九州あちこち歴史散歩★福岡市志賀島・志賀海神社(2) サイトマップ
「筑前国風土記」には神功皇后が三韓征伐の際に志賀島に立ち寄り、神功皇后の招きで海人族の祖神・阿曇磯良が亀に乗って海底から現れ、新羅遠征の案内役を務めたとの記述があります。古来から阿曇氏に率いられた海人族が漁猟や航海で活躍していたことがわかります。 昔は社殿も壮麗で末社も多く盛んだったが、中世に兵火にかかって荒廃したのを、大内義隆、小早川隆景らの武将が再建修復し、さらに福岡藩主の加護によって今日の姿に復興したそうです。 漁民の信仰厚く、島には大小70の祭りが続いており、歩射祭、神幸祭は県指定の文化財となっています。 |
志賀海神社「本殿」 |
本殿のうしろに並ぶ末社 荒神社、祇園社、大神宮社、末社の惣社 境内には他に秋葉社、松尾社などの末社が祀られています。 |
「熊四郎稲荷」 |
楼門前の石の太鼓橋 |
楼門前の石の太鼓橋 |
歌碑 「志賀の海 安曇の荒男禊(みぞぎ)して 袴姿に歩射(ほしゃ)の弓ひく」 1月の歩射祭には8人の射手が禊をしながら合宿して、弓の練習に勤しみ祭りに備えます。 |
境内の万葉歌碑 「ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神」(万葉集の歌) (航海の難所として知られる鐘の岬を無事に通過できても、私はそれが志賀の航海の神の加護であったことを忘れませんよ。) |
すぐ近くの東側の浜から境内の森を望む。 |
近くの浜には魚網が干してありました。 |
志賀島につながる「海の中道」の海岸 |
玄界灘に面する「海の中道」北側には防風林がどこまでも続いています。 |
「海の中道」の砂浜 |