競演大会も終了し、小倉城周辺も夕闇が迫ってきた。 ずらりと並んだ夜店も明かるさを増し、浴衣姿などの夕涼みの人も多くなり、道路は人でいっぱいになっていた。 町の祭りに多くの人が、夫婦で、子ども連れで、あるいは友人と、夕涼みがてらにみんな集まって楽しめるのもまたすばらしい。夏の日の楽しい思い出となるだろう。 夜店を眺めていると、あちこちから太鼓の音が響いてきた。お城の周辺のあちこちに太鼓を据えて叩いている。リバーウォーク、井筒屋など数か所の周辺で、2、30組(?)の太鼓が夜10時まで、日頃の修練の成果を披露し、我々を楽しませてくれる。 リバーウォークのそばでも始まっていたので、早速聞きにいった。 詳細については 小倉祇園太鼓の公式ホームページ に掲載されています。 |
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夜店の明かりがだんだん輝きを増したきた。 夜7時をまわったくらいだろうか。 夜店には、子どもたちや、親子連れの姿が絶えることがなかった。 夜店は子どものパラダイスだ。 奥の子が手に持っているビニール袋は、金魚すくいですくった金魚だろうか。 |
お城のすぐ前の「リバーウォーク」ビルには、吹き抜けの3階まで届く噴水があった。この日は子どもたちの絶好の遊び場になっていた。 |
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この夜店のそばでしばらく一休みした。 子どもたちがひっきりなしに集まり、好きなキャラクターをすくって遊んでいた。 |
リバーウォークの前の空き地で、据え太鼓の演舞が始まっていた。(「女無法松の会」) 最初に見物したこの組は(しばらくして気がついたのだが)「女無法松の会」とのぼりや太鼓に記してあった。無法松をもってくるとはなかなか根性があって意気込みが感じられるなあ、と思ったが、動きもしっかりしていて、夜がふけるとともに演舞にも熱がこもってきた。すばらしいなあ、と思ったがそれもそのはず、据え太鼓競演大会で平成18、19年と連続して優勝している超実力派であった(翌日知った)。脱帽である。 法被(はっぴ)の模様は「束ね熨斗(たばねのし)」紋と思われるが、祭りにはよく似合う。特に夜にはそのカラフルな色合いが闇に映えて美しい。 |
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左の子どもたちは、おばあちゃんといっしょに初めから終わりまで(約40分位)ずっと演舞をくいいるように見ていた。 祇園太鼓の音が、体内を駆け巡り、DNAとなって蓄積し、太鼓の好きな小倉っ子に育っていくのであろう。 右の子どもたちも、ずっと聞いていたあと、太鼓を叩かせてもらっていた。いつも太鼓の練習をしているといって、なかなかしっかり叩いていた。たしか4歳といっていた。 |
隣では「虎龍会」の若い面々ががんばって太鼓を打っていた。(「虎龍會」) |
こちらは「正夏會」が熱演中である。夜も少しずつ更けていく。(「正夏會」) 10メートル間隔くらいで、数組が競って太鼓を打っている。観客はそれを取り巻いて、どこでも好きなところで聞いている。どの組も太鼓は2台一組であり、1台だけの組はない。小倉の祇園太鼓は2台一組の、両面打ち、ジャンガラ(摺り鉦)がそれぞれの太鼓に一人ずつついて、計6人で演舞する。 あちこちから太鼓の音が響いてくるので、私はどこの組を聞こうかとウロウロする。うれしい悲鳴である。 あたりが暗くなると、私の慣れない腕では、だんだんブレた写真となってきた。見にくい点はお許しください。 |
空も暗くなり(夜8時くらいか)、祭りもだんだん佳境にはいってきた。(「正夏會」) このビルの周辺でも、数組が太鼓の演舞を行っていた。3,40分演舞してはしばらく休み、また演舞を始める。これを数回繰り返し、夜10時まで熱演が続く。 打ち手は、腕もさることながら、まず体力がないととてもつとまらないなあと感じた。夏の夜に、汗にまみれながら、数時間のパフォーマンスを続けるのは、並大抵の体力ではもたないだろう。 (翌日は午後に据え太鼓の競演大会が開かれ、夕方からは今日と同じく夜10時まで演舞を続ける。) 私たち観客は、疲れたら前に座りこんで、うちわや扇子で涼みながら、気楽に楽しませてもらった。なんか悪いなあ。その分、熱演が終わったときには、大きな拍手を送りました。 |
こちらでは落ち着いた紺色の法被に股引姿の「正夏會」の演舞です。 私は、この伝統的な紺の法被姿が好きだ。 キッと前を睨み、三尺ほど(?)飛び上がっている。 |
いい構えだなあ。 スキのない構えが魅力的だ。 |
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この構えもすばらしいなあ。 この構えを見ると、武蔵の二刀流を連想する。(私の勝手な思い込みです。) 女武蔵、うむ、できるな、などと迷想しながら聞き入った。 |
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力強い太鼓だ。 こちらはさだめし男武蔵か。ハッタと空を睨んだ目がいい。気合が感じられて、聞くほうも力がはいる。 ドロ(右の女の子)もカンを引き立てようと、リズムを合わせてずっと打ち続ける。 |
カン、ドロ、ジャンガラが力を合わせ、調和して、すばらしい演奏を聞かせる。 |
背筋をシャキッと伸ばし、堂々たる構えだ。すっくと立ったさまは尾張柳生流、柳生兵庫(肥後国加藤清正公にしばらく伺候していた)に教えを受けたか。(と、迷想しながら見入る) 見ている方も背筋が伸びてくる。 |
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舞が始まった。 日頃鍛えた腕で、すばらしい撥さばきを披露する。 のびのびとした身のこなしで、しっかりと太鼓を打つ。胸に響いてくる せちがらい毎日で縮こまっていた心が、少しずつ広がっていきそうだ。 しばらく太鼓の音で、心を洗ってもらおう。 |
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八面六臂(ぴ)の舞が始まった。 夏の夜の幻舞もいよいよ佳境にはいってきた。 |
舞は止まることなく、ますます華麗になる。 |
連日鍛えた身のこなしと気迫で、女武蔵は小次郎を倒すべく華麗に舞う。 はたして小次郎は斃れたか。 |
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「正夏會」の演舞を十分楽しませてもらいました。 心のあかを叩き出し、太鼓と鉦のエネルギーをもらいました。 |
こちらは「女無法松の会」の演舞です。 疲れをものともせず、力強い演舞が続く。 観客は太鼓から数メートルのところを取り巻いて聞いている。太鼓の音が頭や腹に響く。いい雰囲気だ。 (以下の写真は「女無法松の会」の演舞です。) |
全身の動きも激しくなってきた。 そろそろ夏の夜の舞いが始まったようだ。 |
ジャンガラ(摺り鉦)が、鉦の存在を忘れるな、とばかりに登場した。 鉦が太鼓のリズムを統率する。(阿波踊りでも同じ) 太鼓とうまく調和し、あるときはぐいぐいと引っ張っていく。 鉦は、ベテランでないとつとまらない。 |
子どもも負けずに演舞する。 この子は小学生だろうか。キッと前を見つめ、なんとすばらしい形ではないか。 この組は超一流の実力派(上述のように2年連続優勝)であり、観客の私たちは演舞を十分楽しむことができた。 そして感心させられるのは、小さな4,5歳の子どもたちにも太鼓の伝統を伝え、次の世代に祇園太鼓を継承しようと努力していることである。今夜も4,5歳の子供たちだけでも5,6人参加していて、交替で一生懸命太鼓を打っていた。 |
打ち手の心は祇園太鼓の音に満ち溢れているのだろうか。それとも、からだがひとりでに自由にリズムを刻み、心は無心なのだろうか。 観客もただひたすら祇園太鼓に没入していく。 |
太鼓と鉦の競演が続く。 太鼓と鉦は、やはり心に響くなあ。 |
鉦に誘われ、太鼓も負けずにあばれ打ち(おどり打ちというべきだろうか)で舞い始めた。 鉦と太鼓がお互いに競い合い、協調しあい、すばらしい競演が続く。 |
すばらしい演舞に、時間のたつのも忘れる。 至福のときであった。 その夜、夢を見た。九州国立博物館に出展されている三面六臂の阿修羅さんが「私も太鼓が大好きだよ」といって、太鼓を叩き、鉦を打ちながら踊っていた。小倉祇園太鼓だったと思うのだが、おぼろでよくわからない。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 今夜は「正夏會」と「女無法松の会」の祇園太鼓を楽しませてもらった。 写真につけたコメントは、太鼓と鉦の音に酔い、夏の夜の妄想を勝手に記しました。失礼の段は平にご容赦を……。 私は両者の祇園太鼓の演舞を堪能させてもらった。元気も分けてもらった。次の機会にまた楽しませてもらおう。 |
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