2010年10〜11月には、吉野ヶ里歴史公園で「よみがえる邪馬台国 倭人伝の証明〜吉野ヶ里と纒向」という特別企画展が開かれていました。 今、話題を集めている奈良県纒向遺跡の出土資料が九州に初上陸し展示されていましたが、ふだん近畿まで足を運ぶことはできないため、ありがたい展示でした。 また、展示物の撮影も許可されていました。(博物館などでは、展示資料の保護のため、また他の観覧者の迷惑にならないように撮影は禁止の場合がほとんどです。滅多にない機会でした。) 邪馬台国ははたして九州にあったのでしょうか。それとも近畿でしょうか。はたまた山陰、四国、関東、奥羽、沖縄、でしょうか。またまたジャワ・スマトラ、エジプト、……(ここまで来るといささか飛躍しすぎるようです・・) ご注意! 夜に見るのは恐い? このページには頭蓋骨や人骨の写真が含まれます。夜に見ていただいている方は明日の昼にどうぞお越しください。 ズガイコツを眺めると安眠できるという一風変わった方、インディ・ジョーンズの跡継ぎを目指している方は夜でもどうぞ続けてご覧ください。 |
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袈裟襷文銅鐸(滋賀県野洲市・大岩山遺跡) |
袈裟襷文銅鐸(大福遺跡) |
ここの5枚の写真は近畿の出土資料です。 |
想定復元大型建物(纒向(まきむく)) 2009年に纒向遺跡で発掘された建物跡から想定される大型建物で、吉野ヶ里遺跡の大型建物の1.5倍の大きさです。 ここが女王卑弥呼のいた宮殿か、と騒がれました。 今後どのようなものが発掘されるのでしょうか。 |
楼閣が描かれた破片など、主に纒向を中心とする近畿の遺跡から発掘された土器 纒向遺跡からは関東から九州にかけて広い地域の土器が出土しています。広い地域と交流があったと考えられています。 |
三角縁神獣鏡(天理市・黒塚古墳) 黒塚古墳は大和・柳本古墳群にある全長130メートルの前方後円墳で、33面の三角縁神獣鏡をはじめ、多数の鉄製武具類などの副葬品が見つかっています。 邪馬台国は、弥生時代から古墳時代に移りゆく時期にあたります。 弥生時代前期末から後期には、青銅器・鉄器は九州で圧倒的に多く出土しています。 古墳時代になると奈良県三輪山麓に纒向型前方後円墳と呼ばれる長さ100メートル前後の古墳が造られ、3世紀中頃から後半頃、長さ276メートルの箸墓古墳が姿を現しました。周辺の黒塚古墳、桜井茶臼山古墳など三角縁神獣鏡など鏡を大量に副葬する古墳が纒向周辺に集中しています。古墳の大きさや鏡の数は近畿が九州を圧倒しています。 箸墓古墳は全長276メートルの前方後円墳で、「日本書紀」崇神天皇の条には天皇の姉妹であるヤマトトトヒモモソヒメが葬られたことが記されています。この姫は三輪山の神オオモノヌシの妻であり、巫女であったと考えられており、これは「鬼道を事とし、能く衆を惑わす」と「魏志倭人伝」にある女王卑弥呼と重なります。また、同書には「卑弥呼以て死す。大いに冢(つか)を作ること径百余歩、葬に殉ずる者奴婢百余人なり。」とあり、卑弥呼の死に際し巨大な墳墓が築かれたと記載されています。これらから、箸墓古墳の被葬者は卑弥呼である可能性が高いとの見解が多くなっています。 現在、邪馬台国近畿説においては最も有力な見解と思われます。 しかし、魏志倭人伝に合致するのは九州であるとする邪馬台国九州説も依然根強いものがあります。 |
あなたは縄文人系?弥生人系? |
左:渡来系弥生人頭骨(吉野ヶ里遺跡) |
右:縄文系弥生人頭骨(大友遺跡:唐津市呼子町) |
下の表は左が縄文人の特徴、右が弥生人の特徴となっていて、頭骨の写真と配置が逆になっているので間違わないでください。 |
あなたは縄文人系?弥生人系? 鼻が高いか低いかと聞かれても、9割の人は「私の鼻は高い」と答えるでしょうから自己判断の基準にはなりません。 耳垢(みみあか)で判断するのは結構精度が高いそうです。湿ったタイプなら縄文人系、渇いたタイプなら弥生人系です。 |
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下欄再掲 |
(6)狗邪韓国を中心とする、朝鮮半島南部の辰韓地方より、供給された鉄製品が 豊富である。 (7)『魏志倭人伝』にいう、「蚕桑緝績(さんそうしゅうせき)」の痕跡は、北部 九州の他にみあたらない。 |
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下欄再掲 |
(2)九州説では、卑弥呼の政権は、九州域にとどまる。 (3)地域王国論は、列島各地域に、邪馬台国をはじめとして、狗奴(くな)王国、出雲(いずも)王国、吉備(きび)王国、大和(やまと)王国、毛野(けぬ)王国など、各地域内の連合を提唱する。 |
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下欄再掲 |
(4)近畿には、弥生時代後期後半には、このような環濠集落は存在しない。 |
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下欄再掲 |
唯(ただ)、男子一人有りて、飲食に給し、辞(じ)を伝えて出入す。 居処(きょしょ)の宮室(きゅうしつ)・楼観(ろうかん)・城柵(じょうさく)、厳(きび)しく設け、常に人有りて、兵(武器)を持して守衛す。 |
5.卑弥呼の墓は、小型の方形周溝墓であってもよい。 |
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下欄再掲 |
(5)棺外に置かれる破鏡は、被葬者の霊を封じ込める呪具としての意味がある。 (6)卑弥呼の墓は、平原の1号方形周溝墓(糸島市)の可能性が高い。 女王卑弥呼は、死して本貫(出身)の地に埋葬されたと思われる。 |
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上記の表も特別展に展示してあったものです。 基本的なポイントのみの記述ですが、あなたは邪馬台国九州派?近畿説派?ですか。 |
銅鉾(目達原遺跡=吉野ヶ里の近くの遺跡) |
鶏形二重口縁壷(福岡県・津古生掛(つこしょうかけ))古墳時代前期 鶏の形をした土製品で、鶏冠などを写実的に表現しています。 |
甕棺による埋葬方法は佐賀や福岡を中心とする北部九州で多く発掘されている特長的な方法です。 |
長さ1,5メートルくらいある大きな甕棺です。 吉野ヶ里遺跡からは3,100基の甕棺墓が発掘されています。 |
城柵や逆茂木(さかもぎ)が厳重にめぐらしてあります。 まわりのクニとの争いも激しかったのでしょうね。 |
園内では小学生が見学に来ていました。 弥生時代の風景の中でみんなで弁当を開くのも楽しいことでしょう。 |
出発点の「天の浮橋」に戻ってきました。 園内ではそれぞれの施設に弥生時代の装束をした説明員がいて、丁寧に説明していただきました。 半日の楽しい弥生時代散策でした。時々訪れて「邪馬台国」の謎に挑戦することにしましょう。 |
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(参考文献) 「邪馬台国 九州と近畿」大阪府立弥生文化博物館、九州国立博物館 |
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