九州あちこち歴史散歩★西都原古墳群(2)             サイトマップ

西都原古墳群(2)

   宮崎県内で卑弥呼のいた邪馬台国に比定される地として、まず高千穂と西都原が挙げられます。
 高千穂は記紀によれば、天孫ニニギノミコトが八百万
(やおよろず)の神々を従えて、天から降りてきた地とされ、後に神々はこの地から畿内大和に移り、日本を統一して天皇家を興し、大和朝廷を打ち立てました。初代天皇の神武天皇はニニギノミコトを曽祖父に持ち、高千穂は天皇家のふるさとです。
(天孫降臨の地、高千穂が宮崎県北部の高千穂峡や夜神楽で有名な西臼杵郡の高千穂なのか、宮崎県南西部の高千穂峰が聳える霧島地方なのかは説が分かれている。どちらの地にも多くの神話や伝承が残されています。)

 これらの神話は戦前軍国主義に利用されたこともあり、「記紀の日向神話や出雲神話は大和朝廷を正当化するためのフィクション」とする津田左右吉氏の説によって戦後は全く顧みられなくなっていたが、1985年に出雲地方の荒神谷遺跡から358本の銅剣を含む大量の弥生時代の青銅器が、1996年にはすぐ近くの加茂岩倉遺跡から39個の弥生時代の銅鐸が出土し、記紀の神話はフィクションではなく、これらの地に実際に古代に強大な勢力(豪族・王朝)が存在したことがはっきりしました。

 高千穂に降り立ったニニギノミコトはやがてより豊かな土地を求めて宮崎平野の中心の西都(妻)へ移り、笠沙の御崎で見目麗しいコノハナサクヤヒメと出会い、結婚しました。
 西都市妻にある都万
(つま)神社はコノハナサクヤヒメを祀っており、ここから西の西都原古墳群までの約4キロの道は「記紀の道」として整備されていて、古代神話と触れ合うことのできる1時間の散歩道となっています。

 この古墳群の中には日本最大の帆立貝式古墳の「男狭穂
(おさほ)塚」、九州最大の前方後円墳の「女狭穂(めさほ)塚」(ともに宮内省の寮母参考地に指定されており、発掘は認められていない)があり、伝承によれば「男狭穂塚」はニニギノミコトの墓、「女狭穂塚」はコノハナサクヤヒメの墓とされてきました。

 邪馬台国の探求において、都万
(つま)あるいは妻の地名によりこの地を投馬国とする説や、西都原は古代「斎殿原(さいとのはら)」と呼ばれていたことからこの「女狭穂塚」を卑弥呼の墓と考える清水正紀氏の説などもあります。

 西都原公園内北側の高取山(40m程の丘)はミツバツツジで有名です。
 4月になると丘全体が燃えるような6千本の真紅のミツバツツジで覆われます。
 また、公園の第2古墳群には多くの花木が植えられていて、ツツジ、桜、木蓮、桐の花などが楽しめるようです。
 公園の周囲には春には菜の花、秋にはコスモスが植えられ、あたり一面がお花畑になります。



第1古墳群の風景

第1古墳群の風景


第1古墳群の風景

第1古墳群の風景


奥は72号墳で全長79m。右手前は71号墳。

奥は72号墳
 前方後円墳 全長79m、後円部径51m、高さ6.7m。
右手前は71号墳(72号墳の陪塚)


奥は72号墳で全長79m。右手前は26号墳。

奥は72号墳。前方後円墳。
右手前は26号円墳


第1古墳群の風景。昔ながらの土の道。

 昔の道はこのような自然土地の高低や川に沿った土の道でした。
 田舎にはまだこのような道が残っていますが、都会では公園の中もすべて舗装されていて土の道に触れるのはむずかしいですね。


センダンの花のつぼみ


センダンの花。あと2、3日で満開になりそう。

あと2,3日で淡い紫の花が満開になるでしょう。


公園内の茶畑。

公園内の茶畑。中央右手に見えるのは「鬼の窟」
 広い公園内は、古墳が集中しているところは自然のままの草地が広がっていますが、中央部や周辺部の古墳が築造されていない区域には畑が広がっていました。


一面の野草の花。

 一面の野草が花をつけています。


あちこちに聳える大木

 あちこちに大きな木が枝を伸ばしています。




「姫塚」(202号墳)。全長57mの前方後円墳。

「姫塚」(202号墳)。前方後円墳。
 全長57m、後円部径34m、後円墳高さ6,2m。
 周囲には壕がめぐらされていたそうです。


「姫塚」(202号墳 )の説明文

「姫塚」(202号墳)の説明文


「姫塚」(202号墳 )の前方部分

「姫塚」の前方部分


古墳横の畑でサツマイモの苗の植え付け作業中

 公園周辺の畑ではサツマイモ(カライモ)の苗の植え付けの最中でした。
 大昔からこのように畑が作られていたのでしょう。あちこちで造成工事などによって古墳が削られてしまうのを聞きますが、西都原古墳群では、昔から畑は耕されてきたが、古墳は決して削っておらず、また、古代から激しい争いなどは皆無だったこともあり、盗掘された古墳はひとつもないそうです。


一家総出、親類総出でサツマイモの苗の植え付け中

 一家総出、いや親類総出で植え付けを行っています。


サツマイモの苗の植え付け作業が続きます。

 植え付けに最適の時期で準備した数千本(もっと多い?)の苗を今日中に植え付けしてしまわないといけないのでしょうね。ゴールデンウィーク中の一日ですが、幸い天気も良く全員で力を合わせて作業中です。


サツマイモの苗の植え付け作業中。日が暮れるまでに終わるのでしょうか。

 日が暮れるまでに全部の植え付けが終わるでしょうか。
 腰が痛いなどと言ってはおれません。

 規模や作物の違いはあっても、このような稲作、畑作が弥生時代・古墳時代の昔から千数百年にわたって続けられてきたのでしょうね。


 夕方7時頃、日が暮れる頃に家族総出の植え付けが無事に終わったようです。(背景は女狭穂塚の森)
 秋においしいサツマイモが収穫できることを願いながら、晩酌に宮崎名産のイモ焼酎を飲み、あるいはマンゴージュースを飲みながら、お互いの労をねぎらっていることでしょう。
 農作業が一段落したら、全員でうまいものでも食べて、温泉にでも浸かって、疲れた身体を癒してください。


西都原考古博物館が公園の中心センターになっている。

 特別史跡公園の西都原古墳群の中には2004年に「西都原考古博物館」が建てられ、この古墳群を理解する中心センターになっています。


西都原考古博物館が公園の中心センターになっている。

「西都原考古博物館」では西都原古墳群に関する展示が行われ、歴史や概況がわかるようになっています。
 また、古代体験などもできるそうです。



   

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