天満宮の境内には197種の梅6,000本が植えられていて、早咲きから遅咲きの梅を1月末から3月上旬にわたって楽しめます。梅の花の最盛期は、その年によって変わりますが、だいたい2月中旬前後です。 |
本殿に向かって右側の「飛梅」 都を追われた道真公が都を離れるときに、庭の梅を見て, 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ(春を忘るな)」 と詠んだところ、やがて道真公を慕って一夜のうちに京の都から空を翔けてきたのが「飛梅」と言い伝えられています。 |
本殿に向かって右側の「飛梅」 太宰府天満宮の梅で一番有名な、大樹の梅の木です。 |
本殿に向かって左側の「皇后梅(きさいのうめ)」 大正11年にご参拝された大正天皇后が、葉山御用邸よりご持参されてお手植えされた梅だそうです。 |
本殿左の「皇后梅」 ほんのりと紅い梅の花です。 |
本殿に向かって左側の紅梅 「皇后梅」のさらに左に植えてある紅梅です。 |
本殿に向かって左側の紅梅 ちょうど満開で庭を明るく照らしていました。匂うがごとく咲いています。 「青丹よし寧楽(なら)のみやこは咲く花の 薫(にほ)ふがごとく今さかりなり」(万葉集328 小野老朝臣) ここに歌われている花は桜(梅との意見もまれにある)で、天平文化の華開く平城京奈良の都の繁栄を歌ったものといわれています。 この歌は太宰府の地で作られました。大伴旅人が大宰府長官(大宰師)を務めていたとき、小野老朝臣が次官として下ってきて(天平2年(730)頃)、その歓迎宴の場で歌われたものです。 大宰府政庁には他に筑前守・山上億良らも務め、それぞれすばらしい歌を作り、太宰府のあちこちに25の歌碑が建てられていて、歌碑めぐりも楽しめます。 吉野山を引き合いに出すまでもなく、数本の桜があれば、いや一本の桜でも、空までもが輝くようにまさに匂うがごとく咲き誇ります。しかし、梅も多くは清楚なイメージが強いものの、このようにみごとな大輪の紅梅が咲いているさまは、匂うがごとく、と感じてもおかしくはないでしょう |
本殿に向かって左側の紅梅 八重の鮮やかな紅梅です。 奈良時代には、花といえば「梅」を指しました。 清少納言も「木の花は こきもうすきも 紅梅」といっています。 万葉集では梅を詠んだ歌が118首収められていて、桜を詠んだ歌の3倍です。これは奈良時代の中国文化の影響と考えられます。しかし、「古今和歌集」では、桜を詠んだ歌が梅より4倍多くなっています。遣唐使も中止され、桜の人気がふえてきたことがうかがえます。 庶民に花見が広まったのは、江戸時代中頃からといわれています。 |
楼門の近くの枝垂れ梅 朧(おぼろ)に咲いています。 |
楼門近くの枝垂れ梅 |
楼門近くの紅梅 境内の獅子も梅の花を楽しんでいます。 |
東神苑の邂逅の園にある歌碑と梅 達筆の字は読めません(もちろん書けません)。次に行ったときに説明板がないか調べてみましょう。 それから1年、私も行書がすらすらと読めるようになりました、とカッコよく言いたいところですが相変わらず全く読めないので、歌碑の案内書(「ふくおか文学散歩」など)を覗きました。 「飛梅の香をなつかしみ立ち寄りて むかししのべば花のさゆらぐ」 第37代宮司 西高辻信稚(のぶわか)氏の和歌(昭和32年10月) |
東神苑の梅 |
東神苑の白梅 心が洗われるような白さです。(洗われてもすぐ埃にまみれますが・・。) |
北神苑の梅園 古木が多く、みごとな花を咲かせていました。 まわりには数軒の茶店もあるので、腰を下ろしてゆっくりと梅ケ枝餅やお茶を楽しむこともできます。 |
北神苑の梅園 |
北神苑の梅園 味わいのある古木が並んでいます。 |
北神苑の梅園 紅梅、白梅が咲き誇っています。 |
北神苑の梅園 こちらはみごとな紅梅です。 |
北神苑の梅園 まるで桜の花のようです。 |
北神苑の梅園 明るい紅梅です。 |
北神苑の梅園 大輪の八重の白梅です。白く輝いていました。 |
◆このページの先頭に戻る ◆前のページ ◆次のページ
◆太宰府天満宮 ◆太宰府天満宮の梅 ◆観世音寺 ◆観世音寺のコスモス ◆戒壇院
◆光明禅寺の紅葉 ◆大宰府政庁跡(都府楼址) ◆水城跡 ◆九州国立博物館
◆トップページに戻る