7月12日、追い山ならしを見物しました。 この日は梅雨の合間で、曇り空ながらも最後まで雨は降らず、山笠を楽しむことができましたた。 私は、今年は承天寺の前で六つの流(ながれ)の舁き山笠(かきやま)を見物しました。 (その後移動して国体道路で七番山笠の舁き山笠、八番山笠の走る飾り山笠を見て、その後櫛田神社にお参りし、5か所の飾り山笠を見て回りました。・・・その(2)に続く) 山笠の歴史や案内、地図、エピソードについては、こちらに詳しい記事が掲載されています。 博多祇園山笠(振興会)公式HP 博多祇園山笠(福岡市公式観光サイト)HP 中州流HP(エピソード) |
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一番山笠(やま)・東流の「先走り」が勢い水(きおいみず)を全身に浴びながら駆けてきました。 「先走り」は舁き山の前を走る数十人〜百人の子どもたちのグループです。 子どもたちの服装も大人とまったく変わるところはなく、水法被(はっぴ)に締め込み姿です。 |
「先走り」が走り去ったあと、オイサッ、オイサッの掛け声とともに、一番山笠・東流の舁き山笠が走ってきました。 水法被は前をしっかり結んでいる。これはころんだ時に、とっさに法被を持って引き上げるためらしい。 東流は法被の下にさらしの腹巻を巻いているが、腹巻を巻かない流もあります。 |
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祭りの期間は7月1日から7月15日です。(15日は早朝まで。15日に来ても何もありません。博多の人間は、15日間の祭りをやり終え、みんな眠りこけています(?)。) 7月10日から山笠を舁き始めます。 本日12日の「追い山ならし」と15日の「追い山」は、東町通り、西町筋など昔からの狭い通りを早く走り抜けないといけない(本質はもちろん櫛田神社への奉納であるが、各流のタイムレースの一面もある)ので、慣れた舁き手が舁(か)くそうです。 祭りは「山笠(やまかさ)」といいますが、「舁き山笠」、「飾り山笠」は、「かきやま」、「かざりやま」といっています。 |
オイサッ、オイサッ、オイサッ、オイサッ。 数百人の集団が、山笠の前後で舁き手を交替しながら走りすぎていきます。 約1トンの舁き山笠を担ぎ、4キロのコースを走り抜きます。(15日本番は5キロ) |
さかんに勢い水がかけられます。 東流は昭和43年から統一法被を着用している。流を構成するどの町も白地に「東」の文字を染め抜いた同じデザインの水法被で、町名は左袖の袖章で示している。 (統一法被は、東流、千代流、中洲流の3流。) |
承天寺の手前で見たが、見物客でいっぱいでした。 12日の「追い山ならし」は午後3時59分スタートなので、見物に行きやすい。迫力も十分です。 15日は、早朝4時59分スタートなので、時間的にはややつらい。前夜から夜通し町をぶらぶらして待つ(営業している店も結構多い)か、早朝に起きて間に合うように行くか、どちらでも好きなほうでいい。早朝なので人も少ないだろうと思うと大間違い。追い山コースの沿道には人があふれる。本番の追い山は真剣味も、迫力も、勢い水も一段とヒートアップするので、ぜひ楽しみたい。 |
去っていく集団の後姿を見ると、統一法被の流には集団美を感じます。 |
二番山笠・中洲流がやってきました。ほぼ5分ごとに全部で七つの流がやってきます。 子供たちの「先走り」のグループが、流の責任者に率いられてやってきました。 町名を書いた「招き板」を掲げる子は大変だ。肩に担ぐわけにはいかず、前に掲げて走り続けるのは、交替しながらとはいえ、腕が鉛になるだろう。 ここ承天寺の「清道旗」をまわると、あとは4,5キロのコースをゴールまで、休むことなく走り続けます。 |
二番山笠・中洲流の舁き山笠がやってきました。 前方で舁き縄を持って交替しようと待ち構えていて、左側で指2本を出して、舁き手交替の合図をしています。内側2本の担ぎ棒の交替は正面の真ん中から棒の中に入っていくそうです。舁き山笠は走りながら舁き手を交替する(舁き山笠が止まることはない)ので、交替はむずかしく危険です。 |
目の前を舁き山笠が通り過ぎます。すごい迫力です。 |
中洲流も白地に「中洲」の文字を染めた統一法被です。 舁き山笠の重さは約1トン、高さは約4.5メートル。町なかの架線などとの関係で、これ以上高くはできません。昔は、高さ15メートルもある飾り山笠を担いで町を走り回っていたようですが、現在は飾り山笠と舁き山笠とは完全に分かれています。(八番山笠は例外、後述) |
三番山笠・西流の、大がまの背に乗った「児雷也」が現れました。 迫力のある飾りです。 正面に向かって右側3本の担ぎ棒は右肩で担ぎ、左側3本は左肩で担ぎます。 真ん中の担ぎ棒2本の舁き手交替は、6本の担ぎ棒の真ん中へ前方から入っていく。両端側各2本の舁き手は、横側から入って交替する。山笠は進みながら狭い場所での交替になるので、どちらにしても難しくて危険であり、経験と度胸が必要です。 |
舁き手は交替する位置に着いたら、直ちに舁き綱を棒にまわして、両手で綱をしっかり掴みます。狭いスペースだから、時には足がからんだりしてつまづくことがあるが、このときには必死で舁き綱にしがみつき、絶対に下に落ちてはならない。舁き綱が命の綱なのです。舁き綱は各自の責任で、丈夫な綱を自分で用意します。使わないときは腰にはさんでおき、子どもも全員が持ちます。 |
奇数番の山笠は「差し山」、偶数番の山笠は「堂山」となっています。 「差し山」は、「大神宮」などの神額を最上部につけていて、勇壮な題材(人形)が多い。 「堂山」は、最上部にお堂(屋形)をつけていて、優雅なものが多いとされます。 これは飾り山笠も同じで、差し山と堂山は扱われる題材とそれぞれの最上部の飾りが異なっています。 |
三番山笠・西流の舁き山笠が走ります。 |
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四番山笠・千代流の挨拶のグループ。「先走り」の集団が走ってくる前に、その流の責任者を含んだグループがまず走ってきて、清道旗の前の承天寺住職に挨拶を述べる。 メンバーは流によって大人二人、大人数人、大人二人+子ども数人などそれぞれであった。 |
四番山笠・千代流の舁き山笠が走ります。 |
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真夏に水。 子どもにとっては格好の遊び場と化します。 「ずぶぬれになって」と笑ってはいけない。舁き山笠が近づくと「勢い水」が一斉にかけられ、見物中の大人も頭からざんぶと水をかぶるのを覚悟しないといけません。 |
五番山笠・恵比須流の挨拶のグループがやってきました。 この流は大人3人、子ども5人のグループでした。 |
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住職に挨拶を終えたグループが走り去る。 「招き板」は前方からよく見えるように、正面に向けて持って走らないといけないが・・・。その大変さについ「がんばれ」と声をかけたくなる。 この後、「先走り」の子どもたちが走り込んでくる。 |
五番山笠・恵比須流の舁き山笠がやってきました。 舁き山笠は縦方向に、長さ5.2メートルの担ぎ棒が6本取り付けられてある。棒には飾りの前、後ろ側にそれぞれ2人ずつ取り付く。担ぎ棒につく舁き手が計24人となる。このほかに、舁き山笠の飾りの両横に、流によって各1人か2人が取り付く。ちょうど張り巡らされた幕のきゅうりの紋(実は櫛田神社の神紋「木瓜(ぼけ)」)の横で、「きゅうり舁き」と呼ぶそうです。従って舁き手は合計26人か28人となる。また、流によっては、きゅうり舁きの片側を2人、他方を1人とするところもあり、この場合は27人となります。 また、両側の担ぎ棒の前後のひもを引っ張って、山笠の進む方向をコントロールする「鼻取り」が計4人つくので、直接舁き山笠につくのは総計30人から32人となります。 |
舁き手はどんどん交替しないとからだがもちません。一人が舁けるのは100メートル前後だそうです。 後側の舁き手の後ろには、十数人の「後押し」が付いて、強力に棒を押して前進させます。 このほかに、進路方向を整理していく「前さばき」のグループや、一番前方を走る百人前後の子どもたちの「先走り」が加わり、舁き山の流は数百人から、千代流など参加人数の多い流では千人前後の集団となって走ります。 |
恵比須流は、町ごとに独自の法被を着用しています。 (各町独自の法被を着用する流は、土居流、大黒流、恵比須流、西流の計4流)。 恵比須流は、白地の法被と、紺の法被と半々くらいに見えます。 昔から変わらないデザインで、こういうのを見ると760年余り続く祭りの歴史を感じます。 |
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( 参考文献) 「どんたく・山笠・放生会」井上精三、葦書房 「山笠の風」大庭宗一、プランニング秀巧社 「博多祇園山笠きり絵」こにしかずよし、海鳥社 |
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