九州あちこち歴史散歩★柳川市沖端水天宮大祭2013(2) サイトマップ
この水天宮の祭りは、約200年前の文化年間(1804-1818)に祇園祭りとして奉納したことに始まったようで、当時はお宮の前に町内から小舟3隻を出し、1隻には御輿、2隻にお囃子を乗せ、お宮から御花(柳川藩立花家の殿様の庭園)まで行ったり来たりしていたそうです。 昔は地元の芸達者たちがお芝居などの出し物を演じて、みんなで楽しんでいたのでしょうか。 |
青年たちが舟舞台を移動させています。 祭りは沖端地区の6町で運営しており、昔は1町ずつ持ちまわりでしたが現在は若者が少なくなったこともあり、2,3町がいっしょになって運営しているそうです。 |
舟舞台の「三神丸」は6つの町に対応した場所に、約30分おきに200メートルの掘割の中を移動していました。 御花に近づくほうが「上り」で、舟が「上り」「下り」「留(と)まり」のときそれぞれに演奏するお囃子の内容が異なるそうです。 |
沖端水天宮の神紋は提灯に見えている「祇園守(ぎおんまもり)」と「椿」です。 水天宮は祇園社など三社を合祀しているので、もともと「祇園守」が神紋だったのでしょうか。 柳川藩の立花家の紋もこの「祇園守」です。(柳川に移封される前から「祇園守」を使っていました。) 「祇園守」紋には十種類前後の紋がありますが、この「祇園守」と立花家の(主に使われている)「祇園守」は全く同じですね。 (「祇園守」の紋はキリシタン大名が使用した例が多いようです。藩祖立花宗茂はキリシタン大名ではありませんが、主君であった大友宗麟がキリシタン大名だったのでその影響があるのかもしれません。) 水天宮の総本社である久留米水天宮のある久留米地方では、祭祀されている安徳天皇は壇ノ浦で入水しておらず、久留米の地でその後を過ごされたとの言い伝えがあり、お住まいになられた井戸のそばに美しい椿が咲いたそうで、「椿」も神紋となっています。 |
法被の背中の模様が「椿」紋でした。 |
水天宮さんの正面の幕に「祇園守」と「椿」の紋が掲げられています。 |
沖端の掘割から5分くらい歩くと矢留(やどみ)小学校の横に「白秋歌碑苑」があり、北原白秋の「帰去来」の歌碑などが建てられていました。 |
帰去来 山門(やまと)は我が産土(うぶすな)、 雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、 飛ばまし、今一度(ひとたび)。 筑紫よ、かく呼ばへば 恋(こ)ほしよ潮の落差、 火照(ほでり)沁む夕日の潟。 盲(し)ふるに、早やもこの眼、 見ざらむ、また葦かび、 籠飼(ろうげ)や水かげろふ。 帰らなむ、いざ鵲(かささぎ) かの空や櫨(はじ)のたむろ、 待つらむぞ今一度。 故郷やそのかの子ら、 皆老いて遠きに、 何ぞ寄る童(わらべ)ごころ。 |
歌碑の近くに掲げられている「帰去来」の解説文です。 |
水郷(すいきょう)柳河こそは、我が生れの里である。 この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である。 この水の構図、この地相にして、はじめて我が体は生じ、我が風は成った。 「水の構図」より 白秋 歌碑公園の入口に建てられていました。 「水の構図」(昭和18年(1943)1月刊行)のはしがきの書き出しの一節です。 白秋はこのはしがきに、「夜ふけて人定って、遺書にも似たこのはしがきを書く」「昭和17年10月6日 病の床にて 北原白秋」と記していますが、この本の刊行を見ることもなく、1ヵ月後の11月2日に逝去しました。 白秋は水郷を「すいきょう」と表示していますが、現在は「すいごう・やながわ」と呼ばれることが多いようです。 (大分県の水郷日田は「すいきょう・ひた」と呼ばれています。) 柳川は昔は柳河と記されていましたが、柳河町が周辺の村と合併して昭和26年(1951)に「柳川町」となり、その翌年に「柳川市」になってからは「柳川」が使われています。 (北原白秋については「柳川・沖端の町と北原白秋」のページにも触れています。) |
舟舞台では小学生の熱演が続いています。 |
しっかり太鼓を見つめて… |
のびのびと全身を使って… (後ろの紺色の幕に描かれている紋が「椿」紋です。) |
みんな全力を出し切って太鼓を叩いています。 |
舟舞台囃子を聞きながら、掘割のまわりをゆっくり散歩しました。 |
堀端には白秋の歌にゆかりのある「からたち」が植えられていました。 |
夕闇があたりをつつみ、舟や夜店などの提灯が輝き始めました。 お祭りの雰囲気が高まってきます。 |
すばらしいバチさばきが続きます。 |
夜8時ごろに、舟舞台のお囃子のメンバーが子ども(小学生)から大人(OBの中高生〜大人)に交替しました。 小学生のメンバーは午後2時ごろから8時までよくがんばっていました。 |
三味線の皆さんも小学生からおとな(中学生以上)のメンバーに交替しました。 小学生のときに猛練習を重ねて祭りに参加し、今年も是非ともその楽しさ、達成感を得ようと思って練習を重ねてきたのでしょうね。 積極的に参加して祭りを盛り上げてくれる若者たちがいるのは心強いですね。 |
先輩たちの笛、三味線をバックに小学生が太鼓を叩いています。 気合が入っています。 |
バチがしなっています。 力がこもっていて、小気味よく太鼓を叩いています。 |
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