九州あちこち歴史散歩★青島(1)                     サイトマップ

青島(1)

   青島は周囲約1キロ、面積4万平方メートル、歩いて一周しても約15分の小さな島です。
 日南海岸の中でも最も多く観光客が訪れるのは青島で、その魅力は波状岩「鬼の洗濯板」が造り出す珍しい景色、ビロウ樹など島に茂る熱帯亜熱帯性の植物群、青島を舞台にした山幸彦・海幸彦などの日向神話にあるのでしょう。

 宮崎市街地からも行きやすい平野部分にあり、冬も暖かい(雪はほとんど降らない)ので、2月にはすぐ近くで読売ジャイアンツ、少し離れた生目(車で約20分)では福岡ソフトバンクなど県内でプロ野球6チームがキャンプを行い、多くのファンで賑わいます。

 駐車場は国道の青島の入口周辺に多くの有料駐車場があります。



海に浮かぶ青島の遠景

 青島は亜熱帯性植物が茂る小さな島です。



陸地と橋で結ばれている青島

 島は陸地と「弥生橋」で結ばれています。



青島と結ぶ「弥生橋」

 釣り人も来ています。
 ここは磯釣りスポットとしても有名です。



橋の左側の風景

 弥生橋から左手を見た風景。



「鬼の洗濯板」の風景

「鬼の洗濯板」の突端に釣り人が見られます。



橋の右側の風景

 弥生橋の右手の風景。島を「鬼の洗濯板」が取り巻いています。



青島全島は「青島神社」の境内

 島の正面。青島全体が「青島神社」の境内となっています。



青島の天然記念物の説明文

 青島に自生する亜熱帯性の植物群落は特別天然記念物に指定されています。
 その代表植物である「ビロウ樹」は約4.300本で、最高樹齢は300年とのことです。



青島の天然記念物指定を示す石碑

 熱帯性、亜熱帯性植物群落や波状岩(通称「鬼の洗濯板」)の(特別)天然記念物指定の石碑



「海幸彦・山幸彦」の神話の説明文

海幸彦・山幸彦の説明文
 このあたりが海幸彦や山幸彦の遊びや狩猟の場だったようです。
 (海幸彦・山幸彦については後掲)



波状岩「鬼の洗濯板」の風景

 島の周囲を「鬼の洗濯板」が取り巻き、独特の景色を形作り、天然記念物に指定されています。
 
「周辺の岩盤は、新第三紀(三千万年から百万年前まで)に海床に堆積した砂岩と泥岩の規則的互層が傾き(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪浸蝕を受け、堅さの違いにより凹凸を生じたものである。」
(説明板より)



波状岩「鬼の洗濯板」の風景

 堆積した岩が規則的に並んでいます。



波状岩「鬼の洗濯板」の風景

 この波状岩の風景はこの地域一帯に広く見られ、青島の数キロ南の堀切峠周辺にも大規模な波状岩が見られます。



波状岩「鬼の洗濯板」の風景

 昔、海底に交互に堆積した砂岩、泥岩が、堆積した後何千万年か何百万年かの間全く褶曲することなく(地層全体は東に20度傾いているが)地表に現れ、見事にまっすぐ並んだままの形状で、現代に美しい風景を現わしています。





青島の亜熱帯植物の群落

 青島の森は亜熱帯の風景そのものです。



青島神社の鳥居

 青島神社の鳥居



青島神社の説明文

 青島は海幸(彦)、山幸(彦)の神話の舞台といわれています。
 青島神社の御祭神は山幸彦(ホオリノミコト、別名ヒコホホデミノミコト)、妻のトヨタマヒメ、海中にある海神宮(わたつみのみや)を教えてくれたシオツツノカミです。

 天上界のアマテラス大御神は孫のニニギノミコトに三種の神器を持たせ「筑紫の日向の高千穂のくしふるたけ」に降臨させた。(「天孫降臨」。天下った山は宮崎県北部の高千穂峡の二上峯、または南西部に位置する霧島の高千穂峰との説が古来より主張されている。)
 ニニギノミコトは笠沙の御前で国つ神の娘コノハナサクヤヒメ(木花咲姫)と出会い、やがて結婚した。一夜明けてコノハナが「あなたの子供が生まれます。産屋を用意してください。」と言ったが、ニニギは疑った。 
 コノハナは「あなたの子です。天つ神の子供だから、どんなことがあっても無事に生まれるでしょう。」と言って産屋に入り、身の潔白を証明するため産屋に火をつけさせた。
 燃えさかる火の中で、ホデリノミコト(火照命=海幸彦)、ホスセリノミコト(火須勢理命)、ホオリノミコト(火折命=山幸彦、別名ヒコホホデミノミコト(彦火火出見命))の三柱の御子が生まれた。
 コノハナが御子を産んだ伝説地は青島の近くの木花、あるいは西都市の妻(都万)といわれる。木花神社、都万神社ともに御祭神はコノハナサクヤヒメで、その周辺には産屋跡など二人にまつわる伝説の地がある。

 海幸彦、山幸彦の兄弟は青島周辺で兄は魚を、弟は獣を獲って暮らしていたが、あるとき山幸が兄の海幸に道具を取り替えてもらって獲物を狙ったが、魚は一匹も獲れないばかりか大事な釣り針を失くしてしまった。
 兄にもとの釣り針を返すよう責められた山幸が海辺で困っているとシオツチノカミ(塩椎神)が現れ、海神宮(わたつみのみや)に行くように勧めた。
 宮殿に着いた山幸は海神の姫・トヨタマヒメに出会い、手厚いもてなしを受け、あっという間に三年が過ぎた。
 釣り針のことを思い出した山幸は、海神から魚を集めて釣り針を探し出してもらい、塩満珠、塩干珠という宝物をもらい、大きな鰐魚(わに)に乗って帰国した。
 水を支配する宝物をもらった山幸は富み、一方貧しくなった兄海幸が攻めてきたが、塩満珠によって溺れさせられ、助けを請うと塩干珠で助けられ、海幸は「私はこれから山幸の守り人となって仕えよう」と約束した。



青島神社の説明文

 山幸が海神宮から帰ったところが青島といわれており、そのとき村人が突然の山幸の帰りを裸のまま出迎えた時のようすが、現在でも「青島の裸参り」の行事として伝わっています。

 古事記によるとこの後、海神宮から海神の娘トヨタマヒメが後を追ってきてウガヤフキアヘズを産み、ウガヤの子ワケミケヌノミコトが東征して神武天皇となり、「後世に都の宮廷を護衛する役割を担った隼人たちは、海幸彦を祖先としている者たちである。そして彼らは、隼人舞を今も演じている。隼人舞というのは、海に溺れるしぐさをする舞である。」と記されている。
 この舞は千数百年を経た現在でも、宮中の行事に際して舞われています。

 ニニギノミコト、ホオリノミコト(ヒコホホデミ=山幸彦)、ウガヤフキアヘズの三代は日向国で過ごしたことから「日向三代」といわれており、古事記には三代に関する物語が大きなスケールで叙情豊かに描かれています。
(ウガヤを生んだトヨタマヒメは大きな鰐だった、など発想豊かな物語です。)
 また、宮崎の各地には三代のできごとなどについて多くの伝説が残っています。
 
 海幸・山幸神話は古代の海で活躍した阿曇(あずみ)氏が、日向から東征した神武天皇が樹てた大和朝廷に大いに力を合わせたことを意味する説話であり、南九州の隼人族の一族が、早くから大和朝廷に服属して、宮廷の護衛にあたるようになった由来を語っているといわれています。



青島神社の神門

青島神社の神門



青島神社の本殿

青島神社の本殿



青島神社本殿の飾り模様

本殿正面の飾り模様



本殿と「石神社(山の神)」「海積神社(海の神)」の小社

 本殿に向かって左側に「石(いそ)神社(山の神)」、右側に「海積(わだつみ)神社(海の神)」の小社が建てられています。



「御成道」の説明

 古事記のよれば天皇家の祖先が祀られています。



結婚や安産を祈願する「開運招福」の絵馬

 たくさんの「開運招福」の絵馬に結婚や安産祈願の願いが記されています。



結婚や安産を祈願する「開運招福」の絵馬

 この奥に「元宮」があり、周囲は亜熱帯植物のジャングルになっています。



たくさんむすばれているおみくじ

 おみくじもたくさん結ばれています。



   

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