九州あちこち歴史散歩★久留米大善寺玉垂宮鬼夜(火祭り)(2) サイトマップ
午後9時ごろ6基の松明の前に若者たちが集まり、一番鐘の音を合図に境内の灯りがすべて消されました。しばらくして二番鐘が鳴り、いよいよ巨大松明に点火される瞬間を迎えました。 見物人は境内にあふれ、6基の日本一の大きさの巨大松明を取り巻いています。 |
![]() |
いよいよ点火です。 |
![]() |
巨大な松明が大きな炎を上げて燃え始め、近くの見物人はその炎の熱さにみんな後ずさりしました。 |
6基の巨大松明が燃え上がります。 9時半ごろ、社殿の近くでは「鉾面神事」が行われていました。赤鬼面と青鬼面を被った二人が鉾と刀で戦う様子を表したものとのことです。 |
![]() |
手に持つ大松明も大きい! |
若者が巨大松明の先端に近づき、燃え易くしています。 |
先端が燃えていくと、若者たちが長さ3メートルくらいの樫の棒「かりまた」で松明を支え、支脚をずらして調整します。 |
6基の松明が燃え上がるようすは実に壮観です。 |
先端が燃えていくと、「縄切り」の若者が近づき、燃えやすくするために縄を切っていきます。 この場所は大変熱く、普通の人はとても近づけないでしょう。 数メートル以上離れている見物人のいる場所でも全身に熱を感じて暖かいのです。 |
全員で松明を支え、支脚をずらします。 |
耐え難い熱さと思われますが、若者は勇敢に縄を切ります。 |
![]() |
時々、木の枝で燃え具合を調整しています。 燃えた残滓を落として、燃えやすくしているようです。 |
![]() |
![]() |
最初に巨大松明に点火した松明は、ずっと数人の若者たちによって頭上に掲げられていました。 いろいろ昔からのしきたりがあるのですね。 |
約1時間ほど鐘楼前で燃えていましたが、その後先端は「かりまた」で支えられ、本堂の西側に移動しました。 巨大松明を移動させる若者たちは「たいまわし」と呼ばれるそうです。 |
6基の巨大松明が本堂西側に移動を完了し、大きな炎を上げています。 |
この後午前0時頃までに本堂を2周するようです。 この間に一番松明は「惣門くぐり」などの行事があったようですが、私はずっとここにいて松明の炎にあたり、災難消除のありがたい熱気で体内のぐうたら虫(?)を退治しようとしていました。 |
何しろ長さ13メートル、重さ1.2トンの大きさです。数時間にわたって燃え続けることができます。 時々、「オイサッ、オイサッ」の掛け声で前進します。(本堂を2周する) |
「たいまわし」の若者たちが力を合わせ支脚をずらそうとしています。 日本一の松明の大きさがわかりますね。 |
点火した松明を頭上に掲げている若者がいます。 木の枝を手にしたり、「かりまた」で巨大松明を支えています。 |
![]() |
根元の3本の孟宗竹はかずらの蔓で縛られています。 |
巨大松明の根元はかずらの蔓で縛り、「尻曳き綱」が両側に2本つけてあります。 移動する時は町内の氏子の大人や子どもたちが、その綱を引っ張っています。 |
11時20分ごろ、鬼や鬼を追い出した「シャグマ(赤熊)」の皆さんがどこからか帰ってきました。 白いヘルメット姿の大人が鬼役で、鬼堂の床下などを逃げ回り、最後に川で禊を済ませたようです。 |
藁を被っているのが「シャグマ」役の子どもで、持っている棒で鬼を追い出したようです。 |
![]() |
「シャグマ」役の子ども。 子どもも夜12時ごろまで活躍し、火祭りを伝承しています。 |
![]() |
地区の皆さんが力を合わせて巨大松明を動かし続けます。 |
今年の鬼夜はありがたいことに穏やかな日にめぐまれ、動き回っていたせいもありますが、禊場の焚き火や巨大松明の炎で暖かく、心配したほどの寒さは感じませんでした。(でも、寒風吹きすさぶ日や、雪の日、雨の日は大変だろうな、と思います。) 真冬の深夜の行事にかかわらず、子どもの参加が思ったより多かったのは意外でした。元気がありますね。 私も松明の炎で、体内の有象無象の害虫を退治できたようで、気のせいか身も心も軽くなった心地がします!。これ以上グータラ虫などの害虫がはびこらないように毎日をシャキッとメリハリをつけ、且つのんびりと過ごすことにしましょう。 日本一の巨大松明を見ることができ、また寒さに負けずに祭りに参加している多くの氏子の大人や子どもの皆さんを見て、元気が湧いてきました。一年発起して行ってよかった!! |