九州あちこち歴史散歩★天領日田 豆田町(2)                   サイトマップ

天領日田 豆田町(2)

   日田は豊前、豊後、筑前、筑後、肥後の国に堺を接し、大山川、玖珠川、筑後川、山国川などによって四方に通じる古くからの要衝でした。豊臣秀吉はここを直轄の支配地(豊臣天領)としました。
 徳川幕府は貞享3年(1686)五代将軍綱吉のとき、ここに代官所(永山布政所)をもうけ、豊後の天領7万石を支配させました。
 明和4年(1767)には、関東、美濃、飛騨、信濃の郡代と並ぶ西国筋郡代となって、豊後、豊前、日向、筑前、肥後の5カ国15郡と天草を加えた総高17万石を支配しました。このため日田は明治維新まで、幕府の九州経営の拠点として、また九州諸藩に睨みをきかす要所として重要な地位を占めました。
(「広瀬資料館」パンフレットを参照しました。)



「広瀬資料館」
広瀬淡窓(たんそう)(1782-1856)などの英才を輩出した広瀬家の資料館です。江戸時代の掛屋や、淡窓が開いた咸宜園の資料などが展示されています。
屋根には「うだつ」が上がっています。



広瀬淡窓が開いた私塾「咸宜園」には、その名を慕って全国66カ国から塾生が集まりました。封建時代にありながら淡窓は身分、年齢、経歴などにかかわらず、すべて平等に扱い、門戸を広く開放しました。淡窓が没したときには門人3千人を越えていたそうです。
 門下に高野長英、大村益次郎、上野彦馬など各分野で活躍した英才が育ちました。
(上野彦馬は長崎の人で、わが国写真界のパイオニアです。坂本龍馬など幕末の写真を写しています。)



広瀬資料館の建物は江戸時代の天保〜慶応(1830-1870)の頃建てられました。



3月にはお雛さま(御所人形)が展示されていました。



「広瀬淡窓先生墓」
史跡「長生園」の中にあります。





境内に日田祇園山鉾が保管されていました。
日田祇園山鉾は毎年7月20日以後の土日に行われます。



お店の前にはきれいな花が飾ってあります。
これは豪勢な桃の花です。



サクラソウが満開です。



店頭には工芸品やおみやげの品が並んでいます。



懐かしい下駄が並んでいました。
日田は有名な日田杉をはじめ木材の集積地でした。



3月下旬の好天気の一日、「天領日田おひなまつり」も開かれていて多くの観光客が江戸時代の雰囲気を楽しんでいました。


   

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