九州あちこち歴史散歩★長崎市・眼鏡橋(1)                      サイトマップ

長崎市・眼鏡橋(1)

   長崎市は北に浦上川、中央部に中島川が流れています。
 中島川には寺町の各寺への通路ごとに石橋が架けられており、かつて14のアーチ式石橋がありました。
 これは江戸時代、外国との交易で多くの寄進があった寺の僧侶、財力のあった通詞(通事=通訳)、商人などが建造したものです。長崎奉行が架けた橋はわずか1橋だけでした。当時の長崎の賑わいぶりが偲ばれます。

「眼鏡橋」は中島川にかかる二連アーチ橋で、日本最古の石造りのアーチ橋といわれています。
東京の日本橋、岩国市の錦帯橋とともに日本三大橋といわれています。




   長崎市の中心街を流れる中島川です。
 正面に写っている単アーチの橋は「袋橋」で、「眼鏡橋」のすぐ下流に架かっています。
「袋橋」は「眼鏡橋」に次いで古い石橋ともいわれていますが、正確な記録が残っていないようです。現在も車が通る現役の橋です。
 江戸時代、長崎港に外国から運ばれてきた積荷は、港で小舟に分け川を上り、中島川界隈で陸揚げされ商いが行われました。それらの品々は豪商の手を経て、将軍や諸大名、全国の有力な商人、町人へ届きました。長崎の街は繁栄しました。


  眼鏡橋
 中島川にかかる二連アーチ橋で、日本最古の石造りのアーチ橋といわれています。(中島川石橋群の他の石橋はすべて単アーチ橋です。)
 風波がないときには、川面に橋が写り眼鏡のように見えるところから「眼鏡橋」と呼ばれ、現在では正式な名称になっています。

 なお、日本最古の石橋は、1502年に架けられた沖縄県那覇市の「天女橋」といわれます。


   寛永11年(1634)、興福寺の二代目住職・唐僧の黙子如定(もくすにょじょう)が架けたといわれています。
 その後何回か水害によって損壊しましたが、その度に修復されました。(特に昭和57年(1982)の長崎大水害による被害は大きく、眼鏡橋を含む3橋が損壊し、6橋が流出しましたが、後に昭和の石橋として復元されました。)





  「眼鏡橋」は同じ二連アーチ橋である「諫早眼鏡橋」や「皇居二重橋」のルーツとなり、またこの石橋架橋技術はその後九州内に広まり、各地にアーチ式石橋が架けられました。九州は石橋王国です。石橋は九州に約4千橋あり、そのうちアーチ橋は約1,700橋あるようです。
(徳川幕府は人の往来を抑えるため交通要衝の川に各藩が自由に橋を架けることを許さなかったため、大きな川に橋が架けられるようになったのは明治新政府になってからです。)


   中島川はきれいに整備されており、川辺に下りて散歩できます。
 眼鏡橋の近くの石垣には、ハート型の石が2個使ってあるそうです。
 時間のある人はどうぞ探してみてください。(眼鏡橋(2)に掲載しています。)

 また、川に沿って1時間ほど散策すれば、およそ10ほどの石橋を渡ることができます。


   眼鏡橋は380年近くこの地でどっしりと踏ん張り、人や車を通してきました。水害で部分的な補修はありましたが全壊は免れ、当時の石積みの技術の優秀さを示しています。
 石橋の技術が発達したのは、中国ともポルトガルともいわれています。日本には長崎の眼鏡橋など中国から伝わり、石橋建造の技術は九州全域に広がりました。


   現在は歩行者専用の橋となっています。
 長さ22メートル、巾3.65メートルの石橋です。




   

    ◆このページの先頭に戻る ◆次のページ
    ◆和華蘭文化の港町・長崎 ◆平和公園 ◆眼鏡橋(1) ◆眼鏡橋(2)ハート石 ◆眼鏡橋(3)ハート石はどこ?
    ◆オランダ坂 ◆グラバー邸 ◆諏訪神社 ◆崇福寺 ◆興福寺 ◆日本二十六聖人殉教地 
    ◆風頭公園(1)楠本イネ・上野彦馬の墓 ◆風頭公園(2)坂本龍馬像・近藤長次郎の墓
    ◆トップページに戻る