九州あちこち歴史散歩★天領日田 豆田町(3)                   サイトマップ

天領日田 豆田町(3)

  大分県は江戸時代、山国のため領地が8藩7領に分かれていました。
江戸時代初期に日田は一時譜代藩領となりましたが、天領(幕府直轄地)になってから町は繁栄しました。

広瀬久兵衛(1790-1871)は長兄の淡窓が学者への道へ進んだため若くして商家の家業(御用達「博多屋」、後に掛屋となる)を継ぎました。やがて郡代に工事宰領として抜擢され、河川改修による通運、豊前海岸干拓による新田開発などに成果をあげました。また、日田金を背景にして各藩の財政改革に貢献し、府内(大分)、対馬、福岡藩などには直接赴任して財政再建を指導しました。
久兵衛は日田商人の結束をはかり、日田金の運用を円滑にするなど、天領日田の繁栄を築いた第一の功労者といわれています。



「長福寺」



広瀬淡窓はここで私塾を始めたのですね。



「長福寺」の鐘楼



ポカポカ陽気の下で、家族そろって散歩です。



あちこちに花が飾ってあり、町が明るくしようとする心遣いが感じられます。



「日本丸館」
安政2年(1854)開業、明治後期改築。150年あまり店が続いているのですね。



右の「茂山床屋」は明治20年(1886)創業とのことですから、文明開化の時代から頭を刈り続けていることになります。





「雛御殿」
「天領日田おひなまつり」の時期だけでなく、年間を通して戸時代の貴重なお雛さまを見ることができます。



「雛御殿」のお雛さま
この展示場は、10室前後の部屋に約3,000体以上のお雛さまが飾ってありました。
年中無休で、何よりもありがたかったのは写真撮影が許可されていて、どの部屋のお雛さまでも自由に撮影できたことです。
資料館や展示場はほとんどの場合、撮影禁止になっていますが、ここは自由でお雛さまをバックに家族の記念撮影もでき、フラッシュもOKでした。



年季のはいった看板が目につきます。



「赤司日田羊羹本舗」
明治21年建築です。



町を美しくする心遣いがうれしいですね。気持ちよく散策することができます。



寛永16年(1639)永山城を廃城して、この地に日田陣屋(代官所(永山布政所))が設置されました。
なお、日田が幕府直轄領(天領)になったのは貞享3年(1686)五代将軍綱吉のときです。その後、明治維新まで続きました。



永山城の水堀と石垣(明治時代に築かれたそうです)
永山城(通称は丸山城、月隈城)跡は豆田町の北、徒歩10分位のところにあり、現在は月隈公園になっています。



永山城の本丸虎口の石垣。
永山城は慶長6年(1601)に築城、寛永16年(1639)に廃城され、麓に日田陣屋(代官所)が設けられました。


   

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