九州あちこち歴史散歩★長崎市・平和公園                       サイトマップ

長崎市・平和公園

  昭和20年(1945)8月9日11時2分に長崎上空に原爆が投下され、多くの市民が犠牲となりました。
 原爆による死者  約7万4千人
   〃  負傷者 約7万5千人
(当時の長崎市人口 約24万人)

一瞬のうちに、実に人口の6割以上が死傷するという悲惨な情景が現実に起こりました。




   原爆が投下された一帯は平和公園になっています。
 休日や夏休みには家族連れで訪問する人たちの姿も多く見かけられます。
 家族がいっしょに生活できるこの幸せを再び戦争で失ってはなりません。


平和祈念像
 長崎出身の彫刻家、北村西望氏の製作で昭和30年(1955)完成しました。
 毎年8月9日、ここで平和祈念式典が開かれ、世界に向けて平和宣言が出されています。


長崎の鐘

長崎の鐘よ鳴れ 長崎の鐘よ鳴れ
私達の肉親を奪った 私達のからだをむしばんだ
あの原爆が いかに恐ろしいものであるか
あの戦争が いかに愚かなものであるか
長崎の鐘よひびけ 長崎の鐘よひびけ
地球の果てから 果ての果てまでも
私達の願いをこめて 私達の祈りをこめて
(碑文より)


 
浦上天主堂遺壁(移築)
 爆心地には、近く(東北に500メートル)にあって原爆で崩壊した浦上天主堂(浦上教会)の壁の一部が移築され、残されています。


 
浦上天主堂(浦上教会)は壁の一部を残して全壊し、廃墟となりました。


 この川にも水を求めて被災者が集まり、そこで命の絶えた人も多かったそうです。
 現在は川はきれいに整備してありますが、河岸には当時の遺構が残されています。


  爆心地の案内板

 原爆の被害の状況は「長崎原爆資料館」に展示されています。
 胸が押しつぶされそうになるほどの悲惨さです。
 平和の尊さ、戦争を二度と起こしてはならないことがよくわかります。


平和の泉
「・・・・・・・・
 のどが乾いてたまりませんでした。
 水にはあぶらのようなものが
        一面に浮いていました。
 どうしても水が欲しくて
 とうとうあぶらの浮いたまま飲みました。
 −−あの日のある少女の手記から 」
 (平和の泉の正面の碑文より)





  浦上天主堂(昭和34年(1959)再建)

 戦国時代にポルトガル船が訪れ、また多くの宣教師がやってきた長崎はキリスト教が広まりました。領主有馬晴信は沖田畷の戦い(有馬・島津連合軍が龍造寺隆信を撃破)で勝利したのを喜び、1584年に浦上の地をイエズス会に寄進し、 浦上はキリシタンの村となりました。
 日本をほぼ統一した豊臣秀吉は、長崎の数か所の土地が教会に寄進されているのを知り、1587年伴天連追放令を発布して、それらの土地を直轄領としました。
 徳川幕府もこれを踏襲し、浦上地区を幕府直轄の天領とし、全国でキリシタン弾圧を強めていきました。
 それ以降のキリシタンへの火責め、水攻めなどの迫害はたびたび語られますが、江戸時代でキリシタンの犠牲者は28万人にのぼるともいわれています。

 明治維新後も、神道によって国の統一を計ろうとする明治新政府はキリシタンへの弾圧を継続し、明治元年(1868)4月には浦上村の全住民3,400人の信徒は逮捕され、名古屋以西の21藩に総流配されました。そこでも転宗の拷問などが続き、明治6年(1873)ようやくキリシタン禁制が解かれ、信教の自由が認められて浦上の地に戻れたのは1,900人でした。

 明治28年(1895)信徒たちは大聖堂の建設を始め、19年かかって大正3年(1914)完成しました。

昭和20年(1945)8月9日 原爆投下
 爆心地となった浦上天主堂は崩壊、礼拝していた数十人は即死。浦上地区では12,000人の信徒のうち8,500人が被爆死したといいます。

 戦後は日本の経済成長のもとでこのあたりも商店街や住宅地の開発が進み、大きく発展してきました。


   原爆で無残に焼かれ、黒こげになった天使像が教会の庭園に置かれています。

 原爆で崩壊し廃墟と化した浦上天主堂は、人類の愚かさへの戒めとして、また人の命の大事さを教えるモニュメントとして移築してでも後世に残しておいて欲しかったのですが、当時の市長はアメリカとの友好の邪魔になるとの理由で全面撤去したそうです。人類の将来のために残しておくことと、アメリカとの友好とは次元の違う話と思うのですが・・
(「長崎原爆資料館」にも多くのアメリカ人が見学に訪れています。)


使徒聖ヨハネ像
 原爆によって鼻などは破損しましたが、全体は破壊されずに残りました。


 中央の「十字架のキリスト」像は原爆で破壊したので、複製が掲げられています。
 破壊された「十字架のキリスト」は信徒会館2階「原爆資料館」に保管されています。
(「原爆資料館」は被爆遺産が多数展示されており、誰でも自由に見学できます。)




   

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