九州あちこち歴史散歩★光明禅寺の紅葉 サイトマップ
11月30日、紅葉で有名な太宰府の光明禅寺に出かけました。 光明禅寺は「太宰府の苔(こけ)寺」として知られていますが、前庭の「仏光石庭」、裏庭の「一滴海の庭」も有名です。 太宰府天満宮の門前町から天満宮を目指して歩き、天満宮の正面入口の鳥居前で右折すると、左手に「浮殿」があり、2,3分で神護山光明禅寺に着きます。 光明禅寺は太宰府天満宮の結縁寺で菅原道真公ゆかりの寺です。 |
秋になると普段は静かなこじんまりとした光明禅寺に、紅葉を愛でる人が集まり賑やかになります。 |
天満宮とお寺の取り合わせが妙に感じますが、昔は神仏習合で神社やお寺の区別はあまりなく、境内に両方あるのが普通でした。 その風潮は現在でも残っており、私達多くの国民は神社でもお寺でも両方を参拝します。これは日本人が必ずしも節操がないためではなく、昔から神仏を同じものとして扱ってきた名残りです。 |
光明禅寺の正面の門。 |
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入ってすぐの前庭「仏光石庭」です。七、五、三の合わせて十五個の石を「光」という字のかたちに配置してあるそうです。九州で唯一の石庭です。(東側から見た庭) |
一本のもみじは赤、もう一本は黄色に色づいていました。 |
庭にはきれいな模様が描かれています。 |
今年は暑い夏が続き、紅葉も例年より1,2週間遅れたようです。 |
西側から見た「仏光石庭」。この前庭は誰でも自由(無料)に入れて、ゆっくり眺めることができます。 |
柿の実がまだ枝に残っていました。 |
大宰府光明禅寺の扁額 裏庭の「一滴海の庭」は、200円の拝観料を払って本堂に上がり、廊下や離れなどからゆっくり眺めることができます。 |
天台宗の僧であった円爾弁円(後の聖一国師)は1235年唐に渡り、径山万寿禅寺で修行中に天神(道真公)が現れたという。(各種の言い伝えがある)。これを「渡唐天神」といっているそうです。 弁円は印可を受け帰国後、博多に承天寺、太宰府に崇福寺、京都に東福寺を建立しました。 |
円爾弁円に師事していた鉄牛円心のところに天神が現れ「大事な僧衣を大事に保管してくれぬか」と依頼した。太宰府天満宮の祭神であり、円心の先祖(円心は太宰府の生まれで、菅原道真の末裔)でもある天神の依頼に応え、円心禅師は僧衣を保管するために一寺を建立しました。これが光明禅寺です。(僧衣を大事に保管せよ、とは禅の教えを大切に伝えよ、ということのようです。) |
今年は夏の猛暑で紅葉が例年より遅く、11月末ごろがちょうどピークだったようです。 |
「一滴海の庭」は苔が陸地、砂が海を表している枯山水です。 |
このような庭を見ると、その深遠な意味はわからなくとも、心が落ち着きますね。 |
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観音様でしょうか。この石仏は前庭に置かれていました。 |
前庭では地蔵さんも見守ってくれています。 |
日中戦争のとき故郷に残った家族たちは、中国戦線に送られた兵士たちに慰問袋と手紙を送りました。手紙には「生きて帰ってきてください」とは書けない(そんな事を書くと非国民とされて没収された)ので、「武運長久を祈る」と書いた手紙の中に光明禅寺の苔の一片を入れたそうです。これは一夜にして日本から唐に渡り、また日本に帰って衆生を救った「渡唐天神」の伝説にならって無事に日本に帰ってきて欲しいとの気持ちを込めて、渡唐天神の本拠地である光明禅寺の苔を入れたのです。このため伝衣塔の苔はほとんどなくなったそうです。 (家族の思いも空しく、帰って来ない兵士が多かったのは無念です。) |
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離れの畳に座り、ゆっくり庭を眺めるのも、心が癒されるひとときです。 |
(参考資料) 「太宰府の本」太宰府市発行 「太宰府天満宮の謎」高野澄著 祥伝社黄金文庫 |
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