九州あちこち歴史散歩★長崎市・オランダ坂                      サイトマップ

長崎市・オランダ坂

   幕末の開国後、東山手、南山手の区域は外国人居留地とされ、ポルトガルやロシアの領事館、礼拝堂、オランダやイギリスなどの外国商人などの住む洋館などが並んでいました。
 当時をしのばせる石畳のオランダ坂は格好の散歩道です。
 近くにグラバー邸、大浦天主堂、孔子廟などがありますので、あわせてここも散策するといいでしょう。




  オランダ坂
 活水女子短大前のオランダ坂で、ふつうオランダ坂といえばここを指すようです。
 表示のあるオランダ坂は、孔子廟側にもう一箇所あります。


   東山手のオランダ坂の界隈の坂道です。石畳と石垣が外国人居留地の雰囲気をかもし出しています。


  赤いレンガ塀も当時を偲ばせます。





  東山手の洋館
 この界隈にいくつか残っていて、当時の雰囲気を残しています。


  東山手の坂道
 このあたりに外国の領事館があったので、地元の人はコンスイの坂と呼んでいたようです。
 四つか五つの坂が合流しています。

 幕末、世界各国の貿易商や領事館員、司祭などやその家族たちが、極東の島、日本にきて生活していました。当時の日本は、「攘夷!」といって突然外国人に切りかかってくる侍や浪人者がいるかも知れず、また、いつ佐幕派、尊王派に別れて内乱が勃発するかわからない激動の時代でした。そのような状況の日本に遠く西洋からやって来て、貿易に従事したりして生活するのも勇気を要することだったと思われます。

 坂道に立ち止まって、どこまでも続く坂道を見ると、ここでおむすびやみかん、りんごを落したら、いったいどこまで転げていくだろうか、と、何か転がしてみたい誘惑にちょっとばかりかられます。


  オランダ坂
 山手の南側、孔子廟の方に下りる坂道です。ここも下にオランダ坂の表示があります。

 元気のある子どもでも、この坂道を自転車に乗ったまま上るのはとても無理なようです。
 長崎では自転車の所有率が他都市よりも少なく、自転車に乗れる人が少ないそうです。このような坂を見ると、それも当然だなあ、と思いますね。




   

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