九州あちこち歴史散歩★飯塚市 筑前いいづか雛のまつり(1)             サイトマップ

飯塚市 筑前いいづか雛(ひいな)のまつり(1)

   飯塚市の「筑前いいづか雛のまつり」は市内全域18か所の会場で、2月10日〜3月6日に開かれました。
 (数か所の会場ではもっと長い期間公開されています。)
 会場は、旧伊藤伝右衛門邸、嘉穂劇場、市内商店街、千鳥屋本家、ひよ子本舗吉野堂などです。

 旧伊藤伝右衛門邸の会場は4月4日まで公開されていましたので、3月上旬と4月初めに訪れました。
「雛のまつり」のメイン会場となっている旧伊藤伝右衛門邸では、たくさんある部屋に江戸時代の有識雛、享保雛などをはじめ、全部で1,200体の雛人形が飾られていました。圧巻は大広間に平安朝絵巻を繰り広げる「座敷雛」でした。

 旧伊藤邸は通常は、火、水曜日は休館ですが、2月10日〜4月4日の「雛のまつり」期間中は休館日なしで公開されていました。

  「筑前いいづか雛のまつり」の詳細は 
    「第11回筑前いいづか雛のまつり」飯塚商工会議所 に掲載されています。



 江戸時代、鎖国を続けた日本で唯一の貿易港であった長崎に荷揚げされた商品は、海路や陸路で大坂、京、江戸へと運ばれていきました。長崎と小倉を結ぶ長崎街道は多くの人や商品が通る幹線道路となり、旅人は長崎〜小倉間を4日か5日で歩きました。
 上の地図で小倉から原田宿までは福岡藩の領内で、その区間にある黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田宿宿は「筑前六宿
(むしゅく)」と呼ばれ、飯塚は宿場町として発展しました。

 江戸時代の輸入品:
   「本方荷物
(もとかたにもの)」オランダ東インド会社が取引を行う貿易品
      生糸、毛織物、染料、皮革類、砂糖など。
      (生糸は明治時代には日本の輸出の主力商品となりました。)
   「脇荷物」オランダ商館員の私的な取引が許された貿易品
      薬品、ガラス製品、装飾品、文房具など
   「誂物
(あつらえもの)」将軍、諸大名、豪商などの注文品
      装飾品、時計、望遠鏡、辞典、図鑑、珍獣珍鳥など
 輸出品:銀、銅、樟脳、陶磁器、漆器、醤油、海産物など
     (貨幣、地図、統治に関する書籍、武器などは持ち出し禁止。刀剣も禁制品。)
     主力商品は銀でした。多い時は世界の銀産出量の約半分を日本が占めました。
     伊万里焼は西洋で大人気を博しました。

 全国的に知られている「千鳥饅頭」や「ひよ子」の銘菓は飯塚で誕生しました。
 江戸時代に長崎から当時は贅沢品だった砂糖が運ばれた長崎街道は「シュガーロード」とも呼ばれます。シュガーロードに面する長崎、佐賀、飯塚などでは貴重な砂糖をふんだんに使用したカステラや饅頭など多くの銘菓が生まれました。


 旧伊藤伝右衛門邸では多くの部屋に全部で1,200体の雛人形が飾られています。
 そのうち「座敷雛」は20畳の大広間に300体の雛人形を使って、みやびやかで華やかな平安朝絵巻が繰り広げられています。


「座敷雛」のテーマは「源氏絵巻」です。
 源氏物語の六条院四季の町がみごとに表現されています。


 桐壺帝の第二皇子である光源氏は12歳で葵の上と結婚し、その後、藤壺、空蝉(うつせみ)、軒端萩(のきばはぎ)、六条御息所(みやすどころ)、夕顔、紫の上、末摘花(すえすむはな)、朧月夜、花散里(はなちるさと)などと恋の遍歴を重ねます。
 26歳のとき、宮廷で対立する一派により須磨、明石に追われました。
 31歳の春、政情が一変し源氏は晴れて都へ帰還し、すぐ建築に着手した二条院の東院が完成し、その西の対には花散里が迎えられました。
 源氏34歳の秋に、六条御息所の広大な旧邸を大幅に改造して、中を四つの町に分け、それぞれに住む夫人の好みに応じて趣向を凝らし、四季の町を造り、35歳秋に完成しました。

 その時の二条院と、六条院の四季の町が今回「座敷雛」で平安朝絵巻となって雛人形で表現されています。


 正面は二条院のようです。美しい女御たちが並び、屋敷の前には牛車が並んでいます。
 西の対には末摘花が住んでいます。


 流れのほとりで遊んでいる子どももいます。


六条院には四季の町が造られました。
 東南の東の町には光源氏と紫の上
 東北の夏の町には花散里
 西北の秋の町には梅壷女御(秋好(あきこのむ)中宮=六条御息所の娘)
 西南の冬の町には明石の君
が迎えられています。


 春の館では桜の花の下で春の宴が開かれています。
 平安時代、花といえば桜が主流になっていました。
  歌に詠まれた花
   万葉集(奈良時代) 古今和歌集(平安時代)
    梅 110首      梅 18首
    桜  43首      桜 70首

 嵯峨天皇が弘仁3年(812)記録に残る最初の花見の宴を開いた後は、都に多くの桜が競って植えられ、桜がふえていきました。当時の桜は主に吉野山から持ってきた「ヤマザクラ」でした。
 現在主流の「ソメイヨシノ」は江戸時代後期に江戸の染井村で品種改良され、葉よりも花が咲きに開く開花の華やかさや若木から花を咲かせることが好まれ、明治時代に徐々に広まりました。特に第二次大戦後に荒廃した国土に多く植樹され爆発的に全国に広まりました。「ソメイヨシノ」は種をまいて育てることはできず、すべて接木や挿し木で増やされたクローン植物です。


 春の宴では邸内の池に龍頭鷁首(げきしゅ)の船を浮かべ、女御や楽人が乗り「船楽(ふながく)」が催されています。
 (鷁は想像上の強大な水鳥。)


 池には石垣が取り巻いています。細かいところまで気を配って作ってありますね。
「源氏絵物語」を目の当たりにすることができます。





 夏の館には藤の花が真っ盛りです。
 庭では公達や女御、女童(めわらわ)などが遊んでいます。
 末摘花はどの方でしょうか。


 秋の館のまわりは紅葉で彩られています。
 梅壷女御は、箱のふたに色とりどりの紅葉を載せ、女童に持たせて春の町に住む紫の上に贈りました。秋の雅(みやび)を楽しむ風情が漂います。


 明石の君が住む冬の館(左側)は冬景色です。木の枝に雪が積もっています。
 暖房がほとんどなく、冷たい隙間風が容赦なく吹き込んだ平安時代、底冷えのする京都の冬は殿上人もつらかったでしょうね。


 この行列はどなたのものでしょうか。


 かわいい雅楽雛が並んでいます。


 二条院の庭でも多くの公達や女官が船楽を眺めて楽しんでいるようです。


 手前中央は才媛紫式部かもしれません。四季の町の宴のようすをさらさらと書き留めているのでしょう。
 彼女が著した「源氏物語」は世界に誇れる大長編小説です。


 小川には花菖蒲が咲いています。夏の情景ですね。
 橋もなかなか趣があります。


 馬に導かれ、従者に担がれた輿にはどなたが乗っておられるのでしょうか。

 ふだん目にすることが少ない平安時代の王朝絵巻をゆっくり楽しめました。
 源氏物語の教養があればもっと楽しめたのでしょうが、源氏といえば源義経しか出てこないガサツな頭では光源氏の豊かな恋愛の世界に浸ることはできませんでしたが、それでも雛人形による雅な平安朝のパノラマは堪能できました。


 端午の節句の時期には、また次の力作パノラマの展示が予定されているようです。
 どのような戦国武将が飾られるのか、5月を楽しみに待つことにしましょう。




   

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