九州あちこち歴史散歩★仙巌園(磯庭園)(1)集成館など           サイトマップ

仙巌園(磯庭園)(1)集成館など

   万治元年(1658)、島津家19代光久は鹿児島市の北部、錦江湾に面した地に別邸を建造しました。
 庭園「仙巌園」は、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な景観で、四季折々の花とともに観光客を楽しませてくれます。
 篤姫、勝海舟、グラバー、ロシア皇帝ニコライ2世などもここを訪れました。

 幕末、藩主島津斉彬はここに東洋最大の工場群「集成館」を築き、製鉄、大砲、造船、紡績、薩摩切子などのガラス、薩摩焼の研究・製造を行い、写真、電信、ガス灯などの実験、研究も盛んに行いました。
 欧米列強と日本の圧倒的な文明、技術力の差を実感し、欧米列強による日本の植民地化を恐れ、いち早く欧米に追いつくことを目指したのでした。
 こうした世界に目を見開いて追いつこうとする強い気持ちが、日本の植民地化を防ぎ、技術力で世界と勝負する意識の底流となったのでしょう。
(最近の日本の技術競争力の低下が残念ですが・・)

 入園すると集成館の各施設の跡が見学でき、左側に行くと当時の工場の内容を紹介する博物館「尚古集成館」、右側に行くと御殿や美しい「仙巌園」があり、幕末の歴史と緑豊かな庭園が楽しめました。




仙巌園入口の歓迎の看板

歓迎!の看板
 九州ではこの数年アジアからの観光客が増えています。
 園内の説明文にはすべて英語、中国語、韓国語が併記されていました。
「ゆくさ、おさいじゃったもした。」と言われても、英語より難しい! 
(どこの方言にしても純粋な方言はわかりにくい! 単語そのものが違っているとまるでわからない。)


島津義弘公所用鎧

「島津義弘公所用鎧写」
 「島津四兄弟」の次男で、常に島津軍の最前線で戦った勇者です。


島津義弘公所用鎧

「島津義弘公所用鎧写」
 この鎧兜で多くの戦いに臨んだのですね。


鶴嶺神社

鶴嶺(つるがね)神社
 島津家の歴代当主とその家族が祀られています。


鶴嶺神社と亀寿姫(ジメサァ)の説明文

鶴嶺神社と亀寿姫(ジメサァ)の説明文
 亀寿姫は「島津四兄弟」の長男・島津義久の三女で、豊臣秀吉の九州征伐で島津家が降伏したときに人質として大坂に送られました。後に、18代家久(義弘の嫡男、初代薩摩藩主)の夫人となりました。
 亀寿姫の法名・持明院にちなんで「ジメサァ」と呼んで慕われています。
 大変美しく、しっかりした女性で、鶴嶺神社にお参りすれば身も心も美しい女性になれるといわれ、多くの女性がお参りするようになりました。


鶴嶺神社

鶴嶺神社


鉄製150ポンド砲

「鉄製150ポンド砲」
 この地に造った製鉄工場の鉄で作った自前の大砲です。
 これらの大砲は薩英戦争にも実際に使われ、臼砲による砲弾が英総督が乗船している旗艦に命中し、艦長が即死するなど大砲の砲撃により英国側は死亡13人、負傷者50人を出し、それ以降の攻撃をあきらめ横浜に引き返しました。
 薩摩藩はよく戦いましたが、西洋各国が備えた大砲とはその飛距離、威力に大きな差がありました。それを実感した藩主斉彬や藩士たちは世界に目を見開き、江戸幕府の鎖国令をものともせず英国と通商を始めました。


鉄製150ポンド砲の説明文

鉄製150ポンド砲の説明図


鉄を溶かすための「反射炉跡基礎部」

「反射炉跡」
 大砲を鋳造するために鉄を溶かした西洋式の反射炉の施設跡。現在は基礎部だけが残っています。


鉄を溶かすための「反射炉跡基礎部」

「反射炉の建造と集成館の設置」(現地の説明文)
 アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、島津斉彬に大きな衝撃を与えました。
 嘉永4年(1851)、薩摩藩首となった斉彬は、日本が西欧諸国の植民地にされるのではないかという危機感を抱き、海洋に多くの領地を有する薩摩藩こそ「大砲と船」に象徴される軍備の近代化と産業育成に力を注ぐべきだと考えました。
 反射炉は鉄製の大砲を鋳造するために築かれたもので、嘉永5年(1852)に着工し、安政3年(1856)ようやく鉄製砲の鋳造に成功しました。また反射炉を中心に溶鉱炉やガラス工場などさまざまな工場が整備され、これらの工場群は「集成館」と命名されました。
 生麦事件の端を発した文久3年(1863)の薩英戦争では、イギリス艦隊7隻を相手に、ここで造られた大砲が大活躍しましたが、その後解体され、現在は基礎部分だけが残されています。

 最盛期には集成館で1,200名もの人々が働いていたそうです。


「反射炉址」石碑

「反射炉址」石碑

 当時の諸施設の跡などを見学した後、薩摩藩の近代化事業を紹介する博物館として公開されている「尚古集成館」も見学しました。当時の工場や技術についてわかりやすく展示・説明されていました。(撮影は禁止でした。)


園内の生い茂った林

南九州では温暖多雨のため、園内の林もうっそうと茂っています。





「山神・水神」の祠

「山神・水神」の祠
 江戸時代中期に山神・水神を祭るために作られたといわれる祠。


「近代薩摩焼発祥の地」石碑

「近代薩摩焼発祥の地」石碑



 イギリスでは温州みかんのことを「さつま」と呼んでいるそうです。
 そのいわれが薩英戦争にまで遡るのも歴史を感じさせるエピソードですね。


「ボンタン」の木

「ボンタン」
 南国の果物ですね。


「ボンタン」の大きな実

 温暖の地でボンタンが枝葉を茂らせています。


「バンペイユ」の木

「バンペイユ(晩白柚)」
 これも南国の果物です。


「バンペイユ」の大きな実

 こちらも枝もたわわに大きな実がぶら下がっています。
「バンペイユ」はボンタンの1品種で、その中でも最も果実が大きく、直径が20センチ以上にもなります。
 世界一重たいボンタン類ということでギネスブックに認定されており、ギネス記録は重さ4.858キロ、直径26センチだそうです。


仙巌園の花。

 仙巌園に入ってきました。花や緑が目につきます。
 中央にアメリカデイゴの花、左側にリュウゼツラン。


仙巌園の花の案内図

 園内の花の案内板があり、見ごろの花がどこに咲いているか、すぐわかりますね。


アメリカデイゴ。鹿児島県花。

アメリカデイゴ(海紅豆(かいこうず))
 鹿児島県の県花になっています。


ヒャクニチソウ(ジニア)が咲いていました。
ヒャクニチソウ(ジニア)   ヒャクニチソウ(ジニア)

ヒャクニチソウ(ジニア)   ヒャクニチソウ(ジニア)

ヒャクニチソウ(ジニア)   ヒャクニチソウ(ジニア)

ヒャクニチソウ(ジニア)   ヒャクニチソウ(ジニア)





   

    ◆このページの先頭に戻る ◆前のページ ◆次のページ
    ◆トップページに戻る