九州あちこち歴史散歩★小倉祇園太鼓2010八坂神社と神楽                   サイトマップ

小倉祇園太鼓2010八坂神社と神楽

  7月25日午後4時ごろ、八坂神社に参拝しました。
境内には、小倉祇園太鼓の山車が置かれ、いくつかの山車のグループが参拝に来ていました。
神社の本殿からお囃子の笛太鼓の音が流れており、横の方から近づいてみると神楽が奉納されていました。私は神楽は大好きです。係りの人に聞いてみると観覧は自由ということなので、中に入ってゆっくり見させていただきました。
奉納されていたのは出雲神楽で、「出雲国大原神主神楽保存会」の方々が、島根県から来て熱演されていました。
小倉で本場の出雲神楽が楽しめるとは思ってもいませんでした。後で聞いたら、毎年出雲神楽を奉納しているとのことです。
なぜ、九州の小倉で出雲神楽を奉納するのかといえば、八坂神社や祇園様がお祀りしている神様はスサノオノミコトだからです。スサノオは出雲の最大の神様です。その一族は、出雲を治め、果物や植林の事業を全国に広め、それに感謝する村人が建てた八坂神社が全国に広がっています。

私は「国譲
(くにゆずり)」と「八頭(やと)」の二つの演目の神楽を終りまでの約2時間ほど楽しみました。
この日は五つの演目の神楽が奉納されたようです。
  
  祭りの詳細については 八坂神社の公式ホームページ に掲載されています。

  当日のお囃子の一部を 神楽「八頭」のお囃子 でお聞きください。(音声:5分45秒、MP3)
  スサノオとヤマタノオロチが戦いを始める場面で、非常に力のこもったお囃子です。



細川忠興公築城の小倉城

 小倉城の地には戦国末期に城が築かれていましたが、関ケ原の戦いの後入封(にゅうほう)した細川忠興公が、1602年本格的に築城を開始し、7年をかけて小倉城を完成させました。
 また忠興公は、住民の無病息災を祈るとともに、城下町繁栄の一つとして元和元年(1617)に祇園社(現在の八坂神社)を建て、京都の祇園祭りを小倉の地に取り入れました。
 それから約400年近く、祭りは盛大に続き、祭礼行列のなかで太鼓も打たれてきましたが、小倉祇園太鼓が現在のような形で盛んになったのは、戦後になってからのことです。
 昭和18年(1943)、岩下俊作氏の「富島松五郎伝」を原作として三船敏郎主演の映画「無法松の一生」が作られ、祭りの盛大化とともに、全国的にも有名になりました。



小倉城の石垣

細川忠興、小笠原忠真両公も、祇園祭りが町の最大の祭りとして続いているのは大いに喜ばれていることでしょうが、お城の中まで小倉祇園太鼓の山車に埋めつくされるとは思いもしなかったことでしょう。

1632年細川忠興公は肥前国に移り、替わって小笠原忠真公が入封、以降小笠原家が小倉藩を治めました。
なお、小倉城は1866年第二次長州征討に際し焼失、現在の城は1959年に外観復興されたものです。



八坂神社本殿

小倉の八坂神社本殿



八坂神社の扁額

           神社正面の扁額



八坂神社の紋「祇園守」 八坂神社の門「祇園守」

小倉の八坂神社の紋です。左は八坂神社の幕、右は提灯に描かれたもので細部に差異はありますが「祇園守(まもり)」の紋です。
家紋はデザインが洗練されていて、日本の美的センスの結晶といえます。
この巻物が交差したようなデザインはその由来がはっきりしていません。

この交差(クロス)を十字架と看做して、キリシタン大名が使用したのは有名です。
九州では立花宗茂、小西行長が祇園守の紋を使用しています。
(立花宗茂は洗礼を受けたかどうか不明ですが、若いころの主君大友宗麟は熱心なキリシタンであり、当時の九州の領主の大村純忠、有馬晴信や後に入封してきた黒田如水、長政親子などキリシタン大名は多かったので、その影響は受けけていたものと思われます。
小西行長は熱心なキリシタン大名で、関ケ原で西軍として戦い敗北、捕らえられましたが、切腹を拒否し斬首されました。)



「出雲国大原神主神楽保存会」の神楽「八頭」

出雲神楽 出雲国大原神主神楽保存会の「八頭(やと)

老夫婦(アシナヅチとテナヅチ)が娘を連れて山へ向かっています。
恐ろしいヤマタノオロチ(八岐大蛇)に娘(イナダヒメ(稲田姫)、(クシナダヒメ(奇稲田姫)ともいう))を差し出さないといけないのです。これまで7人の娘をオロチに食われ、今年は最後に残った娘をこうして泣きながら山へ送っています。



出雲神楽「八頭」。スサノオニミコトの登場

天上界を追われたスサノオが出雲国に降りてきて、泣いて歩いている三人に出会い、助けることを約束します。
(記紀によると、スサノオはアマテラスオオミカミ(天照大神)の弟ですが、天上界で悪ふざけが過ぎたため、怒った姉がスサノオを地上に追い払いました。)



出雲神楽「八頭」。ヤマタノオロチに飲ませる酒の準備。

スサノオはアシナヅチにヤマタノオロチに飲ませる酒を準備させます。



ヤマタノオロチの登場

やがて、恐ろしいヤマタノオロチが現れました。
(出雲の石見(いわみ)神楽では長さ10メートル程もある大蛇が登場してとぐろを巻きますが、こちらの神楽ではトカゲ蛇の登場です。)





この神楽ではヤマタノオロチはトカゲ蛇です。

トカゲ蛇(パンフレットにもそのように説明されていました)、言い得て妙ですね。これが実にすばしっこいのです。



備えてあった酒を飲むヤマタノオロチ

ヤマタノオロチは置いてあった酒を飲み干してしまいます。



ヤマタノオロチの前にスサノオが現れます。

そこにスサノオが現れます。

スサノオが持っている剣は父にもらった十束剣(とつかのつるぎ)(十拳剣、十握剣とも記される)で、後の崇神天皇の時代に奈良県天理市の石上(いそのかみ)神社に納められました。石上神社は伊勢神宮より古い日本最古の神宮です。石上神社のご神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)はこの十束剣であるとも、神武天皇が天から授かった平国剣(ことむけのつるぎ)ともいわれています。



戦いを挑むスサノオ

  スサノオはヤマタノオロチに戦いを挑みます。



スサノオとヤマタノオロチの激しい戦い

双方はくんずほぐれつの激しい戦いを繰り広げます。
これが一般的な能や神楽と違って、実にリアルなのです。
スサノオが優勢になると、ヤマタノオロチは柱や観衆の後ろに隠れ、隙を見てスサノオを後ろから攻撃します。



観客を楯にして戦うヤマタノオロチ

今度は観客を舞台に連れて行き、観客を楯にして戦います。
動きも激しく、実に表現がリアルで、見ていてわかり易く面白い神楽です。
囃子も7,8人の多人数で大変迫力があります。(大太鼓1人、締め太鼓1人、笛5,6人、鉦1人)

(参拝のついでに流れてくるお囃子に木陰で耳を傾けるだけでも楽しいです。もちろん時間があれば中に入って見るともっと楽しいのは言うまでもありません。観覧自由(出入り自由)でした。)



スサノオがついに勝利

スサノオはついにヤマタノオロチを打ち倒しました。



退治したヤマタノオロチの尾から「天叢雲剣」を得た。

退治したヤマタノオロチの尾から「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」が出てきました。
(後に宮中の三種の神器の一つになります。)

天叢雲剣(草薙の剣)の変遷(古事記などの神話のお話です。)
それぞれの場面にドラマがあります。
(1) スサノオが退治したヤマタノオロチの尾から天叢雲剣を見つけ、天上界の姉アマテラスに献上した。
(2) 天孫降臨の際にニニギノミコトに渡された。
(3) 天つ神が地上を治め、しばらく八咫鏡(やたのかがみ)とともに宮中に置かれた。
(4) 天災疫病が続き、宮中に置くのは良くないとの託宣があり、伊勢神宮内宮に移した。
  (アマテラスを祀った神宮はそれまでに数十年かけて近畿などの27箇所を移り(元伊勢)、ようやく伊勢の五十鈴川のほとりに霊地を見つけそこに留まった。)
(5) ヤマトタケルが東征の旅に赴く途中伊勢神宮に立ち寄り、渡された。
  ヤマトタケルは伊勢神宮の巫女である姉のヤマトヒメ(倭姫)に「父(景行天皇)は私に死ねというのか」と難業を嘆き、姉は「危ないときにはこれを使いなさい」といって宝刀を渡した。
(6) 駿河国で敵から火攻めにあったヤマトタケルは、まわりの草を切り払って助かった。(焼津の地名の起こり)
  これにより「草薙剣(クサナギノツルギ)」ともいわれるようになった。
(7) 東征の帰途、ヤマトタケルは剣を尾張国の姫に預け、伊吹山の悪神を退治に行ったが病を得、能褒野(のぼの)の地で亡くなった。白鳥となって空高く飛んでいった。
  残された剣を祀るため熱田神宮が建てられた。
(8) 平家が壇ノ浦で滅んだとき、按察局(あぜのつぼね)が8歳の安徳天皇を抱き、二位の尼(平清盛の妻)が宝剣(天叢雲剣)を抱いて「波の下にも都がございます。」と入水した。(二位の尼が天皇と宝剣を抱いて入水した、と記した本もある。)
  こうして宝剣は失われた。(歴史書「吾妻鏡」には「(三種の神器の)鏡と勾玉(まがたま)はあるが、剣は紛失した」との記載がある。)

なお、伊勢神宮、熱田神宮には本物の鏡、剣があり、宮中に置いてあったのは儀式に使う模造品であったとの説、宮中と熱田神宮にあった草薙の剣はもともと別のものが存在していたとの説などいろいろあります。
「平家物語」では、ヤマタノオロチが安徳天皇となってスサノオに奪われた剣を取り戻したのだという壮大な発想になっています。



スサノオはクシイナダヒメと結婚し、出雲の国造りに励みます。

スサノオはイナダヒメと結婚し、新居を作り、出雲の国作りに励みます。

ふつう神前の神楽といえば、優雅で穏やかで単調なものが多いようですが、この神楽は実に動きが軽快かつダイナミックで、お囃子も迫力があり、活劇を見ているような楽しさでした。


   

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