九州あちこち歴史散歩★博多祇園山笠・お汐井取り(1)東流・中洲流・西流          サイトマップ

 博多祇園山笠・お汐井取り(1)東流・中洲流・西流

  7月9日は博多祇園山笠のお汐井取りの行事が行われます。
(7月1日もお汐井取りが行われますが、この時は
当番町のみが参加します。)
9日は、全員参加です。舁き手をはじめ、山笠に参加する幼児からお年寄りまで、各流ごとにまとまり、「オッショイ、オッショイ」の掛け声とともに箱崎浜を目指します。
 夕方、七つの流は各流の山小屋(飾り山笠の建っている小屋)に集まり、町内ごとに整列し、流が一つの集団となって数キロ離れた箱崎浜を目指して出発します。隊列は各流とも数百人、千代流は千人前後の人数になります。
 「オッショイ、オッショイ」の掛け声をかけながらゆっくりした駆け足で進み、いったん動き出したら原則として一度も止まりません。交差点では、係りの若衆が先回りして車に止まってもらい、流れが止まらないようにします。何百年ものあいだ続いている慣習です。
 石堂川に着いたら、体制を整え、時間待ちをします。4,5歳以上の子どもは最初から大人といっしょに走ってきますが、幼児はここから参加することもあります。この1年間の無事を感謝し、山笠期間中の安全を祈願し、またこれからの1年間の無事をお願いする行事なので、多くの博多っ子が参加します。5時半から5分おきに一番山笠から順に石堂川を出発します。
 箱崎浜には6時ごろ到着し、七つの流が順番にお汐井取りを行います。お汐井は箱崎浜の真砂で、清めの砂です。これを海の中に入り、あるいは浜辺で、「升」や「てぼ(竹製の小さなかご)」にとります。これを家の玄関先に吊るしておいて家内安全を願い、外出時にからだにかけて身を清め厄除けとするそうです。

山笠の歴史や案内、地図、エピソードについては、こちらに詳しい記事が掲載されています。
博多祇園山笠(振興会)公式HP
博多祇園山笠(福岡市公式観光サイト)HP
中州流HP(エピソード)



 

お汐井の説明(筥崎宮境内)

   筥崎宮の境内にお汐(潮)井の説明がありました。



筥崎宮の大鳥居と高灯籠

   筥崎宮から三つ目の、国道3号線に面した大鳥居と、石造りの高灯籠です。

 大鳥居は昭和初期に建造されました。
 高灯籠は文化8年(1811)寄進され、9年建造着手、14年完成しました。
 さらに明治15年に解体修理され、現在の場所に移転されました。このあたりが、当時の海岸だったのです。
 現在の海岸は、北西に約200メートル遠ざかっています。

100年前の風景(「筥崎宮」または「筥崎八幡宮とその周辺」をクリックしてください)



大鳥居から筥崎宮方面を望む

   国道3号線から筥崎宮の方向(南東)を移しています。
 明治の頃は、このあたりが海岸の砂浜で、高灯籠は博多湾に向けての灯台の役を果たしていました。
 この反対側(うしろ側=北西)が箱崎浜になります。



お汐井とりが行われる箱崎浜

   箱崎浜です。
 筥崎宮からここまでの参道は約500メートルくらいでしょうか。
 昔はこのあたり(箱崎浜)は白砂青松の美しい浜でした。
 今は、かろうじて約200メートルくらいの巾の海が残され、その両端は沖合いまで埋め立てられ、埠頭や物流センターとなっていて、高速道路が架かっています。これも時代の流れでしょうか。
 山笠の期間(7月1日〜15日)はまだ梅雨の季節です。きょうも曇天でした。



箱崎浜にいた千代流の子ども   おじいちゃんと来ていた東流の子ども
 

 
 浜辺にはすでに水法被に締め込み姿の子どもたちが姿を見せていました。
 幼児は「伊達まわし」や「取り廻し(下がり)」をしている場合もあります。
 左側の写真の子は「取り廻し(下がり)」をしています。後ろが箱崎浜です。
 右側のおじいちゃんが手に持っているかごが「てぼ」です。これに真砂をつめて持って帰ります。
 父が忙しくていっしょに来れない幼児などは、奥さん(ごりょんさん)や親類などが連れてきます。
 ごりょんさんは祭りの間は大忙しなのです。山のぼせ(?)の旦那の締め込みを手伝って追い出した、いや、暖かく見送った後は、町内のごりょんさんが集まって、行事が終わって帰った後の流の「直会(なおらい)」の準備にとりかからなくてはなりません。「直会」は連日続くので、会場の準備、買出し、料理、片付けなどやることは山ほどあります。舁き山笠を舁いているわが旦那の勇姿を眺める暇さえないほどです。こういうやさしい、しっかり者のごりょんさんたちが裏でしっかり支えているからこそ、山笠が何百年もの長きにわたって続き、市民に愛されているのだと、みんな知っています。



  お母さんと来ていた千代流の子ども     
 お父さんが来るのを待ってるのでしょうか。
 まだオムツがとれていないようですが、がんばってしっかり歩いています。
 流として参加する場合は、幼児でも水法被に、締込みの正装が必要です。
 足元は、地下足袋に脚絆が正装ですが、幼児は靴でも止むをえませんね。

 流の名の入った正式な法被は、市販されません。他の名前の入ったレプリカは売っています。 




祭りの衣装が決まっている子ども  
「どう、このポーズ。決まっとるやろ。来年はお姉ちゃんたちといっしょに、山笠の前を走りたかー。」
 




博多祇園山笠・お汐井とり、東流  
 夕方6時、一番山笠・東流が姿を現しました。流の旗と高張提灯を先頭に掲げ、「オッショイ、オッショイ」の掛け声で進みます。

 




博多祇園山笠・お汐井とり、東流

   町内ごとにまとまって進みます。
 東流は統一法被です。(統一法被は東、中洲、千代流)
 この流は法被の下にさらしの腹巻をしています。





 博多祇園山笠・お汐井とり、東流の親子  
 小さな子どもにとって、きょうは楽しいピクニックの日かもしれません。
 いつも暗くなってからでないと仕事から帰ってこないお父さんが、なぜか今日は夕方明るいうちに帰ってきて、子どもをいっしょに海につれていってくれるのです。
 「今日はくさ、お父さんとくさ、おしりのすーすーする服ば着てくさ、なんかなし砂遊びができるったい。ほんなこつ、うれしかー」 




博多祇園山笠・お汐井とり、東流の子ども    博多祇園山笠・お汐井とり、東流の子ども 
  左側:
 100人の部下に指示を与えているような風格が感じられます。りりしい表情です。もう、お父さんと手をつながず、一人で行動できます。しかし、去年はずっと手をつないで走ったお父さんは、わが子が頼もしくもあり、ちょっと淋しいのかもしれません。

右側:
 4,5歳になると、子どもどうしで行動します。年長者は小さい子の面倒をみます。それでも浜辺にカニが一匹でもいると、何人かは迷子になります。



博多祇園山笠・お汐井とり、中洲流

   二番流・中洲流が到着しました。
 ここは先頭の役員の間隔を広く取っています。
 各流や、町内ごとにそれぞれ慣習があります。



博多祇園山笠・お汐井とり、中洲流

   中洲流の中洲4丁目の町内です。
 町名を書いた「招き板」を持つ子は気合が必要です。腕がだんだん重くなってきます。



博多祇園山笠・お汐井とり、中洲流

   ここも「招き板」を必死で抱えています。「招き板」や「招き旗」、提灯などは当然出発地から列の前を胸の前に掲げながら走ります。帰りも同じです。交替しながらとはいえ、子供たちにとっては大仕事です。しかし、ここにいる大人たちは全員そのような役を経験してきていて、子どもが大変なのはみんな知っているのですが、見ないふりをして、心の中で「がんばれよ」と応援しているのです。子どもたちもこのような経験を積むことで鍛えられていきます。祭りの中で、規律や助け合いを学んでいきます。



博多祇園山笠・お汐井とり、中洲流

   中洲5丁目の町内。
 先に行った数百人がお汐井を取っているので、駆け足では前に進めなくなりました。浜に入る前にねじり鉢巻を取り外してました。



博多祇園山笠・お汐井とり、西流

   三番山笠・西流の冷泉町です。ここは役員は長法被を着ています。



博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子    博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子
   この子たちは生後6ヶ月前後のように見えます。
 お父さんやおじいちゃんは、うれしさ一杯ながら、落しては大変とばかりに、宝物を抱くようにしっかりと抱いています。 



博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子  
 右側の子はもうしっかりとお父さんをコントロールしているようです。お父さんは、奥さんには時に文句もいいますが、子どもには一言もいえまっしぇん。
  




博多祇園山笠・お汐井とり、西流

   狭い箱崎浜は数百人も入ると渋滞します。しばし待たされています。
 浜に着くと海に向かって拍手を打ち、安全を祈願します(2礼2拍手1礼)。そして海に入り、あるいは浜辺でお汐井(真砂)を取ります。



博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子   博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子
 
 左の子は「伊達下がり」と「取り廻し(下がり)」をつけています。



博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子   博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子
 
 今年も子どもと揃って、お汐井とりができました。みんな満足した表情で引き上げています。
 右側の写真の一番小さな子も「取り廻し」をつけています。



    博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子
 
 こちらも子どもたちとしっかり手をつないでいます。この後、流でまとまって筥崎宮や、帰りの途中で櫛田神社でお祓いを受けます(流によって異なる)。復路はまた約1時間かけて駆け足で各流の山小屋に帰ります。
 「子どもたちといっしょに、今年もお汐井とりに参加できましたばい。またこれからの1年間もがんばる元気ば出てきよりました。」



一年間で一番いい笑顔    一人わが道を進む頼もしい子ども
 
 一年間で一番いい笑顔でしょうね。
 
博多祇園山笠・お汐井とり、西流の親子  
「この子はまだ歩けるかな」
 下の子は今年初めて歩いて参加しているのでしょう。
 
 「我唯一人になろうとも、わが道を行く」。なんとも頼もしい後継ぎです。


お汐井取りの後半の様子は、お汐井取り(2)に続きます。



   
  ( 参考文献)
「どんたく・山笠・放生会」井上精三、葦書房
「山笠の風」大庭宗一、プランニング秀巧社
「博多祇園山笠きり絵」こにしかずよし、海鳥社
   

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