江戸時代に天領となった日田では枡屋を初めとする豪商が活躍し、九州随一ともいわれる繁栄をもたらし、町人文化が花開きました。美しい山々に囲まれた盆地の日田の町で、江戸時代の雰囲気を楽しむことができます。 私は2010年3月下旬に、豆田町(まめだまち)を訪ねました。豆田町の北側の月隈公園にある市営月隈公園駐車場を利用しましたが、日田ICからも近く、豆田町まで歩いて十分前後でした。 詳しい情報は 日田市観光情報 に掲載されています。 (豆田町の詳細や駐車場を示した観光案内地図もあります。) |
花月川 豆田町の北側を流れる清流です。 |
北側から眺めた豆田町御幸通り。 |
御幸通り なにかスッキリしていると感じたのは、道路沿いの電柱や電線がないためでした。 (地中に埋められているそうです。) |
通りの両側には江戸、明治時代に建てられた家が並んでいます。 |
麦屋の倉は天明2年の建築です。 |
明治中期の建物。 |
右の日田醤油は天保14年(1842)創業だそうです。 |
「天領日田資料館」(休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日)。入館料:310円)) 多くの資料が展示してあり、日田の歴史や文化がわかります。 私は最初にここで町の地図などの資料を入手して、豆田町を散策しました。 |
それぞれの史跡にも数分で行けます。 |
江戸時代の嘉永〜天保年間(1850-1870頃)に建てられた長屋です。 豆田町の建物(町屋主屋、座敷、屋敷、土蔵など169棟)の建築時期の内訳は次のとおりです。 江戸時代 60棟 明治前期 18棟 明治後期 49棟 大正時代 22棟 昭和前期 20棟 |
上の長屋のお店「布遊舎」の店頭のお雛さま。 |
「布遊舎」の布で作った飾り。 |
「草野本家」(国指定重要文化財) 日田で一番の豪商だった「枡屋」の屋敷です。代々掛屋として郡代御用達をつとめると共に、製蝋業を営んできました (有力な商家が掛屋に指定され、幕府、各藩の公金の出納・管理を担当しました。また、財政難にあえぐ諸藩に貸付を行い、莫大な利益を上げたそうです。江戸時代中・後期に諸藩はどの藩も財政が困窮し、商人に対して借金の踏み倒しを行いましたが、日田は徳川幕府の直轄地であるため、日田の商人においては貸し倒れはなかったそうです。) 日田の貸し金のことは「日田金(ひたがね)」と呼ばれました。 |
草野変家は戦国時代に久留米の耳納発心嶽城から日田に移り、江戸時代初期には豆田町に住み、元禄9年(1696)この場所に屋敷を構えて「枡屋」を営み、現在に至っているそうです。 年に4回(おひなまつり、端午の節句、祇園祭り、天領祭の時期に)公開されています。江戸時代の豪商の建物や部屋、道具類、人形などを見ることができます。 |
御幸通りと上町通りを結ぶ東西の通りです。 |
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豆田町の中を東西に3本の水路が通っていました。 |
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