九州あちこち歴史散歩★筑前いいづか雛のまつり2013・麻生大浦荘(1)日本の人形 サイトマップ
2月末、筑前いいづか雛のまつりの会場のひとつ、飯塚市の「麻生大浦荘」に出かけました。 「大浦荘」は炭田開発で財を成した麻生グループの創業者麻生太吉氏が、長男太右衛門の住宅として大正13年頃に建築されたもので、和風入母屋造りの建物だそうです。 この会場には日本の雛人形の他に世界の人形が数多く飾られていて、世界各地の人形を見比べながら楽しいひとときを過ごすことができました。 今年の麻生大浦荘の雛まつりの期間は 2月23日(土)〜3月3日(日) の2週間でした。 |
大浦荘の門。昔のどっしりとした風格がありますね。 大正時代に建てられた大浦荘は現在も麻生グループのクラブとして利用されているそうです。 |
この樹木は車寄せで、ヤマモモ、キンモクセイ、ギンモクセイの3本の木から形成されています。 |
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上の写真の車寄せの木の内部です。風雪に耐えてきたどっしりとした年輪を感じさせます。 |
大浦荘には16部屋あり、そのいくつかの部屋に人形が飾られていました。 、この部屋には日本の雛人形が飾られています。 この雛人形は昔風に男雛が左(向かって右)に並んでいます。 |
優雅な現代風の表情ですね。 |
手に桧扇を持ち、緋毛氈の上にゆったりと座っています。 |
能を舞っている場面でしょうね。 演目は何でしょうか。「紅葉狩り」、西行にちなんだ「江口」、玄宗皇帝に愛された「楊貴妃」、あるいは他の演目でしょうか… |
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無形文化財・原米洲作の人形 春の突風のいたずらで肩に担いだ花が舞い上がっていますが、振袖の模様も藤の花で、踊り姿からすると「藤娘」でしょうね。 |
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無形文化財・原米洲作の人形 衣裳の模様は異なりますが、上の人形と形は全く同じですね。 原米洲(1893-1989)は1966年に国から無形文化財に指定された唯一の人形師で、理想的な人形の顔は穢れのない幼子の顔であるとし、仏様にも通じる慈愛に満ちたふくよかで円満な顔の人形を製作したそうです。 |
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九州にゆかりの深い神功皇后の人形でしょうか。 |
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日本舞踊「鏡獅子」を踊っています。 |
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人形を飾れない時は、人形絵の掛け軸「雛軸」を飾って雛祭りを楽しみました。 |
花が彫刻された戸棚の上にお雛さまが並んでいます。 |
古今雛でしょうか。 こちらは現代風に夫雛が右側(向かって左側)に並んでいます。 雛祭りには昔から菱餅が飾られます。昔は菱形は心を表し、雪のなかから緑の葉が萌え出で、やがて桃の花のような美しい女性に育って欲しいという親の願いが菱餅には託されているそうです。 雛餅には三段重ねや五段重ねを見かけますね。 古今雛(こきんびな) 有職雛の影響を受け、明和年間(1764-1772)町雛として作り始められたのが古今雛です。 現代の雛人形の基になりました。 古い時代の人形は男雛が左側(向かって右側)に並んでいます。これは左の方が上位だったためです。 (右大臣より左大臣のほうが位が上になります。)明治天皇も常に左側に、皇后は右に並ばれました。 しかし、明治時代の文明開化で西洋の王室の儀式などの情報が入るようになり、大正天皇以降の天皇は結婚式などで右側(向かって左側)に並ばれるようになりました。 それにならって現代では男雛を向かって左側に並べることが多くなっているようです。しかし、京都など近畿地方などでは古くからのしきたりどおり男雛を向かって右側に並べる飾り方を守っている家が多いそうです。 |
立雛(たちびな) ゆったりとした表情で、なかなか趣がありますね。 |
大広間にたくさんの人形が並んでいます。 |
花魁(おいらん)人形 花魁道中でしょうか、六方を踏んでいます。 高さ50センチくらいのなんともみごとな人形で、圧倒的な存在感がありました。 |
沖縄の人形 琉球王朝時代の国王と王妃の雛人形でしょうね。 |
沖縄の人形 琉球王朝時代の衣裳なのでしょうね。 |
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琉球張り子「ウッチリクブサー」 沖縄の民芸品の起き上がり小法師(こぼし)です。 |
翁(おうな)と嫗(おきな)の人形 「おまえ百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の生えるまで」 「おまえ」は翁と嫗のどちらで「わし」はどちらでしょうか。 上の言葉は江戸時代に式亭三馬が書いた滑稽本が文章になった最初(言葉自体は以前からあったのでしょうが)とする説では、三馬は「おまえ」は夫を指し、「わし」は妻で、妻が言った言葉と書いています。 現代では女性の方が長生きになり、妻が自分を「わし」というのがどうもそぐわないので、「おまえ」は妻で「わし」が夫で、夫が言った言葉と受け取られることが多いようです。妻が長生きするほうが万事うまくいくといわれ、男性軍もそんなもんだろうな、となんとなく納得しています。 (しかも翁が持っている熊手は九十九を表し、嫗の持っている箒は掃く=百を表しているとの丁寧な説明も見かけますが、庭の大きなゴミを翁が集め、その後を嫗が箒で丁寧に掃いているだけとも思えるのですが…。) どちらが長生きするにしろ、二人とも天寿をまっとうできればこれほどめでたいことはないでしょう。 |
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りりしい表情の男雛ですね。 |
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天冠をかぶり、桧扇(ひおうぎ)を持っています。衣のふくらみ具合からすると享保雛でしょうか。 享保雛(きょうほびな) 江戸中期(享保年間(1716-1736)頃)に流行した雛で、町家で飾られました。 男雛は束帯姿に似た装束で、太刀を佩(は)いています。 女雛は五衣、唐衣のような姿で、赤い袴には綿を入れて大きくふっくらと作られています。大きな天冠をかぶり、桧扇を持っています。 |
ほのぼのとした現代の雛人形です。 |
多くの見学者が「子どもの頃にこんな人形で遊んだわ」と話していました。 |
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大木平蔵作の人形 大木平蔵の丸平大木人形店は江戸時代に京都で創業し、以来250年にわたり人形司として活躍。有職故実に基づく典雅にして華やかな作風で知られており、現当主は7代目だそうです。 伊藤伝右衛門と柳原白蓮の結婚に際しても、伊藤家からの注文で豪華な雛人形を作成し納めています。 |
筑前まり 明治頃から筑前飯塚の地に伝承され、母から子へ受け継がれているそうです。 |
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飯塚市の人形研究家・瀬下麻美子さんの「雛の宴」を参考にさせていただきました。
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