九州あちこち歴史散歩★長崎市・諏訪神社 サイトマップ
長崎の総氏神様の諏訪神社は江戸時代始めに再興され、秋の「長崎くんち」は諏訪神社の例祭です。 長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内にまつられていた諏訪・森崎・住吉の三社は、焼かれたり壊されて無くなっていたのを、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清によって、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。 (諏訪神社の案内より) 御祭神は諏訪大神、森崎大神、住吉大神です。 詳細については 諏訪神社のHP に掲載されています。 |
諏訪神社拝殿正面 長崎の総氏神様「諏訪神社」です。「長崎くんち」は当神社の秋の例祭です。 戦国時代、貿易の利権を狙う領主によって天正8年(1580)に長崎と茂木が、天正12年(1584)には浦上がイエズス会に寄進され、キリシタンの支配する地域となりました。貿易船も入るようになり、町も少しずつ大きくなっていったようです。 しかし、領土まで寄進されている状況に驚いた豊臣秀吉が天正15年(1587)にこれらの土地を没収しました。(キリスト教と、イエズス会の背後にいたポルトガルはこの後だんだん警戒されるようになり、代りにオランダが貿易の相手に登場するようになります。) |
諏訪神社拝殿 荒廃していた諏訪神社は寛永2年(1925)に再興され、慶安4年(1651)に現在の地に遷りました。 くんちの祭りは寛永3年(1634)に始まったとされていますが、当時のキリシタン対策もあって、奉行所(幕府)も後押ししたようです。寛永18年(1641)にオランダ商館が平戸から長崎出島に移され、長崎は大きく発展していきました。 |
神馬 精悍な馬がいます。平和公園の平和記念像を作成された北村西望氏が102歳の時に作成されたそうです。なんという生命力でしょうか。 |
太鼓楼 胴回り4.25mの大太鼓が、朝夕2回鳴らされるそうです。 |
諏訪神社から眺めた長崎の町 いかにも坂の町ですね。 大門から鳥居へ下る坂は「長坂」で、坂の町長崎の象徴となっています。 |
大門前の階段 秋の例祭「長崎くんち」の奉納踊りに備えて桟敷席が造られています。 今年はどんな踊りが見られるのでしょうか。 |
「長崎くんち」で神輿が諏訪神社に帰るお上り巡幸です。 |
巡幸にはかわいい稚児行列も行われます。 踊りや出し物については 「長崎くんち」 のページをご覧ください。 |
![]() |
![]() |
◆このページの先頭に戻る 次のページ
◆和華蘭文化の港町・長崎 ◆平和公園 ◆眼鏡橋(1) ◆眼鏡橋(2)ハート石 ◆眼鏡橋(3)ハート石はどこ?
◆オランダ坂 ◆グラバー邸 ◆諏訪神社 ◆崇福寺 ◆興福寺 ◆日本二十六聖人殉教地
◆風頭公園(1)楠本イネ・上野彦馬の墓 ◆風頭公園(2)坂本龍馬像・近藤長次郎の墓
◆トップページに戻る