「旧蔵内邸は明治から大正時代にかけて、筑豊地方を中心に、全国でも10位以内の産出高を誇る炭鉱経営者であった蔵内次郎作、保房、次郎兵衛の三代の蔵内氏本家住宅として建てられました。 その財力を象徴すべく、良材をふんだんに用いた大邸宅は、見るものを圧倒させ、池を臨む優美な庭園は心をなごませます。」 (案内パンフレットより) 蔵内家は中世の豊前国を治めていた宇都宮氏の家臣でしたが、戦国時代後期に宇都宮鎮房が黒田長政の謀略によって滅ぼされた後は帰農し、江戸時代には地元の豪農になりました。 明治になると、炭鉱採掘事業に進出し、時流に乗って規模を拡大していき、大正8年には全国6位の産出高をあげるまでに繁栄しました。 建物は県指定建造物、国登録文化財となっており、庭園は平成26年末に国文化審議会によって国の名勝に指定するよう答申されました。 旧蔵内邸は平成25年4月より一般公開されるようになり、現在、邸内の写真撮影は自由(仏間と宝蔵展示室は撮影禁止)でした。 旧蔵内邸の紹介や地図などは 築上町の観光案内・旧蔵内邸 に掲載されています。 |
旧蔵内邸の門 |
正面玄関 神社仏閣のような反りのある重厚な建物です。 |
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平成25年から一般公開されるようになり、明治、大正、昭和初期にわたる石炭王の当時の贅をつくした大邸宅に触れることができます。 |
庭園は回遊式庭園で、広くてすばらしい空間です。 |
ちょうどサルスベリの花が咲いていました。 |
大玄関 大玄関は土間と玄関間で15坪もあります。 土間や腰壁には大理石がふんだんに使われ、天井には屋久杉が使われています。 、 |
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玄関間の説明文 |
長い廊下が続いています。 天井も手が込んだ造りになっています。 |
応接間 明治30年代に建てられたようです。 |
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応接間の説明文 |
庭園はきれいに手入れがされていて、心が洗われます。 |
昔のどっしりとした手水鉢(ちょうずばち)が置いてあります。 |
水のない枯滝石組が荒々しい風景を表しています。 |
庭園にも入ってゆっくり眺めることができました。 |
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