沖端(おきのはた)の町は、柳川の南西部に位置する観光スポットで、柳川藩立花家の別邸「御花」、詩人北原白秋の生家、沖端水天宮、川下りの乗降場、市の観光案内所、名物うなぎのセイロ蒸しの店などが並んでいます。 「御花」は柳川藩主の遊息の場所として元禄10年(1697)に作られました。柳川藩は立花宗茂が奇跡の復活を遂げた後、明治維新に至るまで立花家が存続しました。 近代日本の文学に大きな足跡を残した北原白秋は、生まれてから多感な青春時代までをこの地で過ごしました。 その生家は残され、当時の商家の様子を伝えており、奥に歴史民俗資料館(白秋記念館)が建てられています。 「御花」や歴史を感じさせる落ち着いた街並みを見て歩き、白秋の童謡を口ずさみながら、川下りのどんこ舟の行きかう掘割のほとりを散歩するのは、心が癒されるひとときです。 北原白秋の詳しい足跡については 「北原白秋記念館」のホームページ に掲載されています。 |
立花宗茂は天正14年(1586)、秀吉の九州統一に活躍し、柳川13万石を与えられました。関ケ原の戦いでは西軍に参加しましたが、大津城を攻めている間に、主戦場関ケ原で西軍は敗北。宗茂は柳川を追われました。 かわって柳川を治めた田中吉政は、掘割の整備、天守閣の築造、道路の新設・整備、有明海岸の埋め立てなど、土木事業に数多くの業績を残しました。 田中吉政が没したあと、宗茂は元和6年(1620)旧領柳川に奇跡の復活を遂げました。東軍で戦った武将でさえ次々と取り潰されるなかで、西軍で戦った武将が徳川幕府の大名として復活するのはまったく稀なことです。それだけ人物が大きかったということでしょう。 「御花」は藩主の遊息の場所として元禄10年(1697)に作られました。 この建物は「御花」の西洋館です。 「御花」の庭園「松濤園」は日本三景の松島を模したもので、7千坪の広大な土地に掘割の水を引き入れ、趣のある山水が広がっています。 |
「御花」の殿の倉の白壁。 |
2,3月のひな祭りの期間には白壁の前の掘割にもおひな様が飾ってありました。 うしろには白秋の歌碑があります。 「我つひに還り来にけり 倉下や 揺るる水照(みでり)の影はありつつ」 白秋の水郷柳川を詠んだ歌。 「柳河は城を三めぐり七めぐり 水めぐらしぬ咲く花蓮(はちす)」 「水のべは柳しだるる橋いくつ 舟くぐらせて涼しかりにし」 |
沖端水天宮 |
沖端水天宮 沖端水天宮祭り(舟舞台囃子)は毎年5月3日〜5日に開かれます。 水天宮横の掘割に舟舞台を浮かべ、3日にわたりお囃子や芝居が奉納されます。 |
水天宮の界隈に観光案内所や川下り乗降場、「御花」などがあります。 |
恵比須神社が水天宮と川を挟んだ路傍にあります。 「町祠(まちほこら) 石の恵美須の 鯛の朱の 早や褪(あ)せはてて 夏西日なり」白秋 |
「柳川市観光案内所」 ここでわかりやすい案内地図や資料が入手できます。 |
大正、昭和の造り?。2階にはなつかしい雨戸がついています。 |
こちらはもっと歴史を感じさせる白壁の家並みです。 |
あちこちからうなぎのセイロ蒸しの香りが漂ってきます。 |
祭りの季節には地元の人による飾りつけがされ、楽しい雰囲気です。 |
北原白秋生家。 明治大正時代の商家のようすが展示されており、その奥には北原白秋記念館があります。 |
白秋生家の碑 |
北原白秋 明治18年(1885)生〜昭和17年(1942)没、57歳。 地元の尋常小、高等小学校に通い、伝習館中学(現在の高校)に入学しましたが、この頃より詩歌に熱中するようになり、ついには中学を落第してしまいました。 明治37年(1904,19歳)白秋は父の反対を押し切って中学をやめ、家出をして上京、早稲田大学英文科予科に入学。 大学時代「新詩社」に属し、若山牧水、与謝野鉄幹、与謝野晶子、石川啄木らと交友を深め、詩人白秋の名も世に知られるようになりました。 明治42年(1909,24歳)処女詩集「邪宗門」、明治44年(1911,26歳)「思い出」を出し、文壇においてその名を高めました。 詩人としての名は高まりましたが、生活は苦しいものでした。 生まれ育った実家は江戸時代から問屋や酒造を営む大きな商家でしたが、明治34年(1901)沖端大火により酒倉を全焼し、やがて母屋も他人の手に渡り、家産が傾き始めました。 明治42年(1909,24歳)末に実家は破産しました。(白秋はこのとき一度柳川に帰りましたが、昭和3年(1928,43歳)20年ぶりに帰郷するまで、長い間故郷に帰る機会はありませんでした。) 大正元年(1912,27歳)、白秋は家族を東京に呼び寄せいっしょに生活を始めましたが、生活は楽ではなく、結婚生活も病気や生活苦から離別を重ねました。 生活が落ち着いたのは大正7年(1918,33歳)ごろからといわれます。この年には鈴木三重吉が創刊した児童誌「赤い鳥」に参加し、すばらしい童謡を次々と発表していきました。これらの童謡は90年経った現在でも多くの子供たちに歌い継がれています。 昭和16年(1941,56歳)13年ぶりに再び柳川に帰郷。 昭和17年(1942,57歳)没 童謡(白秋作詞) ゆりかごの歌、砂山、からたちの花、この道、ペチカ、トンボの眼玉、あわて床屋、待ちぼうけ、城ヶ島の雨、雨ふり、かやの木山、鐘が鳴ります、赤い鳥小鳥、ちんちん千鳥、金魚、お祭り、雀のお宿、一寸法師、花咲爺さん・・ 山田耕作、中山晋平氏らの心に沁みるメロディに乗って全国に広まっていきました。 これらの童謡をまったく知らないという人は、おそらくいないでしょう。 90年前の文語体時代に作られた詩が、いまだに多くの子どもたちに歌い継がれているということは、考えてみたら驚くべきことです。それだけ心に響くピッタリのことばが適切に使われているということでしょうね。現代の饒舌で中身のあまりないテレビなどの風潮とは大違いです。 |
生家の奥の隠居部屋。 右は水汲み場。奥は「柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)」 |
隠居部屋。 「この建物は北原家の隠居部屋として建てられましたが、白秋は中学時代、弟妹の騒ぎを避けて、ここで勉強しました」と案内板にあります。 |
隠居部屋の裏手。 各家には掘割が通じています。 |
生家の倉のなまこ壁 「邪宗門」 (「邪宗門秘曲」の冒頭) われは思ふ、末世(まつせ)の邪宗、切支丹(きりしたん)でうすの魔法。 見目青きドミニカびとは陀羅尼(だらに)誦(ず)し夢にも語る、 |
生家の庭のからたちの木。 白秋の歌にはよくからたちが登場します。 「帰去来」 山門(やまと)は我が産土(うぶすな) 雲騰(あが)る南風(はえ)のまほら、 飛ばまし、今一度(ひとたび)。 筑紫よ、かく呼ばへば恋(こ)ほしよ潮の落差、 火照(ほでり)沁む夕日の潟。 盲(し)ふるに、早やもこの眼、見ざらむ、 また葦かび、籠飼(ろうげ)や水かげろふ。 帰らなむ、いざ鵲(かささぎ)かの空や櫨(はじ)のたむろ、 待つらむぞ今一度。 故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、 何ぞ寄る童(わらべ)ごころ。 (大意) 山門柳川は私が生まれ育ったふるさと 雲が湧き上がり、南風の吹くまほろば(美しい土地)。 飛んで帰りたい、もう一度。 筑紫よ、この名を呼べば恋しくてたまらない、有明の海の潮の干満の差、 赤く夕日に染まった海 もはや私の眼は、衰え見えなくなったので、もう二度と見ることができない。 葦の群れ、魚獲りの籠や水かげろう 帰りたい、鵲(かささぎ)よ 大空よ 櫨(はじ)の木々よ、 それらが待っているだろう、もう一度。 故郷やそこで子どもの頃に遊んだ友らも、みんな年を取って疎遠なままなのに、 どうしてか子どものときの気持ちが湧いてくる。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 歌碑は母校矢留小学校横の白秋詩碑苑に建てられています。 白秋は昭和3年に20年ぶりに故郷柳川に帰郷し、昭和16年にも再び帰郷しましたが、その時は腎臓、肝臓を患い、すでに視力が衰えていました。そのときの望郷の気持ちを歌ったもので、白秋はこの翌年に亡くなりました。 毎年11月2日の「白秋祭」は「帰去来碑」の前で行われています。 |
生家の奥に、「柳川市立歴史民俗資料館(白秋記念館)」があります。 1階:柳川の歴史、漁業の町沖端を中心とした民俗資料を展示。 2階:白秋の生涯や作品を時代別・テーマ別に展示。 |
「リツ子・その愛」「火宅の人」などを著した放浪の作家で最後の無頼派といわれた壇一雄の実家も沖端にあり、柳川藩の普請方を務める家柄だったそうです。 「有明潟睦五郎の哥」の碑 ムツゴロ、ムツゴロなんじ佳き人の潟の畔(ほとり)の、 道をよぎる音ささやきたるべし、かそけく、寂しく、 その果てしなき想いのきゆる音 |
沖端は有明海にも近く、満潮のときは川も満々と水を湛えます。 |
日に2回の引き潮の時は、沖端の堰のすぐ外の川も干潟となります。 「潮の瀬の 落差はげしき 干潟には 櫓も梶も絶えて船の西日に」白秋 川の中ほどに人がいます。釣りのエサでも獲っているのでしょうか。 |
沖端に平家の6騎の武将が落ちてきて、有明の海の幸を生きる糧としてここに住みついた伝説があり、その人たちを「六騎(ろっきゅう)」と呼んだことから、今でも漁業や海苔養殖業の人を「六騎」と呼んでいるといいます。 (柳川の近辺の山にも落人が住みつき、「平」姓を「坂梨」と変え、今でもその後裔の方が住んでおられるそうです。) 落人が近くに住むのを許したのは、この地の優しい、開放的な気性のせいではないでしょうか。 |
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