九州あちこち歴史散歩★飯塚市 筑前いいづか雛のまつり(3)             サイトマップ

飯塚市 筑前いいづか雛(ひいな)のまつり(3)

   旧伊藤伝右衛門邸では、江戸時代の有識雛、享保雛なども飾られていて、江戸時代の珍しい雛人形を見ることができました。
 また、離れの幸袋亭(旧書生棟)には多くの雛人形と各地のつるし飾りが飾ってありました。




享保雛(きょうほびな)
「江戸中期(享保年間(1716-1736)頃)に流行した雛で、町家で飾られました。
 男雛は束帯姿に似た装束で、太刀を佩(は)いています。
 女雛は五衣、唐衣のような姿で、赤い袴には綿を入れて大きくふっくらと作られています。大きな天冠をかぶり、桧扇を持っています。」






古今雛(こきんびな)
 有職雛の影響を受け、明和年間(1764-1772)町雛として作り始められたのが古今雛です。
 現代の雛人形の基になりました。

 古い時代の人形は男雛が左側(向かって右側)に並んでいます。これは左の方が上位だったためです。
(右大臣より左大臣のほうが位が上になります。)明治天皇も常に左側に、皇后は右に並ばれました。
 しかし、明治時代の文明開化で西洋の王室の儀式などの情報が入るようになり、大正天皇以降の天皇は結婚式などで右側(向かって左側)に並ばれるようになりました。
 それにならって現代では男雛を向かって左側に並べることが多くなっているようです。しかし、京都など近畿地方などでは古くからのしきたりどおり男雛を向かって右側に並べる飾り方を守っている家が多いそうです。



御所人形
 頭が大きくまるまるとした、二頭身や三頭身の子どもの人形です。


宝船を曳く御所人形


御所人形


狆引き官女(ちんびきかんじょ)
 説明文
「江戸時代(五代将軍綱吉の頃)、犬は子犬を楽にたくさん出産することができることから、安産のお守りとして雛飾りにも飾られるようになりました。現代でもお産のときには五か月目の戌(いぬ)の日に腹帯をしますね。」

 よくもこれだけの狆を集めたものですね。


古代立雛(昭和初期作成)
 二階の白蓮の居室に飾ってありました。


 右は稚児人形。稚児輪(ちごわ)を結っています。
 稚児輪は幼児の髪型で、頭頂部の髪の毛を左右二つに分けて大きな輪に結い上げています。
 左は明治大正時代の女性の姿のようです。
 この人形も白蓮の居室に飾ってありました。





赤穂義士雛



 左から大石主税(ちから)、大高源吾、大石内蔵助(くらのすけ)、間(はざま)重次郎の赤穂義士の面々です。


 離れの幸袋亭(旧書生棟)にもたくさんの雛人形とつるし飾りが飾られていました。
 右の3本は京都の飾りだそうです。


 左の2本のつるし飾りは柳川の「さげもん」です。
 中央の2本は飯塚の筑前まりの飾りです。


 いろいろな人形が並んでいます。
 左奥には「傘福」の人形も見えます。傘福は山形県酒田市付近で飾られるつるし飾りです。


 京都のつるし飾りです。


 筑前まりのつるし飾りです。



 筑前まりは明治頃から飯塚の地で、母から子へ、子から孫へと受け継がれてきて、今も手作りされているそうです。


 旧伊藤伝右衛門邸の「雛のまつり」は大変見ごたえがありました。
 江戸時代の享保雛、有職雛、古今雛などの珍しいものや、浦島雛、赤穂義士雛などの変わり雛、明治天皇雛や皇女和宮などの歴史上の人物の雛人形、など多くの種類の人形を楽しめました。
 また、「座敷雛」の「源氏物語」の世界の豪華なパノラマは他では見ることができない大作で、日本のすばらしい文化のひとつに触れることができて、心をリフレッシュすることができました。




   

   飯塚市の人形研究家・瀬下麻美子さんの「雛の宴」を参考にさせていただきました。

   

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