屋で、各流の集まりや行事の中心になります。 飾り山笠は、夜も明るく照らされていて、とてもきれいです。夕涼みしながら、明るく照らされた飾り山笠を見てまわるのも楽しいです。 千代流は、今日は夕方5時ごろにここに集結して出発し、夜8時半ごろ帰ってくる予定です。 千代流は箱崎浜に最も近いので、この予定ですが、遠い地区の流は、4時頃に集結して出発、帰りは9時前後になると思われます。 この千代流の飾り山笠の見送り(裏)は「筑前今様想夫恋」で、平家物語の中の、高倉天皇と小督(おごう)がモチーフになっています。 「峰の嵐か、松風か。 たずぬる人の琴の音か。 つま音高き想夫恋」 (飾り山笠「表」(「天地人」直江兼継)は追い山ならし(2)のペ−ジにあります。) |
千代流の「舁き山笠」で、人形は直江兼継。 舁き棒が外側にいくほど高くなっていて、舁き手の身長差に対応しているのがわかります。 |
夜8時半、千代流の隊列が、箱崎から「オッショイ、オッショイ」の掛け声とともに駆け続け、山小屋に帰ってきました。 |
提灯を高く掲げ、ぞくぞくと到着しました。 |
山小屋の前で、全員無事に帰ってきたことを確かめ、役員から明日の行事の指示があり、最後に博多手一本で締めました。本日のお汐井とりの行事が無事終了しました。 「よーお シャン、シャン もう一つしょ シャン、シャン 祝うて三度 シャンシャン、シャン」 あす10日からはいよいよ舁き山笠が博多の市内を走りだします。 10日 流舁き 11日 朝山、他流舁き(流によって異なります) 12日 追い山ならし 13日 集団山見せ 14日 流舁き 15日 追い山笠 連日、勇壮な山笠が博多の町を走りまわり、博多の祇園山笠も佳境にはいります。 |
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( 参考文献) 「どんたく・山笠・放生会」井上精三、葦書房 「山笠の風」大庭宗一、プランニング秀巧社 「博多祇園山笠きり絵」こにしかずよし、海鳥社 |
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