九州あちこち歴史散歩★西都原古墳群(1)             サイトマップ

西都原古墳群(1)

   宮崎市の西北20キロに位置する西都市には、西都原古墳群という日本でも類のない古墳の密集地帯があります。
 西都市街の西側の西都原
(さいとばる)と呼ばれている標高60mの洪積層台地を中心に東西2.6Km、南北4.2Kmの広い範囲に、前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基の311基の古墳や、横穴墓12基、地下式横穴墓11基などで構成された大古墳群が分布しています
 中でもニニギノミコトの墓と伝えられる「男狭穂塚」は全長219m、コノハナサクヤヒメの墓と伝えられる「女狭穂塚」は全長174mもあって、近畿と吉備地方以外では類がない巨大さです。また、6世紀後半の最後の首長(豪族)の墓である「鬼の窟
(いわや)」があります。
 西都市は古墳の町であり、また神話も多く、考古学的遺物と神話伝承がともに凝集した町です。

 私が訪れたのは5月初めのゴールデンウィークでしたが、西都原古墳群は特別史跡公園となっていて、緑に覆われた広大な公園の中を一日かけてゆっくりと千数百年前のできごとを想像しながら見学、散策して身も心もリフレッシュできました。

 公園の中には立派な「西都原考古博物館」もあり、古墳や遺跡について知ることができます。
 西都原古墳群の詳細については みやざき公園協会の「西都原古墳群」 に紹介されています。



「鬼の窟」を囲む土塁の横に佇む椋の木

「鬼の窟」を囲む土塁の横に佇む椋の木


「史跡 西都原古墳群」と刻んだ古い石碑

「史跡 西都原古墳群」と刻んだ古い石碑が残っていました。


「鬼の窟古墳」(206号墳)

「鬼の窟(いわや)古墳」(206号墳)
 西都原古墳群の中で唯一の横穴式石室を持つ円墳で、まわりは円形の土塁で囲まれています。


「鬼の窟古墳」(206号墳)の説明文

「鬼の窟」説明文
 6世紀後半の最後の首長(豪族)の墓だそうです。


「鬼の窟」の横穴式石室の羨道入口

「鬼の窟」は西都原古墳群のほぼ中央に位置し、周囲に土塁をめぐらせた全国で唯一の円墳です。
 発掘調査の結果、6世紀末から7世紀前半にかけて築造されたと推定されています。
 羨道入口から中に入って見学できます。


「鬼の窟」の横穴式石室の内部

「鬼の窟」内部の石室


「鬼の窟」の横穴式石室の内部

「鬼の窟」の伝承

 昔、西都原に住みついていた鬼が、ある日、美しいコノハナサクヤヒメを見かけ、「是非とも嫁にしたい」と娘の父オオヤマツミに申し込んだ。
 娘を鬼の嫁にするわけにはいかないオオヤマツミは「一晩で大きな岩屋を造りあげれば嫁にやろう」とできそうもない難題を出した。
 しかし、力持ちの鬼は夜明け前に岩屋を完成させ、安心して居眠りをし始めた。
 そこへやってきたオオヤマツミは完成した岩屋を見て驚いた。困ったオオヤマツミは鬼の眠っている隙に石を一つ抜き取り投げ捨てた。
 夜が明け、鬼が目覚めるとすぐにオオヤマツミがやってきて「石が抜けた岩屋では娘を嫁にやるわけにはいかん」と姫との縁談を断った。

 コノハナサクヤヒメは後に笠沙の御前(カササノミサキ=西都原の近く(各説あり))で高天原から天下ってきたニニギノミコトと出会って求婚され、結婚。この夫婦は海幸彦、山幸彦などを生み、山幸彦(ホオリノミコト、ヒコホホデミ)とその妻トヨタマヒメが日南市の鵜戸神宮でウガヤフキアエズノミコトを生みました。彼らはだんだん南九州に進出し、大隅・薩摩のハヤト族とも連携して南九州一帯を支配下に治め、ウガヤフキアエズとその妻タマヨリヒメが霧島山麓の狭野で生んだイワレヒコが後に兄弟とともに東征して初代の天皇・神武天皇となります。
 ニニギノミコト、山幸彦、ウガヤフキアエズの三代は主に日向の地で活躍したことから「日向三代」の神と称されています。(古事記・日本書紀の物語)


「鬼の窟」の陪塚205号墳

「鬼の窟」古墳の横にある205号墳(6世紀後半〜7世紀初め)
 直径14m、高さ3mで、鬼の窟古墳の陪塚(ばいちょう)と考えられています。


公園内の鯉のぼり

 公園の中では鯉のぼりが泳いでいました。


 青空の下で元気良く泳いでいます。
 子供づれの家族も多く来ていました。


売店の花の苗

 売店では花の苗も売られていました。




第1古墳群の中で最大の前方後円墳46号墳

第1古墳群の中で最大の前方後円墳46号墳
 全長83.6m、後円部径49.8m、後円部高さ7.8m、くびれ部幅19.0m
 4世紀末〜5世紀初頭の築造と考えられています。


46号墳の説明文

46号墳の説明文
 大きな古墳にはすべて説明がついているので、特徴や建造された時代などがわかります。


46号墳の後円部

46号墳の後円部


46号墳。画面左が後円部、右側が前方部。

46号墳
 画面左が後円部、右側が前方部。


公園の風景。どこを見ても古墳が並んでいる。

 草原のどこを見てもふっくらと盛り上がった古墳が並んでいます。


奥の3段の大きな古墳は13号墳。向かって右手前のなだらかな古墳は22号墳。

 奥の3段の大きな古墳は13号墳。
 向かって右手前のなだらかな古墳は22号墳(直径16m、高さ2.5mの円墳)


三段に築造されている13号墳

13号墳
 三段に築造されています。
 全長79.5m、後円部径44m、後円部高さ7.2mの前方後円墳。4世紀後半の造成。
 この古墳から三角縁三神獣鏡や勾玉(ひすい)、管玉40数個、小玉(濃青色ガラス製)などの装身具、刀子、鉄剣などが出土したそうです。


全面が葺き石で覆われていたようすを説明する13号墳の模型

13号墳の縮小模型
 13号墳は発掘調査により古墳の全面が葺き石で覆われていたことが判明しました。
 調査の後は墳丘の保護のため全面に土を盛り芝が植えられ、葺き石で覆われた建造当時のようすを理解できるように10分の1の模型が設置されています。


13号墳の中の埋葬のようすを見学できる。

13号墳の中の埋葬のようすを見学できます。


13号墳の中の埋葬のようす

 ここに長方形の木棺が置かれていました。
 ばらばらになった粘土が散らばり、まわりを数十センチの川原石が取り巻いています。


緑がいっぱいの西都原史跡公園

 自然の雑草が茂る広い公園の緑が新鮮で眼に沁みます。



   

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